序2 とりあえずお姉様のところに行ってみた
「あらいらっしゃい」
善は急げ。
私はトリールお姉様のところへと向かった。
帝都の中では郊外の、小ぶりな家々が連なる辺り。
そう言えばしばらくこの家には来ていなかったことに気付く。
前に来た時は、確かお姉様はお義兄様に朝のコーヒーの淹れ方にケチをつけられた、ということを苦笑して言っていたはずだった。
お義兄様は官立大学の理系予科を卒業した後、その分野を生かした企業で技師として働いている――らしい。
「本当はそのまま本科に残って研究を続けて博士論文を書きたかったようなのよ」
「だから節約してお金貯めて、その研究に打ち込ませてやれたらと思うのだけど」
そんなことを前に来た時には言ってたと思う。
とはいえ、それはもう一年も前だった様な……
いや、私自身忙しかったのだ!
官立第二女学校を卒業したらすぐに縁談に乗ってしまったお姉様と違って、私は女子高等専門学校に進学して、勉学と研究に追われていたのだ。
……なので、一年ぶりにやってきたこのお姉様の家が、がらりと様変わりしていたことに、正直驚いた。
「何かすっかり、子供中心の家になってしまったのね……」
「そりゃあそうよ。だって子供は私達の都合に合わせてなんかくれないもの」
籐製の小さなベッド。
その天蓋から吊されるきらきらとした回り飾り。
漂うミルクとおむつの匂い。
時々聞こえる小さな声――と突然の泣き声。
お姉様は、そんな赤子の横たわるベッドの脇に安楽椅子を置くと、ひっきりなしに編み物の手を動かしている。
その様子は本当に楽しそうで。
……とても自分自身の子供ではない、とは思えないくらいで。
「どうしたの? マルミュット」
お姉様は不意に手を止めた。
編みかけの――あれはケープだろうか? 可愛らしい色合いのそれを脇の卓に置くと私の方に向き直った。
「お姉様」
私は真剣な声になって問いかける。
「エルダに聞いたの。――その子が」
しっ、とお姉様は唇の前に人差し指を立てた。
「でも」
「貴女はきっと理解できないと思うけど、私はこれでいいと思っているし、今とっても幸せなのよ。そう、前に貴女がこの家に来た時よりね」
確かに雰囲気が違う。
一年前に来た時には、お姉様には今一つ余裕が無かったはずだ。
なのにどうだ。
以前は倹約倹約と、メイドも週何度かの通いだけだったのに、今では子守を兼ねた住み込みのそれを置いている。
お義兄様の給料が唐突に上がったとか? ……いやそれは考えにくい。
「不服そうな顔ね」
お姉様は首を軽く傾ける。
「不服って言うか…… 納得がいかなくて…… だって、その、お義兄様が」
「そうよね、貴女は納得できないと何処までも追いかける質だったものね。ああ! そう言えばこの間、婦人雑誌の記者を募集していなかった? 貴女ならそういう仕事の方が、結婚するより似合う気がするけど」
「お姉様が家を出てしまったというのに、私が婿取りしない訳にはいかないでしょう?」
「あら、そっちの家には、それこそエルダが居るでしょう? 貴女がもしお婿さんをもらったとしても、子供を産んだとしても、仕事の一つ二つできるんじゃなくって?」
「それは……」
「お母様が生きていらしたならともかく、私達のお父様は、本当にやりたいことがあったら世間の目など気になさらないでしょう?」
確かにそうだった。
お姉様の結婚からしてそうなのだ。
お義兄様は大学予科で、お父様の研究室に在籍していた。
両親を亡くして、伯父の世話になっているという真面目な青年に対し、お父様は何やら実に好感を持ってしまったようで。
そこで女学校を卒業したばかりのお姉様と引き合わせて、職の斡旋もして、軌道に乗ったあたりで独立した家庭を持たせたというわけだ。
ただこの二人、結婚して数年経っても子供ができなかった。
お姉様はその辺りを気にしていた…… と、思う。
でも、養子を貰う程のことは無かったと思う。
それこそ家を継いだ訳でもなし。
いや、それを言ったら私の方がまずいとは思うのだけど……
「まあともかくマルミュットは納得できるまでやればいいと思うのよ」
「お姉様がそう言って下されば心強いわ」
「だから」
そこでお姉様はにっこりと笑った。
「今度の件も皆に聞いてみればいいわ」
そう来ましたか。
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