第6話 廻想
頭が砕けた時の記憶は残念ながらあまり覚えていない。気がついたらビルの前で倒れていて僕の頭は砕けていた。ガラスが砕けたようにバラバラに路面に僕の頭は散らばっていた。ちょうど人通りの少ない道で、しかも人通りのほとんどない時間帯だったらしく、僕はしばらく砕けた頭を晒したまま気を失っていた。
夢をみていたような気もするし、全く見ていない気もする。現実に起きたことか夢の中の事かよくわからない中で彷徨っていた。夢っぽい感覚と、現実に起きた出来事の焼き直しと、唐突に変わる物語が脈略もなく続き、最終的に朝会社に行く時間だが全く起きれない夢を見ることがある。それは大体季節の変わり目に起きる事が多い。夢の中で身支度しているが、気がつくとまた布団の中にいるアレだ。無限ループ。起きても起きても起きれない、家を出ようとする瞬間にまた目の前に枕としんとした誰もいない部屋があるのだ。だんだん遅刻というタイムリミットが近づいているのを目覚まし時計が無言で主張してくる。またか。
僕は洗面所で顔を洗い、髭を剃り、4回目の身支度を終え、鏡の前で髪の毛をセットした。なかなかセットが決まらず、何度も何度も分け目を変えたり、流す方向を変えたりした。髪は櫛で伸ばすたびにちょっとずつ長くなっている。髪が肩に届くほど伸びてしまってから、まいったな、どうしようかと焦り始めた。こんな髪では電車になんか乗れないし、あの人にも見せられない。きっと「寝癖が斬新です。」って笑われてしまうな。
しばらく迷った挙句、僕は玄関に鼻毛シェーバーがあったことを思い出した。以前出かけるときに鼻毛が気になり玄関で使ったのがあったはずだ。僕は家にいる時は靴下を脱ぐ主義だったので、履いていた靴下を脱ぎ、洗面所の洗濯物かごに放り込み、風呂場で足を洗ってから玄関に向かい、靴棚にしまっていた鼻毛シェーバーを探した。
たしかここにあったはずなのに。。。配達が来たときに押すシャチハタ印を入れていたカゴの中、靴下の中、奥の野菜室、どこを探してもなかった。その時ふと以前出かける時にデニムのポケットに突っ込んだことを思い出して、洗濯物カゴを探した。確か昨日デニムを洗濯カゴに下げていたはずだ。僕はデニムの右後ろのポケットを弄り、かなり奥の方まで手を伸ばし、やっとの思いで僕の指がiQOSの本体を掴んだ。
やっぱここにあったか。僕は電源を入れてiQOSが温まるのを待ったが、一向に刃が回る音がしない。ずっと洗面所に置いていたからさびてしまったのかもしれない。僕はiQOSを左手のひらにパシパシと叩きつけ、モーターが回るのを期待した。機械関係は大体叩けば直る神話を信じていたから。僕は音が聞こえるまでiQOSを叩いた。叩く度にベルのような音とガラスの破片を袋の中で振ると出るようなジャラジャラというかカシャカシャという音がした。幾ら叩いても刃は回らない。iQOSはどんどん熱くなる。これじゃ火事になってしまうかもしれない、と思った瞬間、iQOSを落としそうになってしまった。僕は手を伸ばし落とさないように掴もうとするが、iQOSは僕の指をすり抜けてビルの屋上から地上目掛けて落ちていった。iQOSの錆びたブレードが僕の伸びた髪に絡み付いていたので髪も引っ張られ同じくビルから落ちていった。「こんな事してたら会社に遅刻してしまう。」これ以上髪を伸ばすわけにはいかなかったので僕は髪をちからいっぱい握った。その反動で僕も一緒にビルから落ちていく。せっかく会社のビルの屋上に遅刻せずに間に合ったと思いながら、伸びた髪を握ったままの僕とiQOSは地面に向かってゆっくりと落ちていった。落ちていく間で靴棚の左上に設置されていた製氷用の冷凍スペース(よくホテルの冷蔵庫にあるような小さいやつだ)に会社支給の携帯電話と家の鍵があることを確かめて、後で取りに行かなきゃと思った。
そしてゆっくりと、そして確かに僕とiQOSは地面に打ち付けられていった。跳躍に失敗した棒高跳び選手のリプレイスロー再生のように、ゆっくりと地面に叩きつけられ、地面でゆっくりとゆっくりとバウンドした、瞬間、僕は地面に横たわっていることに気が付いた。強く握った手には僕の砕けた頭の欠片がいくつか握られていて、手のひらからは強く握ったせいか若干の傷があり、血はすでに乾いていた。
急に起こされた感覚だったが痛みはなかった。カラスが電線にたむろしているので、幾つかの僕の破片は持っていかれたかもしれないと思った。僕はとりあえず近くにある頭の破片だけを大雑把に拾いポケットに詰めた。落としたはずのiQOSも探しかけたが、あれは夢だった事に気づき、誰かに見つからないようにその場を去った。
それが頭が砕けた時の僕の記憶だった。
それ以外は夢の中の出来事のように曖昧だった。
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