杉ちゃんと成人式

増田朋美

杉ちゃんと成人式

1月9日は、本来なら人間に取って大事な記念日でもある、成人の日であった。本人にはあまり気にならないかもしれないが、親御さんにとっては、娘さんや息子さんが、無事に20歳まで育ってくれて、とても喜ばしいことでもあるだろう。特に、娘を持っている親御さんに関しては、今は成人式にはマストアイテムになっている振袖を買ってあげられるということで、またそれが更にうれしいことになるに違いない。呉服屋が儲かるから意味がないとか、色んな批判もある成人式であるが、少なくとも、20歳まで生きることができたということで、素晴らしいお祝いになることは間違いないのであった。

その日も、杉ちゃんは相変わらず製鉄所で着物を縫う作業を続けていたのだが、午後になって、いきなり玄関の引き戸が開いて、

「杉ちゃん居る?ちょっと相談があるのよ。お願いできるかしら?」

という声が聞こえてきた。

「ああ、浜島さんですね。」

布団に寝ていた、水穂さんが、布団の上に起きた。

「ほら、お入りなさいよ。大丈夫よ。和裁屋さんってのは、職人気質の気難しい人が多いって思うかもしれないけど、そのような事は絶対無いから

怖がらなくていいわ。」

ということは、他に誰か連れてきたのだろうか。

「でも、本当に、私にはもう振袖は着られないのではないかと。」

そう声がすることは、やはり誰か連れてきたのだと思う。

「ああ、いいよ。相談があるんだったら、とりあえず話してみなきゃ何も始まらん。もったいぶらないで入れ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「わかったわ。それじゃあお願いします。」

と咲は、そのとおりにして、女性と一緒に、四畳半にやってきた。水穂さんが少し咳をしたので、杉ちゃんは彼に羽織を渡した。

「で、何だよ。相談って。」

杉ちゃんが言うと、

「はい。彼女の振袖のことなんだけど。」

と、杉ちゃんが言った。

「振袖。そういえば世間ではもうすぐ成人式ですね。もしかしたら、今年成人式を迎えるとかですか?それはおめでとうございます。」

水穂さんが彼女にいうと、

「それがねえ。彼女も、成人式に行きたいって言うんだけど。」

咲は、困った顔で話を始めた。

「前撮りをすることになって、初めて振袖を着たんだけどねえ。着慣れない振袖を着ていたせいか、着付けの先生のところで倒れてしまったんですって。なんでも、長襦袢を着るだけでも苦しくなってしまったらしいわ。それでは情けないから、とても着付けができないって、着付けの先生に言われてしまったんですって。」

「はあ、それで、結局、着付けはしてもらえなかったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。できませんでした。長襦袢を着ただけで苦しくなるようでは、メンタルが弱すぎるなんて言われて、バカにされてしまいました。」

と、彼女が答えた。確かに、どこにでもいそうな、一般的な女性である。身長は、160センチ位の女性としたら大柄な方だろう。

「着物を着たのは、七五三以来で、何もわからなかったんで、もう振袖は着られないと言われてしまいまして。私、どうしても、振袖を着たいのですが、着付けの作業でものすごく緊張してしまって、汗が出てしまったら、もう着物を着られないって言われてしまうんです。そんなに苦しいものだったかと思われるほど苦しくて。もうどうしたらいいかわからなくて、そうしたら、浜島さんが、ここで相談すればなんとかなるというものですから、それでこさせていただきました。」

まあ確かに、彼女の言う通り、着物を着るのは今の家庭事情だと、七五三以来という人は珍しくないかもしれなかった。お琴教室とか、そう言うところに言っているんだったら、まだ話はわかるが、着物を着るというきっかけがそもそも無いので。

「そうなんですね。着物なんて、今どきの女性では一切着たことないでしょうし、苦しいと感じてしまっても当然のことですよ。だから、メンタルの事は気にしないでいいです。」

水穂さんがそう言うと、

「そうかも知れないけど、右城くん。気にしないためにはどうしたらいいのか、教えてちょうだいよ。そういう事言うんだったら。」

と咲が口を挟んだ。

「まあねえ。着付けとか、そういうところの先生は、たしかにちょっと厳しいというか、高慢なところがあるな。それは認めるよ。だから、きついことだって平気で言うよ。それはね、もうしょうがないことだと思いな。そう思うしか無いよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「だから、彼女になんとかして着物を着せてやりたいんだけど、杉ちゃんなにか方法は無い?確かにさ、彼女の問題なのかもしれないけど、着物を着る機会なんて逆立ちしてもない人だって居るわけだから。そういう人はお断りっていう着付け教室も問題はあると思うのよ。だから、苦しくしないで、着るのに時間がかからない、そんな着方というものは存在しないのかしら?着物を着るのが、ハードルが高すぎると私は思うの。それをちょっとハンディをつけて、下げてあげられないかしら?」

咲は、一生懸命言った。

「うーんそうだねえ。はまじさんが言うことはワカラナイわけじゃないけど、着物は、もともと着るのが難しいからなあ。それに、誰かに着せてもらうとなると、その人への敬意も発生して、それで疲れちまうんだろう。それに、長襦袢に着物に、帯結びに、着物を着るのは、洋服を着るのに比べると、時間がかかりすぎて疲れることもあるんだな。それが、着物の醍醐味だって言って、それで楽しめちゃうやつも居るけどさ。第外のやつは苦痛に思うと思うよ。」

杉ちゃんは、でかい声でそう解説した。

「杉ちゃん、解説はいいから、彼女に着物を着させて方法を考えて。」

咲がそう言うと、

「わかったよ。じゃあね。その振袖がどんな感じのものなのか、すぐに持ってきてくれ。絵羽柄だったらちょっとむずかしいかもしれないけど、小紋柄の振袖あれば、着物を半分に切って二部式にすることはできる。帯結びも、結び方は限られてしまうけど、作り帯にすれば簡単につけられるし、崩れてしまう心配もない。そうすれば、少し楽になれるんじゃないかな。お前さん誰かご家族はいるか?ちょっと電話でもしてもらってさ。それで振袖をこっちへ持ってくるようにしてよ。」

杉ちゃんに言われて女性は、急いでスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「もしもし私、りえです。今着物屋さんに居るんだけど、着物屋さんの職人さんが、例の振袖を持ってきてほしいって。お母さんお願いしてもいい?」

「でも、りえちゃん。あれだけ着付けの先生にも叱られてしまったし。」

話しているのはお母さんだろう。多分お母さんも、ひどく傷ついてしまったのだろう。

「でも、私、一生に一度だけの晴れ舞台でもあるわけだし、ちゃんと振袖を着たいわ。それに着物屋さんが、苦しくないように工夫してくださるんだって。だから、お願い、振袖を持ってきてよ。あと、帯も同じで。よろしくおねがします。」

りえさんは、お母さんにそう言って、電話を切った。

「すぐ持ってきてくれるそうです。しばらくお待ち下さい。」

「おう、わかったよ。で、お前さんの名前は?」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい、りえです。新垣りえ。年は、今月で20歳です。」

と、りえさんは答えた。

「わかったよ。じゃあ、その振袖を見て、どういう対策を取ったらいいか、考えよう。」

と、杉ちゃんがそう言うと、玄関の引き戸がガラッと開いた。

「あの、新垣です。新垣りえの母でございます。振袖を持ってきました。」

「おう。ありがとう。入れ。」

杉ちゃんがそう言うと、りえさんのお母さんは、失礼いたしますと言って、製鉄所にはいった。

「あの、振袖を着やすくしてくれるというのは、どういうことなんでしょうか?もう娘は、振袖の着付けは無理だと、着付けの先生から言われたばかりなんです。」

と、お母さんはそういって、四畳半にはいってきた。

「そうかも知れないけどね。まずはじめに、その振袖がどういう柄つきなのか、見せてもらいたいな。」

杉ちゃんに言われて、お母さんは持っていた畳紙を床において、振袖を取り出した。確かに絵羽柄ではなく、大きな菊の花を全体に入れたかわいい感じの小紋柄の振袖だった。地色は赤で、白い花が繰り返し入れてある。しかし、小紋柄であっても、ポリエステルの生地などの安っぽいものではなく、きちんとした正絹で、友禅で柄を入れてあるものだった。

「母から譲られたものなんです。私が、成人式のときに着ました。それで今回、りえに着てもらおうということになったのですが。」

お母さんはそう解説するが、杉ちゃんはそれを無視して、

「わかったよ。じゃあ、小紋柄であるから、そこは有利だ。それではウエストのところで切って、二部式にしよう。」

と言った。

「切るんですか!」

お母さんは思わずいう。

「ああ、そうだよ。でないと、こいつは振袖を着られないだろ。それでは悲しいじゃないか。着付けの先生に、もう来ないでくれって言われたんだろ?それなら工夫して、着られるようにしなければ行けないじゃないか。大丈夫だよ。成人式の会場で、二部式ですかと聞いてくるやつは誰もいないし、それを責めるようなやつもいない。それに、もしかしたら、おはしょりを縫ってあるとか、そういう工夫をして着ているやつかもしれないよ。今結構着物を着たがるやつも居るけどさ。着付け教室が、繁盛しないのも、そのせいかもしれないね。だから、こいつだって、振袖を工夫して着られるようにするんだ。」

杉ちゃんがそう言うと、お母さんはびっくりした声で言った。

「ちょっとまってくださいよ。母から譲られたこの振袖を二部式に切ってしまうんですか?それではなくなった母、この子にとっては祖母が、さぞかし怒るでしょう。」

「まあ。そうだけどねえ。着ないで放置してしまう方がよっぽど着物にとっては、可哀想だと思うけどね。それより、工夫して着させて上げたほうがいいんじゃないかな。まあ確かに古い考えの人は、着物が可哀想と考えるかもしれないけどさ。もう、着物を着られるとか着られない云々よりも、もう着物は、みんな着られないと思って、工夫して着るようにさせるほうが大事だと思うよ。」

杉ちゃんはそれに反論した。

「そうですが、母が私宛に仕立てた着物なのに。それを娘にあげたくて、楽しみにしてたのに。」

「そうか。そんなら、リサイクルで安い振袖を買い直して、そっちを二部式にしようか?今日日、着付けの先生は少ないから、なかなか理解してくれる先生を探すのも難しいところだろう。それよりも自分で着られるように工夫するほうが大事だと思うけど。リサイクルでも振袖はゴロゴロあるし、今からでも十分間に合うよ。どう?」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、振袖は高いものだし。」

と、お母さんは言った。

「いや、高くないよ、一万円以下でも結構いいものが買える時代だよ。成人式の会場ではほとんど引けを取らないんじゃないかと思われるくらい、派手な振袖もたくさんあるよ。だったら、買い換えることも必要なんじゃないの?」

杉ちゃんに言われてお母さんは、どうしようという感じの顔をしてしまった。

「そうですねえ。戦前や戦中は、着物は食べ物代わりになるくらい大事なものでしたし、それに、お祖母様から譲り受けたものを改造してしまうということは、悪い事と思ってしまうのも、当然だと思います。それは自然な感情で、悪いことでは無いですよ。」

水穂さんがお母さんを慰めてくれた。

「でも、彼女がこれを着られないのも、曲げられない事実だよな。それを着たいのも、曲げられない事実だ。だから、なんとかしなければならないんだ。」

杉ちゃんが事実を喋った。

「そうよ。それに、このままじゃ成人式で着るものがなくなっちゃうわ。出られないなんて、ちょっと可哀想すぎよ。一生の思い出になる式典だし、出させてあげたいと思うんじゃないかしら。」

咲の言うとおりでもあった。本当に着物に対して、お母さんもりえさんも、複雑な感情を抱いている。着物だからこそ、着物を大事にしたいからこそ、そうなってしまうと言うことになってしまうのだろうか。

「でもさ、どこかで、変えていかないと、着物は永久に着られないで、処分されるだけのものになっちまうぞ。それはわかってくれるか?作りてとしては、そうなってしまうのが一番悲しいんだ。」

杉ちゃんがそういった。

「わかりました。あたしが、決断すればいいんですね。そういうことなら、着物の改造をお願いします。みんなが振袖を着ているのに、私だけ違うものを着るのも嫌ですし、そういうことであれば、工夫して着ないと行けないと思います。だから、これを二部式にして、私が着られるようにしてください。」

少し間をおいて、りえさんがそういった。杉ちゃんはにこやかに笑って、

「よしよし。さすが若いやつは頭の回転が速いな。それでは早速、その着物を二部式にするから、しばらく待っていてくれ。」

と言った。

「本当に、母が用意してくれた着物を、切ってしまうのでしょうか?」

とお母さんはそう言っているが、

「でも、お前さんは、もう既婚者でお母さんなんだろ?それではもう着られないのは明確だよな。そして、りえさんが、着用できないのもまた事実だよな。だから、そのために工夫をする。この何が悪いと言うんだよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。着物を着ることができる人はこれからどんどん減少していくでしょうし、それなら工夫してすぐに着られるようにしてあげるのも大事ですよね。」

水穂さんがそう言うと、

「よし。それでは早速、着物の改造を始めようか。ちょっと針箱を取ってくるな。」

杉ちゃんは車椅子を動かして部屋を出ていってしまった。もちろん、振袖を持って。

「改造していいものなんでしょうか。」

お母さんはまだ戸惑った顔をしている。

「いや、いいんじゃないですか?だって、着られるようにするための改造ですよ。それなら私は、何でも率先してやるべきだと思いますけど。」

咲がお母さんにいうと、

「あの振袖は、母が私が20歳になったとき、記念に買ってくれたものだったんです。私の家は大したことのない町工場で、そんなに豊かな生活をしているわけでもありません。着物は、子供の頃から好きで、憧れていたんですが、お金を出しても買えないので、ずっと我慢していたんですよ。それを見かねた母が、20歳のときに貯金をはたいて買ってくれて。本当は、一枚の絵の柄にしたかったんだけど、お金が無いから小紋柄でごめんねって、母が言ってました。そんな着物を、半分に切って改造するなんて、なんだか母に取って申し訳ないような気がして。」

と、お母さんは言っている。

「そういう思い出があったんだね。私、何も知らなかった。確かに、うちはしがない町工場だけど、みんなにお金がないってそういう事を言っているわけでもなかったし、そのような事は、何も気が付きませんでした。そんな思い出深いものだったんですね。」

りえさんは小さな声で言った。

「でも、いいじゃないですか。いくら本やビデオで調べたって、着物が着られるようになるとは限りません。着付け教室も、変な部品ばかり買わされて、肝心の事は教えてくれないって言うし、本当に着たくなっても、着られないというのが着物の現状なのかもしれない。それを、克服するには、杉ちゃんの言う通り、二部式にするとか、そういうふうにしなければできない時代になっているんだと思います。それは、時代の流れに合わせて形を変えていくことも必要なんじゃないかなと僕は思いますけどね。」

と、水穂さんが彼女に優しく言った。彼女は、小さな声で、

「ありがとうございます。お母さんの大事な振袖を、私が、着用できて、確実に思いを引き継いで行くために、頑張って着られるようになります。」

と言った。

「大事なのは、本人の意思ですよね。なんでもそうだけど、伝統を身につけるのは、強い意志が無いとできないわよ。」

と、咲が、彼女に向かっていった。

それから数日経って、杉ちゃんから、着物の改造が終わったと連絡を受けたりえさんとお母さんは、軽自動車と走らせて、製鉄所に言った。引き戸を開けると、待ってたぞという杉ちゃんのでかい声がした。二人は、急いで、四畳半に行くと、杉ちゃんが着物を用意して待っていてくれた。

「よし。じゃあ、まず、美容衿を、インナーの上にのせて見てくれ。」

杉ちゃんに言われてりえさんは、上着を脱いで渡された美容衿をつけた。

「じゃあ、まず、巻きスカートの方から、腰に巻いてみてくれ。」

杉ちゃんに渡されて、りえさんは腰に巻きスカートを巻いた。

「次は上着ね。まず羽織ってみて、身八つ口に、紐を通して、柔道着を着るような要領で着てみてくれ。」

彼女はそのとおりにした。そして着いていた紐を結ぶと、着物姿の完成である。苦しくなるような腰紐も、コーリンベルトもいらない。

「じゃあ、次は作り帯な。胴に長方形の部分を巻き付けて、紐で止める。そして、背中にこの文庫の部分を差し込んで、前で紐を結ぼう。」

彼女はそのとおりにした。

「よし、これで、振袖姿は一応完成だ。どうだ、これなら、大変じゃないだろ。すぐに着れるじゃないか。うん、本当に良かった。ちょっと鏡を覗いてご覧よ。二十歳のお前さんがここに居る。」

と、杉ちゃんが言うと、水穂さんが、これを使ってくださいと言って、姿見鏡を貸してくれた。彼女は鏡に映った自分の姿を見て、

「わあ、自分じゃないみたい。」

と言った。

「帯揚げや帯締めは、お前さんの好きなものを選んでいいんだぜ。お母さんと同じものにする必要はまったくないから。それでは、頑張って楽しい成人式にしてな。」

と、杉ちゃんが言うと、お母さんは、

「ありがとうございます。あんな事言ってしまって申し訳なかったです。」

と、小さな声で言った。

「いえいいんですよ。それよりとてもよく似合いますよ。」

水穂さんがそっとそう言ってあげると、お母さんはちょっと涙をこぼしたような顔で、

「ありがとうございます。」

と言った。


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杉ちゃんと成人式 増田朋美 @masubuchi4996

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