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そして、惨敗なのは恋愛だけではない。


高屋たかやはもうすぐ閉店時間を迎えるが、配達分を覗けば、本日の売り上げは駅前での出張販売のみ。この店に客が来る事はなく、駅前での販売も、駅の反対側に大型のスーパーが出来たせいか、今まで以上に売上げは伸び悩んでいた。更に、そのスーパーの近辺には、新しい和菓子屋までオープンしている。真新しい店構えに、目を引く可愛らしい練り物や、動物の形をした最中など、和菓子好きなら見てるだけでワクワクしてくるようなお店だ。高屋のがらんとしたショーケースとは雲泥の差である。

そんな中でも、毎日のようにどら焼を買ってくれる駅員さんには感謝でしかない。


しかし、現状は厳しいの一言である。





大苑屋おおぞのやさんがいなかったら、もう潰れてるよ」

「ずっと縁のあるお家で、深悠みはる君も、コウシさんによく遊んで貰ったって言ってたわよね」


現状を切実に訴える純鈴すみれだが、母の花純かすみは、構わずのんびりと言う。

花純は、小柄でいつもフリルのあしらわれた服を着ている。髪もくるりと巻いて、まだまだ少女気分を抱いた女性だ。フリルやレースだったり、純鈴からすれば、母親のその出で立ちが正直照れくさかった時もあったが、歳を重ねた今でも花純は可憐な服を着こなしており、ちょっと格好良いなと思ってしまう。


懐かしそうに微笑む母の姿は、娘から見ても愛らしいが、的を外れた答えには、花純には危機感がないのだろうかと、純鈴は頭を抱えるばかりだ。


「あのさ、もう限界だよ。この商店街だって、時谷ときたにグループが買い取るって話でしょ?」


実は、駅周辺は再開発が進み、今まで無かったタワーマンションや大学等がこれから建ち並ぶという。それを進めているのが、時谷という日本のトップを走る企業だ。

この町は今、時谷の手によって生まれ変わる途上にある。


「あのスーパーとは別に、複合施設建てるって話もあるじゃん。このままじゃ、うちは潰れちゃうよ!外部の人を呼んで知恵を借りるとかさ、美味しくて企画性のある商品があれば、お客さん呼べるかもしれないじゃん」


商店街の買い取りの話が本当なら、その話は恐らく進む。いくら純鈴が頑張った所で、この商店街の中で、商店を営んでいるのは高屋しかない。近所の家だって、どんどん空き家が増えてきているのが現状だ。


「うちのあんこが美味しくないって言うの?純鈴の作ってるあの味は、コウシさんの味と遜色ない出来よ?」


しかし、純鈴の思いは母に通じず、まさかコウシの味を否定するのかと、花純は信じられないといった様子で、今にも泣きそうである。

純鈴は、いつまでも少女のような母に溜め息を吐いた。しかし、これも花純の魅力の一つと割りきってはいるので、純鈴は仕方なく、花純の気持ちを宥めるように優しく声をかける。

こんな時ばかりは、どちらが親か分からない。


「違うよ、このままじゃ潰れるって言ってるの。私が義父さんの味を否定する訳ないじゃん。私、義父さんのどら焼大好きだもん」


これは、本心だった。だからこそ、懸命にコウシの味を模索してきた。

義父のコウシが突然亡くなり、母子は途方に暮れた。純鈴は勉強の為、別の和菓子屋に勤めながら時折店を手伝っていたが、それでも高屋の商品を、その土台となるあんこを一人で作った事はない。

店を潰したくない思いは、母子共に同じだ。幸いにも、どら焼の作り方だけは、コウシはノートに書き残してくれていた。細かなこだわりを含め、あんこ作りに関する注意点等、ページには文字がぎっしりと埋め尽くされていた。


それでも、レシピ通り作っている筈なのに、なかなかコウシの味の再現には至らなかった。その為、純鈴は再び他店に修行に出向くなどして、その成果か、ようやくコウシと同じ味が作れるようになったのだ。


だが、どら焼以外の商品は、未だに試行錯誤の繰り返しだ。同じあんこを使っているのに、大福の食感も味わいも、コウシのものとは違う気がする。

不味くはないけど、コウシの味を知っているだけに、常連客達は、どら焼以外を買う事はなくなってしまった。


だから純鈴には、何か発見が必要だった。散々試すだけ試したが、結果は出ていない。外部の人間からのアドバイスでも何でも良い、助けが欲しい状態だった。


しかし、母の花純は、いつもそこだけは難色を示していた。


「でもねぇ、高屋の方針は、外部の人を雇わない、でしょ?あんこの味も変えないし、店の移転も禁止だもの」


それは、高屋のルールとして、コウシが言っていた事だ。この店は、自分達だけで守らなくてはいけない、そうやって受け継いでいくのだと。

でも、そうは言っていられない時はくる。どんな老舗だって、創業当時から全く味を変えない店はそんなに無いのではないか。全然違うものにはならないけど、時代の変化に合わせて進化する事が、悪い事だとは思わない。それに、どら焼のあんこの味は変えるつもりはない、そのどら焼にだってバリエーションがあっても良い筈だし、伝統を守りつつ、臨機応変に進化をしていかないと、純鈴ではもう太刀打ちできない事態なのだ。


純鈴はその思いを胸に、母に提案をした。


「それだってさ、時代に合わせて変えていかないとじゃん。学生時代の友達にあたってみたの、ほら、物産展とか企画してる。うちのどら焼は確かに美味しいけど、他にも強みが欲しいって」

「じゃあ、駄目ね」


にっこりと笑顔で、これまたあっさりと結論が出されてしまい、純鈴は文字通り頭を抱えた。いくら純鈴が和菓子を作っていても、この店の権限は母の花純にある。コウシへの思いが人一倍ある母だ、純鈴だって、その思いは大事にしたい、だからこそ純鈴は、一人で悶えるしかなかった。


「もー!だからどうにかしようって言ってるの!あー、私がもっとちゃんと学んでおけば…今からじゃ店潰れちゃうし」

「潰れたら、その時はその時よ」

「お母さん!」


人がこんなに守ろうと必死なのに、誰の為だと思ってるんだ、そもそも店が潰れたりしたら、それこそコウシが悲しむのではないか。と、純鈴は腹を立て、さすがに花純に言い返そうとしたが、不意に考え込む花純を見て、その気持ちを押し止めた。


「なに?なんか良い案でもあった?」

「ううん…何だか、店を守るのが目的じゃない気がするのよね」

「え?」

「この家自体を守るのが、高千家の方針のような気がするの。…コウシさんに、もっと聞いておけば良かったね」


母が寂しそうに微笑むので、純鈴は何も言えなくなった。

コウシと花純は、娘の純鈴から見ても、本当に仲の良い夫婦だった。母の性格のせいもあるが、それにしても、学生のカップルを見ているようで、自分の親ながら微笑ましく、少しだけ照れくさい思いで見ていたのを思い出す。



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