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どら焼を作り終えると、純鈴すみれは配達用の自転車に商品の入った箱をくくりつけ、大苑屋おおぞのやへ向かった。

時刻は、朝の八時。大苑屋へ到着すると、駐輪場で自転車を止め、純鈴は慣れた足取りで玄関に入っていく。


「おはようございます!高屋たかやです」


そう声を掛けると、受付の奥から男性が姿を現した。


「おはよう、純鈴。今日もご苦労様」


そう朝から爽やかな笑顔を向けるのは、大苑屋の若旦那だ。

彼の名前は、大苑深悠おおぞのみはる。すらりとした体格だが、着物姿が様になっていた。さらりと揺れる黒髪は清潔感に溢れ、優しい面差しからは、大人の包容力をも感じさせる。

純鈴は商品を受け渡しながら、優しい彼の声や雰囲気に、いつも胸を高鳴らせていた。



大苑屋と高屋は長い付き合いで、家同士の繋がりが深いと聞いている。その由縁で、長きに渡り、大苑屋には高屋のどら焼をお茶請け等で提供させて貰っていた。


大苑屋の先代が病気療養の為に退き、旅館は深悠に代替わりしたばかりだが、それでも深悠は、変わらず高屋の商品を扱ってくれている。そこには、高屋の経営状況を気にかけてくれている、深悠の思いもあるようだ。

大苑屋への配達も、コウシが亡くなってからは純鈴が行っているので、深悠は純鈴を案じてか、いつもこうして配達時に顔を出してくれていた。



「いつもご贔屓にありがとうございます!」

「何だよ改まって」

「だって…」

「高屋のどら焼が美味しいから、うちはこうして頼んでるんだよ」


大苑屋のおかげで、どら焼を気に入ったお客さんが、お土産に高屋をわざわざ訪ねて買っていってくれたりもする。大苑屋には頭が上がらないのに、深悠は気にするなと、こうして純鈴を気遣ってくれる。

そういう所でも、純鈴の心は、ぎゅっと掴まれてしまう。


深悠とは、純鈴が六歳で高千たかちの家に来た時からの仲で、深悠の方が七つ歳上。出会った当初から、妹のように可愛がってくれていた幼なじみだ。

そして、この胸の高鳴りから察して頂ける通り、深悠は幼い頃からの純鈴の憧れで、初恋の人。今でも密かに心寄せる相手である。


なので純鈴は、この思いが溢れ出てしまわぬように、慌てて話題を探すのが常だ。



「…す、少しは、お義父さんの味になれてるかな」


慌ただしく話し始めた純鈴に、深悠は優しく目を細めた。


「それは大丈夫。親父からもお墨付きだし、俺も好きだし」

「え、」

「だから、まだまだ作ってよ。大変だと思うけど、俺も出来る限り協力するからさ」


ぽん、と最後に頭を撫でられ、純鈴はドキリ胸を震わせて顔を上げる。深悠は爽やかに、「今日も頑張ろうな」と笑ってくれた。


その一言が、どんなに偉い人の励ましよりも効果があると、深悠は知っているのだろうか。


純鈴の心は、むくむくと多幸感と勇気に満ち溢れ、純鈴は元気良く頷くのだった。




そうして、純鈴は深悠に別れを告げると、すれ違う大苑屋の従業員達に挨拶をしながら、足早に駐輪場までやってきた。


「…かっこよすぎる」


自分の自転車を前に踞り、高揚する気持ちを必死に落ち着けるのも、最早日課であった。


また今日も、背中を押されてしまった。


例え三十路手前ながら、深悠に子供扱いされていたって、純鈴は素直に恋い焦がれてしまう。それが、恋愛対象の愛情表現ではないと分かっていても、それが、学生のような微笑ましい恋愛感覚だと言われても、純鈴にとっては、深悠の一挙一動が特別で宝物だった。


それでも欲を言うなら、そろそろ異性として見てくれないかとも思う。確か、まだ深悠には結婚の予定もなければ、お付き合いしている相手もいないはず。


毎朝、深悠が出迎えてくれるので、もしかしたらという淡い期待も芽生えるが、そこにある深悠の気持ちは、妹のような幼なじみを心配して、それだけだ。会えるだけで心踊るのは変わらないが、頭を撫でられるだけでは、まるで子供のお使いの労いのようだと思う自分もいる。

だから、大人の対応を試みて、いつもより、よそよそしい挨拶をしてみたけれど、残念ながら何の効果も得られなかった。


深悠にとって自分は、どうしたって子供でしかない。それに対し、純鈴はもどかしい思いを抱えていた。


どうしたら、恋の相手として見て貰えるんだろう。


何にせよ、今日もこの恋心は惨敗だと、結局は項垂れて帰る純鈴だった。



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