オトギリソウ(6)


 話し終わった私はコーヒーを一口飲んだ。さすがにぬるい。


 最初はあまり口が回らなかったが話し続けているといつの間にか詳しく説明できていた。良介の身に起こったことについては覚悟が必要だったが、ここまで話した勢いで何とか話すことができた。


 さて、緑川の反応はどうだろうか。


「…………」


 無言。まぁそんなものか。私は心の中で一人ごちた。

 会って一時間ほどの他人からいきなりこんな重たい話を聞かされたのだ。さすがに変人の緑川もどう反応していいかわからないだろう。


「…少々お待ちください」


 そう言って緑川は店の奥に消えた。逃げたのだろうか。いや、多分違うな。私は心の中でそう判断した。幾度もこちらの予想を裏切ってきたのだ。ここにきて普通の反応をするわけがない。


 そうしたある種の信頼(?)を胸に、私はコーヒーを飲みながら五分くらい待っていると、予想通り緑川が戻ってきた。コップと…花?


 緑川はそのコップに水を入れ、その花を入れた。コップは花瓶として持ってきたらしい。


「この花、何かわかりますか?」


 緑川がそう尋ねてきた。私はその植物を改めてよく見ることにした。


 草丈は…三十センチほどだろうか。黄色の花を上向きに咲かせている。五枚の花弁が元気よく開いている。あまり特徴のない形だと思う。強いて言うならおしべが長いかな?くらい。花びらは一枚一枚が独立していた。確か花びらがくっついていないのを離弁花と言い、アサガオのように花びらがくっついているのは合弁花という。小学校の理科の知識を頭の片隅から引っ張り出して埃を払う。

 葉はどうだろう。長さ三センチほどの葉で互い違いに葉が出ておらず、同じところから生えていた。


「どこかで見たような……気のせいかな?」


「ほう、そうですか。まぁ確かに街中に似たようなのがたくさんありますからね。名前わかりますか?」


 …なんか楽しんでる?この人。初めて緑川の笑顔を見た気がする。…結構かわいいじゃん。


 しかしこの花の名前はわからない。


「…わかりません。何ですか?」


「これはオトギリソウという植物です。花の時期は七~九月で、日本の山野に分布している野の花です。ちなみにたびたび道路の中央分離帯や生垣用の植物としてこれと同じ仲間のビヨウヤナギやキンシバイなどが植えられています」


 そういえばアパート近くの店の生垣に黄色い花が咲いていたな、と私は記憶を引っ張り出す。

 大きさこそ違えど、目の前の花は確かにあの花に似ていた。あれを小さくすればこうなるのか。


「昔は薬草として用いられたそうです。ショウレンギョウという名で呼ばれ、この葉の汁を傷に塗れば血が止まり、煎じたものを飲めば、鎮痛と利尿作用をもたらします。他にも月経不順や扁桃炎にも効果があるそうです。

この葉の裏を見てください。黒い点があるのが見えるでしょう。これが同定のポイントです」


 緑川の言う通り葉の裏には小さな黒い点がいくつもあるのが見えた。なるほど、と私は納得した。


 と、同時に納得できないことが浮かぶ。

 

 何でこの花を持ってきた?何でこんな話してんの?やはりこの男、意味が分からない。

 私が首をかしげていると、緑川は、


「別に植物を覚えてほしいからこの花を持ってきたわけではありませんよ」


 と、言った。


「この花には悲しい伝説がありましてね。このオトギリソウ、漢字で書くと”弟を切る草”、と書いて弟切草(オトギリソウ)と読むんです」


 弟を切る。思わず、緑川の顔を凝視した。

 知ってか知らずか、私の顔を見ずに、オトギリソウを見ながら緑川は話を続けた。


「昔、この花を使って薬を作っていた兄弟がいましてね。兄は鷹匠、つまり鷹を飼う職業を生業にしていました。このオトギリソウから作られる薬は鷹の傷によく効くそうです。兄はこの薬を秘伝の薬として秘密にしていました。ところが弟がその薬のことを他人に漏らしてしまったそうです。それに激怒した兄が弟を切り殺し、その血がそばにあったオトギリソウに付着した。葉の裏の黒点はその時の弟の血だ、と言われています」


 私はただ黙って緑川の話を聞いていた。弟を殺した兄。私は姉だが、状況は似ている。


「ただね。私はこの話は違うのではないか、と思うのです」


「……?」


「この薬は代々門外不出で一族の掟のようなものがあったんじゃないか、とね。それで鷹匠は泣く泣く弟を切るしかなかった。自分は一族の代表なんだから、とか、自分の弟だからと言って例外は許されない、とかね。そんな風に思うんですよ。好き好んで弟を殺したい兄弟がいますか。口減らしだとか言って兄弟同士で争いたい兄弟がどこにいますか。NARUT〇だってサスケはイタチを心の底から殺したくて殺したわけではないでしょう。鬼滅の〇だって緑壱は厳勝を切りたかったわけではないでしょう。兄が許されないことをしたから殺したんでしょう。そのままの兄でいたなら殺し合いはしなかったでしょう。

 みんなそんなものです。だからあなたの弟さんも決してあなたを恨んではいないでしょう。自分を登山に誘ってくれてうれしかったと思いますよ?あなたが死んだらきっと弟さんもあの世で悲しみますよ」


 自然と涙がこぼれた。別にそんなに感動したわけではない。緑川は私の話を聞いて共通している逸話を知っていたからこの話を持ち出しただけだ。そんなのただの都合のいい解釈だ。


 それでも。誰かにこう言われるのはたまらなかった。


 良介は私を恨んでいない、と。私が死んだら良介が悲しむ、と。


「弟さんだけじゃない。あなたの両親や友達だって悲しむでしょう。繰り返し言います。私はあなたの自殺を止めません。私の目の前以外でなら好きなようにすればいいと思います。ただね、その時は悲しむ人がいるのを忘れないでください」


 そう緑川は話を締めくくってコーヒーを飲んだ。


 ふざけるな、と言いたい。私が死んだらみんなが悲しむって、そんなの脅迫じゃないか、私がみんなを悲しませるのだ、と言っているようなものじゃないか、と。



まるで呪いだ。私を苦しい生に縛り付ける呪いだ。



でもどこか嬉しい呪いだ。



 お前なんか生きている価値はないんだって、ずっと自分を責め続けてきた。ここにきて少し救われた気がした。

 そして私は悟った。

 

 この人すごい話が下手くそだ!死ぬのを止めないとか、オトギリソウとか話していたが、要は私は弟を殺していないし周りが悲しむからやめろ、ということを伝えたかったのだろう。わかりづらいわ!不器用か!

 見ると緑川はじっと私を見ていた。ただ、どうだろうか、とか、伝わったのかな、とか少し不安そうな表情をしている。ような気がする。

 

 私の勘違いかもしれない。でもそう信じることにした。

 

 そうしてしばらく私は静かに泣いていた。その背中を緑川が優しくさすっていた。

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