オトギリソウ(2)


「コーヒーをどうぞ。」


 テーブルに座っている私に横からコーヒーが差し出された。そんな気分じゃない、と否定しようとしたが、声を出すのも億劫で何も言わなかった。そんな私の態度に気分を害した風でもなく、男はカウンターに戻っていった。



 踏切での自殺が失敗した私は「あー…。よろしければコーヒーでもいかがですか?私はカフェを営んでいまして。少し遠いのですが、おごりますよ?」という男の言葉に従い、男が運転する車に一時間くらい揺られていた。その間特に会話はなかった。


 …字面だけ見ると結構ヤバい状況だが、幸いなことに連れて来られたのは本当にカフェだった。世の中そこまで危なくない。ただし店内には誰もおらず、まだ百パーセント安心はできない状況ではある。


 店に入る前にチラッと看板が見えた。”カフェFleur”。どういう意味なんだろうか。後でスマホで調べてみるか。


 幾分か余裕ができた私は改めて男の様子をじっくり観察した。


 男はスラリとした長身で眼鏡をかけていた。身長は百七十以上、百八十センチくらいあるかもしれない。服装はストライプのシャツと黒いエプロン、黒いズボンに着替えていた。顔はイケメンと呼んでも差し支えない部類。鼻筋がスッと通っていて切れ長の目はやや冷たい印象を受けるが整った顔立ちを引き立てているようだった。今はキッチンで何か作業しているようだった。


 目があいそうだったので慌ててそらした。かといって何をするでもなく、スマホはバッグの中だし、さっきの態度からコーヒーを飲むのもためらわれる。

 

 …なんとなく手持無沙汰な状態になってしまった。観察してたのばれたかな、と一瞬不安になったが、別に警戒するのは悪いことじゃない、向こうもそれくらいは許容するべきだ、と開き直ることにした。


 男がもう一つコーヒーを乗せたお盆を持ってこちらのテーブルに近づいてきた。腕まくりしたシャツからのぞく前腕は少し筋肉質でいい感じに締まっていた。


「コーヒー飲まないんですか?もしかしてお嫌いでしたか?」


「…いえ。ただ飲む気になれなくて」


「なるほど。あ、私もご一緒していいですか?お客様がいなくて暇でして」


 …本当に私の話を聞いているのだろうか?この男は。なんか意地を張っている自分が馬鹿らしくなってきた。いただだきます、と言って私はコーヒーを一口飲んだ。


「…おいしい」


「光栄です」


 微妙に心がこもっていない声で男が答えた。飲んだコーヒーは温かった。いや、当たり前なのだが、ちょうどいい温度になっており、私の心にしみわたった。ただコーヒーをいれただけではこの温度にならない気がする。もしやちょうどいい温度にしてから出してくれたのか。見た目通りできる男なのか。


 ふと、男が私を観察しているのに気付いた。私は気づかないふりをしたが時折ちらっと見ている。その冷徹ともいえる視線に少しぞっとしてしまった。やはり危ない男なのだろうか?今から獣の本性を現わして襲ってくるのだろうか。


 そこまで考えて、私にはそれくらいの罰が必要だな、と自嘲した。私には生きている資格はないんだ、ということに気付いた私は居ても立ってもいられなくなった。

早く死ななければ。そう思った私は席を立とうとした。


 すると、


「まぁ待ってくださいよ。そんなに急がなくてもいいじゃないですか。せめてお互い自己紹介してからでもいいのでは?」


 男がのんびり声をかけた。なぜこの状況でそんなのんびりした口調なんだ、この男は。


「放っておいてください。あなたのお心遣いには感謝しますけど私には生きている資格はないんです」


 そう言って私は歩き出そうとしたが、


「話を聞いてくださいよ。別に自殺を止めようと思っているわけではありませんよ。名を名乗るのが嫌ならせめてコーヒーだけでも飲み終えてからにしてはどうです?その間無言でいいので」


 再び男に止められた。最後の言葉いるか?本当に何なんだ、こいつは。


「…花崎香織です。植物の花に山崎とかの崎、お香の香に織物の織でかおりと読みます。長野明城学園大学の二年生です」


「緑川樹(いつき)。色の緑に簡単な漢字の川、樹木の樹と書いていつきと読みます。このカフェFleurの店長です。どうぞよろしくお願いします」


 遅すぎる自己紹介だった。向こうは自分の紹介が遅れたことを詫びるでもなく、かといって私のぶっきらぼうなあいさつに気分を悪くしたわけでもなさそうだ。というか表情が顔に出にくいのでわかりにくい。一応微笑んではいるが、愛想笑いで、その心は私にはよくわからない。さっき踏切で助けられたときはもう少し表情がわかりやすかった気がしたが、私の勘違いだろうか?


 こいつ、いや、緑川の印象は最初とだいぶ違っていた。第一印象はイケメンで礼儀正しそう。今ではマイペースで意外と無礼者、得体のしれない人物、といったところか。…なんか本当に印象変わったな。私が悪いのか?これ。

 

 この時私はいつの間にか自殺する気が削がれているのに気付いた。これを狙ってやっていたとしたら、大した役者である。…いや、やはり素だろうな。短いやり取りの中で私は何となく察した。


 そんなわけでやることもなくなり、仕方なく私は席に戻ってコーヒーを飲んだ。さっきと変わらず、おいしかった。


「よろしければ、何があったかお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 緑川にこう聞かれたとき、私は迷った。自殺するところを見られてしまったから色々話しやすいかもしれないが、やはり自殺の理由を他人に語るのは色々ときつい。通りすがりの他人に話す、というのもためらわれる要因の一つである。


「どうせ死んでしまうのなら最後に赤の他人に話してみるのも一興ではないですか?大体の事情は察していますが」


 一興って。久しぶりに聞いたな、そんな言葉。いや、待て。今大体の事情は察していると言ったか、この男。


「どういうことです?大体の事情は察しているって」


「いえ、本当に大雑把な推測です。花崎さん、あなたは誰か大切な人の死にかかわってしまったんですね?それもつい最近。もっと言うならあなたはその人が自分のせいで亡くなったと思っている」


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