第6話 (続き)

「お待たせしました。行きましょう」


 頷いた美香夏さんは、なるべく揺らさないようにという意識があるのか、歩幅を小さくしずしずと歩き出す。それは屋上を出て、階段を降り始めると、より顕著になった。一段ずつ足を揃えて降りていくので、単純に平常の倍の時間がかかる。


八田やつだ公園まで行くわ。この子を拾った場所だから」

「……すみません、まだ土地勘がなくて」

「ああ、そうか。転校生だったわね、そういえば」


 そこ忘れることある? 興味持たれてなさすぎだね。まあいいけど。


「駅前から少し入ったところよ」

「それなら、徒歩十分くらいですかね」

「そうね」


 さすがに駅くらいは抑えてある。学校周辺は住宅街だが、北のほうに抜けていくとそう歩かないうちに大通りにぶち当たり、そこを境にファミレス、家具屋、車販売店といった横長な店舗が集結する区域へと変遷していく。

 そしてその一画にはぺたりと張り付けたように居酒屋が立ち並ぶ場所があり、その中心にあるのが、ここからの最寄り駅だった。ボクの記憶が確かなら。


「美香夏さんは、もうこのあたりには詳しいんですか?」

「どうかしらね。一年半住んでいるにしては、って感じじゃないかと思う。あまり外出をするほうではないから」

「へー……何かおすすめのお店とかあります?」

「さあ。案内なら、それこそ天原さんに頼めばいいわ」

「あ、ご存じだったんですね」

「直接の面識はないけれど。あの子、ここでは有名人だから」


 でしょうね。


「新聞の端っこに記者名書いてあるし」


 ……え、莉音さん、読者ちゃんといるじゃないですか!

 思わず心中で叫ぶと、頭の中で小さい莉音さんがほめてほめてと突っ込んでくる。ぴょこんとその頭頂部に犬耳が生えた。なにこの想像ビジョン

 思わず背後を振り返ってしまったが、そこにはついいましがた出てきた寮の玄関があるだけだ。視線を戻し、石畳に従って、東門へと流れていく。


「あと、篠崎さんもね。仲いいんでしょう。あの子は私とは違って、いかにも女子高生らしい女子高生じゃない。放課後の遊び場を挙げさせたら、両手じゃ収まらないでしょうね」

「つばささんのこともご存じなんですか?」

「まあ、少しね。一年生のころ、関わりがあったから」


 ……あまり想像がつかない。どうにも毛色が違いすぎて、二人の並んだ図を想像してみても、空前絶後の美少女お笑いコンビとしてしか認識できなかった。

 しかしそれ以上に、つばささんが一度得た交友を疎遠にするというのも、なんだか印象にそぐわないな。


「それで、あー……。荻原おぎわらさんだったっけ?」

「……萩原はぎはらです。萩原優」


 間違い探しみたいな間違いをしないでほしい。なんで音まで似てるんだろうね。どっちも植物だし。

 あと原はそのまま「はら」って読みます。

 美香夏さんは小さく咳払いをしてから、ぎこちなく言葉をつなげていく。


「それで、その、萩原さんは……どこから来たの?」

「香港です」

「じゃあ、頭いいんだ?」

「へ?」

「向こうは受験戦争が激しいっていうじゃない」

「い、いや。日本人学校はそうでもなかったですよ、うん……むしろあんまり勉強はしてこなかったというか、なんというか」


 あまりそこは掘り下げないでほしい。詐称だから。というかそもそも、最終学歴が小学校卒業(草葉の陰)だからね、ボク。小学三年生で消息不明になってるから。


「でも、編入できたんでしょ?」

「帰国子女ということで、いろいろ便宜を図ってもらっているので」


 具体的には国語と歴史は考査を免除されてるので。

 まあ結局数学でカンニングしてるんだけどね!


「ふーん……」

「そういう美香夏さんはどうなんですか?」

「私は、ふつうだけど」


 どっちだこれ。本人的に嘘はなさそうだけれども、それにしても本当に普通であるパターンと自己評価が厳しいパターンがあるからな。


「そうだ。ちょうどお隣の席ですし、授業中お助けいただけたりとか……」

「嫌。なんで私がそんなことしなきゃならないの」


 けんもほろろ。


「そもそもどうやってよ。机を近づけてみるの、メモでも交換してみるの? 悪目立ちすることこの上ないわ」

「そ、そうですかね」

「外国でどうだったのかは知らないけど、私たちみたいに目立ちやすい人間は下手なことをするものじゃないわ。向けられるのがいい感情にしろ悪い感情にしろ、ろくなことにならないから」

「実感こもってますね……」

「……とにかく、予習でもなんでもして、予め備えておくことね」


 ごう、と走り抜けるトラックの軋みが会話にくさびを打った。

 真新しいネイビーブラックの四車線道路の、やはり一部の欠けもない横断歩道を渡り、もう少し歩いたところで、美香夏さんが右手に折れる。

 そのまま広い歩道を何度か信号を経ながら直進していくと、都市にぽっかりと空いた隙間みたいな、小さな公園にたどり着いた。単純に土地が狭いだけではなく、遊具も砂場もない、ただベンチが二台置かれているだけの、公園というにはいささか寂しい空き地だ。しかし入り口にはしっかりと都の看板が立っていて、ここが公園であることと、駐輪を禁ずることを主張している。

 本当にこんなところが猫の周遊領域なのだろうかという思いがないではなかった。

 が、美香夏さんがスクールバッグのチャックを開けると、そこからひょいと頭を出した猫は、周囲を見渡し、如何なる意味を込めてか、にゃあと小さく鳴いてから、鞄から零れ落ちるように地に降り立ち、そのままベンチを足掛けに植え込みを飛び越えると、建物と建物の隙間へと消えていった。


「……行っちゃった」

「すがすがしいほどに顧みませんでしたね」


 現金というか、なんというか。野良猫としては賢いやつだったようだ。


「付き合ってくれてありがとう」

「いえ。大したことではないですよ」

「……それじゃ、私は適当にぶらついてから帰るから。先に帰って。行きも帰りも同じだと、いかにも二人で出かけてきたみたいじゃない」


 みたいっていうか。

 それも変に目立たないため、なんだろうか。徹底してるな。


「そうですか。それでは、お先に失礼します。お気をつけて」

「うん」


 美香夏さんと別れて、ボクはひとり寮へと帰宅した。

 ちなみにというか、部屋に戻るとつばささんがしつこく首尾はどうだだのなんだのと聞いてきた。人付き合いに辟易するのもちょっとわかる……というか、あなたまさか美香夏さんの厭人に関わってやしないでしょうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る