第6話 中途半端に手を出すのは

 寮から少し離れて裏門の近くに、ごみ等の収集所が設けられている。

 若干風化しかけているトタン屋根の下に、対照的に小綺麗な黒色に青い蓋のダストボックスがいくつか並んでいて、それぞれの前面には然るべきピクトグラムが描画されている。天面を開いた箱のマークのそれの蓋を開け、持ってきた段ボールを中にシュートする。

 軽く手を払って顔を上げると、裏門の向こうの閑静な住宅街と、そこからにょっきり生えるように建っている鐘楼が目に入った。察するに、おそらくその下には教会があるのだろう。

 奇跡がありふれてしまった現代では、特に奇跡の主導者を象徴とするような宗教は、ややその勢いを減じている。その代わりに天翼会やその他の星辰系新興宗教が調子づいているわけだ。

 あの鐘も、もう死んでしまったのだろうか。少なくともボクはまだ一度もそれらしい音を聞いていなかった。あるいは日曜日には鳴るのかもしれない。

 まあ、あれが廃教会だろうとそうでなかろうと、ボクには直接の関係はないけど。

 どちらかというと、とても狙撃しやすそうなポジションであるほうが問題だった。

 寮の窓は東西の向きになっている。鐘楼はちょうど西側で、廊下側の窓に面しているはずだ。背後を振り返って寮棟を確認すると、やはりそこには窓が見える。けれどそれ以上に、その屋上に何やら人影があるのに視線を惹きつけられた。

 確か立ち入り禁止だったような……。

 手で日避けを作ってじっと目を凝らすと、転落防止柵の向こうに、風に揺れる長い黒髪が認められた。


「……美香夏さん?」


 一度思い当たるとそれ以外には思えなかった。

 何してるんだ、あんなところで。

 僅かな迷いを飲み込んで、ボクは急いで寮に戻り、階段を駆け上がった。

 四階分の階段を上った先、屋上に続く階段は、やや埃が溜まっているが、よく見れば手すりの近くだけ不自然に埃が剥げている。ちょうど人ひとりが何度か行き来しているような、そんな具合だ。

 その足跡を辿るように階段を上り、立ち入り禁止の張り紙がなされた扉の前で軽く呼吸を整える。

 何も問題がないことを確かめなくてはならない。

 それがきっとボクの仕事、そのはずだ。

 ドアノブをひねる。ギ、と小さく軋みを上げて開いていく扉に身を隠しながら、半開きまでいったところで一気に飛び出す。左右と確認。

 屋上には……誰もいない。いや、給水塔の下に非常電源室がある。

 ボクはゆっくりと非常電源室に近づき、その扉に手をかけた。不思議とひんやりとした空気がボクを通り抜けていく。

 果たして、大きなエンジンとボイラー管で満たされた部屋の中には、やはり美香夏さんがいて。それともうひとつ、屈みこんだ格好の彼女の手元にはミカンの箱があり、その中にはなあごと間の抜けた鳴き声を上げる、鈍色のトラ猫が一匹。

 半身こちらを振り返ったままで固まっていた美香夏さんが、重いため息を吐き出してすっと立ち上がる。


「誰にも言わないで」

「は?」

「ここで見たことは、誰にも言わないで」

「え……っと、はい。心得ました。それで、どうしてこんなところで猫飼ってるんですか?」

「別に。先週、暑さにやられているところを拾ったのよ」

「なるほど……?」


 当たり前といえば当たり前だけれど、寮内規則ではペットの類を持ち込むことは禁止されている。人目を避けて、という点ではここはよくできた隠し場所かもしれない。でも……。

 納得しきっていない内心を見透かされたのか、美香夏さんがむっと眉をひそめる。


「何」

「あの、この子はまだ熱中症なんですか?」

「…………ずっと暑い日が続いてるじゃない」


 そんな切実な目をされても。

 その上目遣いはまるで美香夏さんのほうが猫であるかのような錯覚を覚えるほどだったが、ボクはエージェント教育のたまものたる平静をもってこれを無視する。


「それはそうですけど。変に人に甘えさせてしまうのもよくないですよ。保護するなら保護するでいいと思いますけど。中途半端に手を出すのは……」

「……そう。まあ、そうかもね」


 美香夏さんがあごの下を薄く撫でると、猫は機嫌よさそうに目を細める。野良猫にしてはずいぶんと人慣れしているようだ。もしかしたら、もともとこういう風に人に甘やかされていたのかもしれない。


「それか、莉音さんに話してみましょうか。ご存じですか? 彼女、校内新聞を書いていらっしゃるそうで。引き取り手が見つかるかもしれません」

「いえ。このまま放すわ。そこまで迷惑はかけられないもの」

「莉音さんは喜びそうですけど……美香夏さんがそうおっしゃるのなら」

「うん。それじゃ、そういうことだから。ごめんなさいね」


 頭の後ろから背中を降りて、しっぽの先までをするりと撫でて、美香夏さんは猫のおなかに腕を入れてその矮躯を抱え上げる。


「いますぐですか?」

「早いほうがいいでしょう?」


 わかりやすく強がりだった。未練がましく抱えた腕の中で猫の頬をさすっている。


「そこの鞄の中身、出してくれる?」


 視線で示された先の物陰に小綺麗なスクールバッグが置いてある。若干躊躇しかけたが、それを表には出さないよう、なるべく自然にファスナーを開けた。

 中にはスマホ、筆箱やノート、水筒といった学生らしい品々と、化粧セットに頭痛薬といった女の子らしい物品、そしてレジ袋に包まれた小さな牛乳パックが入っていた。

 空になったバッグの口を広げるように持つと、美香夏さんがそっと猫をその中に入れる。窮屈なのか、猫は何度か不満げな声を漏らしていたが、少しすると静かになった。


「さて。それじゃ、ボクは……」

「あなたも来て」

「えっ」

「何か話していてほしいのよ。鳴き声が聞かれないとも限らないから」


 まあ、乗りかかった船か。それこそ、中途半端はなんとやらだ。


「わかりました、ご一緒しますよ。ちょっと連絡だけ失礼しますね」

「何か予定があるのなら、無理にとは言わないけれど」

「いえ、ルームメイトに勉強を教わろうか、というだけなので」


 適当なことを言ったつもりだったが、結構必要性がある文句になってしまった。ほんと、勉強はどうにかしないとなぁ。

 とりあえず、SEINのトーク画面を開いて、つばささんに事と次第を告げておく。携帯をスリープさせようとしたところで、既読の表示、直後に「デート!?」と返ってきた。そのまま画面を消す。

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