第5話 星は願い、願いは痛み
名残惜しくも歓談と昼食の場は終わり、ボクとつばささんは莉音さんと別れ、寮室に帰ってきた。
「まずは片づけをしないと……」
「手伝おうか?」
「いえ、そこまでかかりませんから」
答えてから気づいたけど、護衛対象に雑用させるのもあれだし。本当に、答えてから気づいたけど。もうちょっとお嬢様らしくなってくれないものかな。
部屋の隅にはまだ段ボールが二、三積まれている。昨日は入寮の手続きやらなにやらで忙しなく、開けたのはすぐに必要だった日用品とパジャマ代わりのジャージ、それに制服くらいだった。特に明日使う教科書類は必ず出しておかなければ。
爪の先をテープにあてがい、ダンボールの封を切る。
これは……電子機器か。
ノートパソコン、スマートフォン、各種ケーブルといった一般的なものはもちろん、設置式の小型カメラや通信暗号化モジュール、赤外線警報機といったものまで揃えられている。まあ、後者は使う予定が出てからでいい。パソコンとスマホ、充電器等々だけ取り出して、残りは段ボールに詰めなおす。
「優ちゃん」
「はい? うわっ」
顔を上げたところに飛んできた何かを反射的に身を引いてかわす。
ボクの背後に落ちたそれは、制服だ。ブレザーとスカート、それにリボン。
本当に、あと少しだけでもいいから、お嬢様らしくなってくれないものかなあ!
「いや、ある意味お嬢様らしいといえばらしいのかな。でも、お付きはお付きでも、ボクは執事じゃなくてSPなんだけど」
「メイドじゃないのー?」
「違います!」
少し隙間が空いている洗面台への扉に向けて叫ぶ。鍵閉めてください。
とりあえずつばささんが投げてよこしたそれらをハンガーにかけ、作業に戻る。パソコンやスマホをロフトベッドの下に設けられている学習スペースに置き、段ボールのほうはクローゼットの中へ。と、何気なく開いたそこには、つばささんの服がいくつか、かかっていた。クローゼットはひとりひとつずつ用意されてるはずなんだけど。まあ、使われてなきゃ使うというのも、ひとつの要領ではある、かな。
とりあえず段ボールはチェストの上に置いておこう。
と、タイミングよく背後で洗面台の扉がスライドする音。
振り返ると、シャツとホットパンツに着替えたつばささんがこちらに近づいてくる。そのシャツにプリントされている珍妙なキャラクターはいったい。カートゥーン調の、爆弾を頬張った……ペリカン?
じゃなくて、脚出しすぎだよ!
「あ、そういやそこ使ってたっけ。……そのままでいい?」
「よくないです。先ほどの制服もそうですし、その恰好も。お願いですから、もうちょっと恥じらいを持ってください。ボクは──」
「女の子同士じゃん」
「違う! しつこいですね! 次それ言ったら怒りますよ」
「へい……」
つばささんは渋々といった感じで服を引き上げていく。
チラッと見えた向こうのクローゼットの惨状は忘れることにしよう。次の段ボールは……あ、教科書だ。
ひとまとめごとに机の上へと運びながら、まだクローゼットの前でごそごそやっているつばささんに向けて語り掛ける。
「逆に聞きますけど、つばささん、よくそんなにあけすけでいられますよね。まさか本当にボクのこと女性だと思ってるわけじゃないですよね?」
「まあね。でも見た目女の子だからあんまり、っていうところは実際あるよ」
「……そこを言われるとちょっと弱いですけど。でも、男は男です、よっ」
よし、これで終わり。最後の段ボールは……たぶん部屋着かな。
「へえ? だったらちょっとくらい男の子らしいことやってみてよ」
「何を? 襲えってことですか? そういうことは、ボクはAフォーに釘刺されてますからね。俺の娘に手出すなって」
ああ、やっぱり服だ。Tシャツとスウェットの組み合わせが何着か、それに下着類が入っている。男女兼用と銘打たれたショーツとボクサーの中間的なパンツと、パッド入りのスポーツブラだ。見るのも若干憂鬱だが、必要には違いない。
「じゃあAフォーの娘じゃなかったら手を出してたの?」
「……あと。そもそもボクは、女性男性関係なく、ボディコミュニケーションは苦手です。ボクには星辰がありますから」
「オンオフは利くでしょ」
「暴走することもあります。実際、今日起こったばかりですし」
クローゼットを開け、恐る恐るチェストを引き出す。幸い何も入っていなかった。ほっと胸を撫で下ろし、衣服を分別してしまっていく。チェストは少し小さめだが、服のほうも数が少ないので、そこまで苦労はない。
「ふーん。でもさ、あたしは優ちゃんのこと大好きだから。読まれてもお互い問題はないぜ」
「あるの! まったく……。というか、まだ会って二日ですよ? 好きも嫌いもないでしょう」
「そう思う?」
「何が言いたいんです?」
よし、終わり。クローゼットを閉じて、振り返る。
するとつばささんの顔が目と鼻の先にあり、ボクは思わずたたらを踏んで後ずさった。つばささんはさらに一歩距離を詰め、重ねて一歩引こうとしたボクの背中が、クローゼットの戸を小さく軋ませる。
「な、なんなんですか……?」
「優ちゃんのこと、あたしはずっと前から知ってるのかもよ。八年前から、とか」
指先がすっと冷え、痺れるように震えた。
つばささんの瞳に冗談の気配はなく、ただ底知れない深海のようにボクを包み込んでいく。
「……まあ、あなたの立場なら、エージェントひとりの過去くらい調べられますか」
八年前。ボクが星辰を手にした日。拭えない罪を犯した日。
かつてのボクが死んだ日。そして、ボクがエージェントとして生きると決めた日。
「
「は?」
「きみはもう痛みを支払った。なのに、それで得た星辰を使って自分を痛めつけ続けている。それは、違うよ。きみはもっと幸せになるべき」
「何を、言って……」
「あたしの本心だよ。覗いてみる?」
「……遠慮します」
「なんてね」
たた、と踊るように後ろ向きのステップを踏み、にこりと微笑む。
底が知れない。さすがはあのAフォーの娘というべきか。踏み込めば踏み込むだけずぶずぶと沈んでいきそうな、闇のような、沼のような深淵は、通ずるところがある。
「ところで、問題なのは優ちゃんが誰かに触るときで、誰かに触られるぶんには問題ないんだよね?」
「星辰の事に限ればそうですけど。触れられるのが苦手なのも事実ですよ」
「そこは慣れじゃん。よーし、今日からつばささんが一緒に寝てやろうじゃないか」
「遠慮しーまーす!」
身をくねらせるな。
「まあ待てって。慣れておかないと、いざというときに困るかもよ?」
「いざというときって、例えば?」
「ほら……美香夏さんと二人きりの教室に、突然テロリストが! ぶっ倒すのは簡単だけど、そんなことしたらボクが普通じゃないってバレちゃうよ!」
「もしかしてそれはボクの声真似のつもりですか?」
似てないっていうか、単にバカにされてるだけに聞こえるんだけど。
「とりあえずロッカーに二人で隠れる! あぅぅ、美香夏さんと身体が密着して……! はいどうぞ」
「不愉快です。ボクはあぅぅなんて言いません」
「そこじゃないわ!」
ツッコミで質問が有耶無耶になったところを逃さずに、ボクは切り出す。
「さて。ボクは少し段ボールを片付けてきますので、この部屋で待っていてください。来客は必ず覗き穴から確認すること」
いましがた片づけた二つの段ボールを潰し、小脇に抱える。
「そこまで神経質にならなくても、そうそう襲われやしないって」
「ついさっきテロリストがどうとか言ってたじゃないですか。では、よろしくお願いしますね」
部屋を出て、寮の裏にある資源回収スペースに向かいながら、仮定と問いを頭の中で反芻する。
もしも本当にそんなことが起こったなら。
ボクが取るべき行動は、速やかに外敵を排除し、つばささんに合流することだ。目撃者であるところの美香夏さんは、機関が回収して、洗脳なり何なりの処置を行うだろう。
つばささんはきっと怒る。だから言わなかった。
けれどそれ以上に、うっすらとそれに抵抗を覚えている自分が、それを口に出すことを止めていた。
たった二日だ。しかも昨日は寮に入ってきただけだから、実質的にはまだ一日ですらある。
それでも、一日でわかることも確かにある。
ここは、血と謀略の世界とは無縁な、普通だ。
ズキリと胸が痛む。
「星は願い、願いは痛み……だっけ」
星辰の発現は、何らかの極めて強い『願い』に起因しているのではないか。
星辰界隈ではしばしば言われていることだった。もっとも、既に広く認められた『ひとりにひとつだけ』の原則とは異なり、まだ推測の段階ではあるけれど。
その願いが自身の存在を脅かされる『痛み』からくる、とするのも、筋は通っている。
溺死しかけている人間なら、呼吸をしたいと思うだろう。それで水中呼吸の星辰を手に入れる……というようなケースは、実際のところかなり多いと聞く。
けれど、ボクがどうだったのかはわからない。
八年前。ボクが星辰を手にしたときのことで覚えているのは、星辰を手にしてしまった結果と痛みだけだった。
ボクはいったい、何に苦しみ、何を願ったんだっけ……?
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