第4話 (続き)
それからは全校集会や掃除等々を経て、十二時前に解散となる。
ついぞ美香夏さんとは話す機会がなかった。……って。少しあの恋心に引っ張られてるな。トラブルを防ぐためにも、仲良くできるならそれに越したことはないが、躍起になるほどのことでもない。美香夏さんのことはひとまず忘れよう。
ただ、恋心の主のほうは少し知っておくべきかもしれない。
要するに、彼女はかつて在校したが、おそらくいまはそうでない生徒。あのネックレスの、認識阻害使いの可能性がないわけじゃない。
というわけで、放課後もわらわらと群がってきた人込みをようやく抜け出したあと、ボクはつばささんにそのことを訊ねてみることにした。
「つばささん。ちょっとお聞きしたいんですけど」
「どしたの?」
「美香夏さんに恋愛感情を抱いていた生徒について心当たりはありますか?」
「はっ!? え、ま、マジ? ほんとに花開いちゃった?」
どういう反応?
「……ボクの星辰はご存じかと思いますが。ボクが座っていた机から、そういうビジョンが見えたんです。でも、彼女の机をいまボクが使っているということは、元の彼女はどうなったのだろうと」
「あ、ああ。そういうこと。んー……でもごめん、ちょっとわかんない」
「いえ、聞いてみただけなので。ボクのほうで調べて……」
「いや、美香夏ちゃんマジでモテモテなんだって。心当たり多すぎてよくわかんないよ。なんか変な感じになって退学しちゃった人だけで三人いるもの。そのどれかかもしれないけど、どの子の机が優ちゃんに回ってきたのかはわかんないしな」
「ええ……?」
そんなことある?
美少女も大変だなあ。……他人事じゃないかもしれないけど。
つばささんは一本、二本、三本と指で数えた手を下ろし、ずずいと顔を寄せてくる。
「もうちょい詳しく教えて。そのイベントってどんなだったの?」
「恋に落ちる瞬間、だったと思います」
「いやん、甘酸っぱい!」
くねくねと掻き抱いた身をよじらせる。真面目に聞いてほしい。
「……続けますよ。真夏の朝でした。ちょうど今のボクと美香夏さんのような座席関係で、窓側に美香夏さん、廊下側にビジョンの主の席が隣り合わせにありました。思うと、いまよりもっと窓際の席かも」
「……あー。恵那ちゃんかもな」
「お知り合いですか?」
「まあね。でも、認識阻害使いを疑ってるなら、違うと思うよ。あの子の星辰、記憶力強化だったから」
星はひとりにひとつだけ。多種多様な星々の中で、唯一共通する大原則だ。
……しかし、記憶力強化は、学生が持つには犯罪的だなあ。さすがにボクらが取り締まるようなレベルではないけれど。
「そうですか。まあ、ボクもないとは思いました。天翼会の連中が恋にうつつを抜かしているわけがないですからね」
「んー? どうかな。恋は、目の前にすれば止まれないものなんだぜ?」
「……ご経験が?」
するとつばささんは昼行灯から一転、小悪魔めいた微笑の前に人差し指をかざしてみせた。思わずどきりと心臓が跳ねる。熱を生むというよりは熱を奪われるような、不吉な美しさがそこにはあった。
「秘密。隣り合わせの布団の中、薄明かりを頼りに話す恋バナの中でなら、もすこし深く教えてやらんでもない」
けれどそこから繰り出される言葉はいつも通りの調子で、その言葉が終わるころには、つばささんはボクに向けて傾げていた上体を正している。
「……はあ」
「おぉい、もうちょっと興味示せ。それで?」
「それで、というと?」
「いや、続き。場面設定までは聞いたけど、具体的な内容聞いてないじゃん」
「……ボクが他人の秘密を探るのは、仕事であって趣味ではないので。ましてそれを無意味にひけらかすことはしません。最低限の礼儀です」
「えぇ、つーまーんーなーいー。お嬢様命令だ、ぞ!」
いかにも不服そうに身体を振っていたかと思えば、腰に片手を当て上体をやや捻り、もう片方の手をびしっとボクに突きつけると同時、首をぐりんと動かして注目を引く。よくそんなポージングぽんぽん出てきますね。
「はいはい。昼食はどうしますか?」
「あー。いつもは学食で食べてるんだけどさ。人混み避けるなら、どっか出て食べようか?」
「……そういう気遣い、できたんですね」
「ちょいちょいちょい。このつばささんに対して何を言っとるかね」
ついさっきまで人の恋路をネタにしようとしてた人なんですけど。
「でも、学食も見ておきたいといえば見ておきたいところですから」
「んー、そう? なら……行くかい?」
「はい。この棟の一階でしたよね?」
寮の一階にある食堂は単に寮の設備であって、料理の鉄人が朝そこにやってくるのは別のサービスだという。学生の昼食・夕食に向けては教室棟一階奥に紛れもない学生食堂が設けられており、寮の食堂で自炊するか、外食するかと合わせて三択になるようだ。一応部屋のケトルでカップ麺すするって手もないわけじゃないけど、まさかこの学校の生徒に限ってそんなことしてるやつはいないだろう。
人の流れもおおむね昇降口に向かうものと学食に向かうものとで割れており、ボクたちもそれに従って階段を降り、学食へと向かった。
一階、と聞いていたのだが、着いてみれば、正しくはそれは「一階から接続した巨大なテラス」のような場所だった。
広い天窓からめいっぱい取り込まれた陽光が射し込む室内には、圧迫感も無駄も感じない絶妙な数のテーブルが規則正しく並べられていた。一見すると、全体的にモノトーンの色調でモダンさを演出しているように思えるが、シルエットは柔らかかつ複雑な曲線を多く採用しており、どこか女性らしい凛々しさを感じさせる。学校の食堂というより、洒落たレストランというほうが伝わるだろう空間だったが、受付と厨房、返却口が一体になったカウンターなどは、いかにも学食らしい。あるいはフードコートのテナントか。
そんな観察を経て、ピアノの鍵盤に似た風体の天井を見上げていると、背後に気配を感じた直後、肩がぽんと叩かれた。振り向くと、そこには見覚えのある金髪の少女。いまはカメラは提げていないようだ。
「莉音さん。こんにちは」
「はい、こんにちは、優センパイ! 昼食はこちらで取られるんですか? よかったらご一緒しましょう!」
「もちろん、喜んで」
「優センパイは、ここにいらっしゃるのは初めてですよね? なれば僭越ながら、このわたしがご案内してさしあげましょう!」
「あー、優ちゃんの初めてはあたしがレクチャーするはずだったのにー」
「冗談はせめて場所を選んでください」
「あ、あはは。さて、それでは気を取り直して。カウンターですぐ注文なので、優さん、何か食べたいものありますか? 色々ありますよ。ちなみにわたしのオススメはきつねうどんです!」
「き、きつねうどん?」
「ご存じないのです? きつねうどん」
「いや知ってはいますけど。ここで出てくるとは思わなかったです。本当に色々あるみたいですね」
「あるよあるよー、かけうどん、月見うどん、天ぷらうどん、肉うどん、カレーうどん」
「うどん専門店なんですか?」
「他にもありますよ! 味噌ラーメンとかざるそばとか担々麺とか!」
「なんで麺類ばっかりなんですか!?」
ていうか、このお洒落さからラーメン出すの!?
「まあ、メジャーなとこなら大体頼めるよ。麺類以外もね。優ちゃんはなにか好きな食べ物あるの?」
「え、っと。ツッコんでおいて何なんですが、実はボクもうどんが好物でして」
「おおっ! それでは是非、きつねうどんをご賞味あれです!」
「せっかくですし、そうしましょうか」
「はい! もちろんわたしもきつねです! つばさセンパイはお決まりですか?」
中指、薬指、親指を合わせ、残りの二本を立てた、つまるところキツネを両手に、つばささんに水を向ける。
「うん。カレーうどんにしよっかな」
「では行きましょう!」
カウンターで注文を済ませると、17と印字された立て札を渡される。これをテーブルに置いて待てということらしい。
目に入った空席に着座し、運ばれてきたお冷で口を濡らして待つ。しばしというほどもなく料理が運ばれてきて、「ごゆっくりどうぞ」の言葉と共に立て札が回収されていく。
三人いただきますを交わした後、隣でつばささんはいそいそとナプキンを折って首元に差し込んでいる。案外それなりに様になっているように見えたが、直後つばささんはスプーンを手に取ったかと思えば、縁でうどんを一口大に切りながら、いっそマカロニのようにして食べ始めた。ひどい。
対して莉音さんはつるつると一見豪快にすすっているようだが、よくよく見れば箸を巧みに使って、完全に麺を制御下に置いている。もちろん汁はぴくりとも跳ねていない。これが育ちの差か。あるいは女子力の差かもしれない。
ボクは莉音さんほど上手くはできないが、それなりに気を遣いつつゆっくりと麺を口に運んでいく。
「……あ、おいしいですね」
「でしょう! 口当たりにも楽しい、程よいコシ。つゆは少し薄味ですが、麺のほうがよく絡んでくれるのでこれがベストです。おかげで出汁ひとつひとつの細かな機微までバッチリ伝わってきます! しかし、それがたっぷりとしみ込んだ油揚げはというと……」
伊達に聞屋ではないらしく、煽りが異様に上手い。思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。たまらず油揚げを箸でつまむと、ジュワッと箸で寄せた部分からつゆが溢れ出てくるのがわかる。
「ん……」
噛み切れば、溶けだした素材の数々が口の中で弾けるような、暴力的なうま味。
うっかり感涙しかけた。
「ご満足いただけたようで、何よりです!」
「ええ、本当に」
「……ねえ。一口くれない?」
「嫌です」
「えー、けち。いいじゃん女の子同士なんだしさあ」
違うでしょうが!
「あはは。つばさセンパイ、よかったらどうぞ」
「お、莉音ちゃんは優しいねえ。どっかの優しそうな名前してるひととは違うな」
莉音さんが半分ほどになっている油揚げを持ち上げ、手で下に皿を作りながらつばささんの口元に持っていく。つばささんがぱくりと一口、唇の端から滴った汁を指先で拭う。
「おお。確かにおいしい。じゃあはい、莉音ちゃんもどうぞ」
「いただきます!」
つばささんはお返しにとスプーンにカレーマカロニもどきをすくう。
だから麺ちぎるなって。
莉音さんは燕のようにそれをついばみ、何やら微妙な表情をした。
「おいしいですけど……食感が未体験です。カレーのお米が変になったみたいで」
「でしょうね」
「カレーは服に付いたら困るじゃん」
「普通にカレーライスを頼めばよかったんじゃ?」
「いや、二人ともうどんなのに、ひとりライスっていうのもなって思って」
そういうものかなあ?
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