第7話 ラッキースケベは主人公の特権だろ

 学校生活二日目の朝、昨日よりはどこかゆったりした空気の中であれこれの支度が行われていた。が、不意につばささんの一言で緊張がもたらされる。

 いや、正確にはその一歩手前、彼女が洗面所の扉をガラガラと開けてきたところで、すでにボクにとってはエマージェンシーだったけど。


「優ちゃん」

「服! 前締めてから出てきてくださいよ!」


 つばささんは、明らかに着替えの途中だった。ブラウスのボタンがほとんど留まっていない。

 当然、ボクの手元にあるような飾り気のないアンダーウェアとは似ても似つかない、ラグジュアリーな薄桃色のレース地のそれを目にしてしまう。

 すぐに目をそらし、羞恥やら怒気やらちょっぴりの興奮やら、いろいろな感情で赤くなった顔を手のひらで扇ぐ。


「ラッキースケベは主人公の特権だろ?」

「ラッキースケベですらないでしょ!? 自分から見せてたらただの痴女じゃないですか!」

「言ってくれるねえ。まあまあこれ見て、真面目な話だから」

「……服は?」

「着たって」


 ゆっくりと呼吸を落ち着けて振り向くと、確かに第三ボタンまでは留まっており、少なくとも下着は見えていない。いや全部締めろよ、と言いたい気持ちもあったが、それよりも、つばささんがこちらに向けているスマートフォンの画面からは本当に真面目な話が窺えたので、黙ってその文面を読み進めることにする。

 それはニュースアプリの記事のひとつだった。上部には速報の二文字が赤くポップアップされている。

 表題は『高校生の星辰暴走再び。複数名死傷』だ。


「星辰暴走……」


 学園からそう何駅も離れていない場所で、高校生が星辰魔法を暴走させ、本人死亡のほか、通りがかりの数名を死傷させたようだ。

 ボクが度々悩まされる『暴走』と本質的には同じだった。精神の昂りによって、意図せず星辰魔法が発動してしまう状態……ただし、自己弁護するわけではないが、ボクのものとはケタが違う。水漏れする蛇口と開いたまま閉まらなくなった蛇口は明らかに別の問題だ。

 これほどの暴走は珍しい。というか、こんな暴走がちょくちょく起こるようでは、とっくに日本は終わっている。だが。


「また、だね」


 そう。またなのだ。

 この数か月間で、同様の大規模な暴走は、今回を含めれば実に五件。しかもそのどれもが都内で高校生の起こした暴走だ。明らかに偶然ではない。一連の事件は当然、機関の捜査対象となっている。

 ボクは直接関わっていないので捜査の進捗はあずかり知らないが、難航しているらしいことは伝え聞いていた。

 ……A4の指示を仰ごう。

 クローゼットを開け、段ボールから通信秘匿モジュールを取り出し、スマホに接続する。昨日の今日で使うことになるとは……。

 直ダイアルで発信し、スマホを耳にあてがう。

 三回目のコールが終わると同時、通話が繋がる。本部に施されている電波攪乱モザイクの影響で激しくノイズが走っているが、聴覚から不要な音を切り捨てる技術はエージェントが教えこまれる技能のひとつ。さほどの問題ではない。


「父さん。今朝のニュース見ました。そちらは大丈夫ですか?」

「ああ、パパは大丈夫だぞ」


 万一の盗聴に向けた意識での会話設定だけど、乗ってこられるとちょっとイラっとくるな。


「優も気をつけろよ。普段通りの学校生活を送れるに越したことはないからな」


 任務は現状維持、でいいらしい。たぶん。


「わかりました。身の回りには注意しておきます。父さんも、どうかご自愛くださいね」

「おう。あ、そうだ。そういえば授業参観とか──」


 通話を切る。発信履歴を消し、モジュールを外して段ボールへ。

 するとつばささんがスマホをいじっていた指先を止めて訊ねてくる。


「パパさん、なんだって?」


 あんたの父親だろ。


「変わりなく過ごせと。向こうは心配いらないそうです」

「えー、つまんないなあ」

「面白さの話じゃないですから」


 とりあえず一端の落着を見たところで、満を持して僕は切り出す。


「ボタンはちゃんと上まで締めてください」

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