第2話 星辰の輝きを、誰もが誇りに思える未来を
取り急ぎ帰還報告と認識阻害使いの報告だけ済ませてから、医務室で治療を済ませた。もちろん治療もそういう星辰を持つ者が常駐しており、腕と肩の銃創は傷跡も残らず完治していた。とはいえ、流出した血までは戻せないので、ボクは点滴スタンドに繋がれて、ガラス戸棚にずらりと並んだ薬品のラベルを眺めながら、ぼうっと輸血を受けている。
「ベッド使っていいわよ? なんならアタシがしてあげましょうか……添・い・寝♡」
声のほうに視線を向けると、材木を束ねたようなぶ厚い筋肉を備えた巨漢が、マグカップを片手に立っていた。シャツはおろか白衣もパツパツだが、不思議とそこまで窮屈な印象はない。彼女こそ、医療系の星を有するエージェントのひとり、Eスリー。ある意味でボクの対偶みたいな人だった。
彼女の場合、身体的な性が明確に違っているぶん、ボクより大変なのか、それともいっそ楽なのか。どちらにせよ、個人的には親近感を感じている。
「まだ仕事がありますから。それより、採取した血液のほう、よろしくお願いしますね」
「もちろん、任せておいて。とは言っても、特定できるのかどうかは怪しいケド」
あの認識阻害使いの痕跡である、ボクの拳に付着していた血。何か掴めれば万々歳だが、Eスリーの言葉通り、可能性としては小さい。警察の使うDNAデータバンクまでは手が伸びないとか、天翼会の徹底した秘密主義だとか以前に、そもそも前時代の絶対的個人証明が、果たして本当にまだ絶対なのか、という疑問もある。
「ま、なんにせよお大事に。あんまり根を詰めすぎちゃ駄目よ。仕事熱心なのはステキだけど、自分の身体も労ってあげて。せめて今夜は早く休むコト、イイわね?」
「ありがとう、そうします。それじゃ」
「は~い、お疲れサマ」
朗らかな見送りに軽く手を振り返して、医務室を出る。
あとは今日中に作戦レポートを提出しないと。作戦の段階をひとつずつ思い返しながら廊下を進み、上向き矢印を示すプッシュパネルの下、知らなければ見落としてしまうかもしれない小さな穴に向けて、IDパスを提示する。ピピッ、と承認の電子音と共にエレベーターの扉が開く。ここで誤ってパネルを押して乗り込むと、エレベーター内には催眠ガスが充満することになるという、一種のトラップだ。
ボクは四階のボタンを押し、重い浮遊感に身を預けた。
実はこの建物は、表向きはマンションとして偽装されている。というか、医務室や指令室など、機関としての首脳部が入っている地下を除けば、事実としてもマンションに間違いない。まあ、入居者はエージェントやら何やらしかいないけど。
まもなく目的階に到着し、小さなチャイムと共にドアが開く。シンプルなエレベーターホールを出て左、三つめの部屋が、ボクに宛がわれた部屋だった。さて、ようやく自室の前まで来て、今度はその本懐通りルームキーとしてパスを提示しようとしたところで、ふと違和感を覚える。
……中からテレビの音が聞こえる。
消し忘れの線はない。なぜならボクはテレビを見ないから。
とくれば、秘密組織内のプライベートルームという、二重に守られるべきプライバシーが看破されているという大問題だ。が、これに関しては常習犯を知っていたので、特に慌てたりはしなかった。代わりに小さな覚悟と共にドアノブをひねる。
そして部屋の中を進んでいくと、リビングには思い描いていた通りの人物が、ソファに背を預けたまま、こちらに軽く手を上げていた。
「おう。お疲れさん、Dシックス」
「……Aフォー。勝手に他人の部屋に入らないでください」
「職業病だよ職業病。閉じてるもんは開きたくなるんだ」
「電子錠ですよね?」
「錠には変わりないだろう」
いつもどこかぴりぴりとしたこの職場で、どこか飄々としたお気楽ムードを漂わせる無精ひげの男。Aフォーは、ボク直属の上官だ。
なお、エージェントのコードネームは、入隊時期をアルファベットで表し、数字は単なる個人識別のためにつける。
つまるところ、Aナンバーは機関創立時のエージェントに与えられたコードネームであり、なおかつ現在生き残っている者となると、もう目を合わせるだけでも労力を使うような、人間をやめた人間ばかりである。が、この男だけはそのへんのお兄さんとおっさんの境界に立つ三十路と大差なかった。少なくとも見かけ上は。
この疲れの中では大変ありがたいことではあるが、それを言うなら、そもそもコレとも会うことなく、レポートを提出して寝られたら一番良かった。ていうかほんと、なんで毎回ボクの部屋にいるんだよ。せめて呼び出してほしい。
「あなた、エージェントになってなかったら銀行強盗か何かになってたでしょうね」
「否定はしきれんな」
してよ。
「ああ、そういえば負傷したんだってな。具合は?」
「特に。ただの銃弾でしたし、弾も
「ならいい。お大事に。で、認識阻害使いの件だが、アクセサリーもぎ取ってきたんだって?」
「ああ……はい。これですけど」
ポケットから、例の銀色の月のアクセサリーを取り出す。ちゃり、と控えめな金属音と共に宙を揺れる月を数秒凝視してから、Aフォーは「俺が見てわかるわけないな」と言わんばかりに肩をすくめた。
「中身はもう視たのか?」
「まだです。あなたと見たほうが説明の面倒がないと思って」
「おい、いちおう上官だぞ。危険物かどうかくらい確かめろ」
「あなた、ボクのネックレスでも眉動して終わりじゃないですか……。いきますよ」
「待て、心の準備が」
わざとらしく慌てる上官には構わず、ボクは星辰を起動する。
目を閉じ、再び開くと──私は、大きな姿見の前に立っていた。ブラウスタイプの学生服をまとった慎ましやかな胸元。ひとつ息をつき、リボンを付ける前に、首下から銀色の月のネックレスを引き出した。
決めた。私は、決めたんだ。
星に選ばれたあの子が、ずっと苦しんできたあの子が、あんな顛末を迎える世界なんて、間違っている。
私は望む。誰もが星を統べ、誰もが星に統べられる世界を。
星辰の輝きを、誰もが誇りに思える未来を──。
ふっ、と、そこでビジョンは終わった。瞬きと共に元の視界、ボクの部屋と、ソファにどっかりと座ったままあごに手を当てている上官の姿が戻ってくる。
せっかく鏡まで出てきたけど、顔は確認できなかったな……。
「……誇れる未来、ねぇ……」
「天翼会の教義そのままですね」
星辰魔法が珍しくなくなった現代でも、星辰魔法を使える人間と使えない人間とでは、使えない人間のほうが多い。概算では四対六と言われている。当然、星辰魔法が発見されてすぐの頃は、星辰使いの数はもっと少なかった。そして彼らは往々にして、化け物だ何だと
機関と何度も衝突してきた過激派星辰組織の筆頭たる天翼会だが、実のところ、最初はそうした星辰使いたちが集まった、ある種の人権団体、あるいは、傷ついた狼の群れであったらしい。
天を羽ばたく翼のように。
星辰は、そして星辰使いは。ただ、自由であっていい。
……そんな純粋な願いは、いまや血と泥にまみれた渇望へと成り下がってしまったようだが……その教義は未だに失われていないがために、彼らに抱き込まれる人間も少なくない。どうやら認識阻害使いも、その一例らしかった。
「ところで、あの服、
「え、キモ……」
「おい、博識と言え。というか違う」
「何がですか」
「だから……その……」
珍しく歯切れが悪い。不思議に思いながらも待っていると、Aフォーは深いため息と共に答えを吐き出した。
「俺の娘が通ってるんだよ……」
「……えっ!?」
「誰にも言うなよ」
「そりゃまあ、言いませんけど。どうするんですか? 万一ということも……」
「フゥ……よし。Dシックス。任務を告げる。貴官はかの高校に学徒として潜入、対象を護衛せよ」
「はっ! ……はっ?」
勢いよく返事をしてしまってから、あれおかしいぞと思い当たる。もう一度確認してみよう。
「あの。女子高なんですよね?」
「そう言った」
「……ボク、男ですよね?」
「いけるいける。その見た目だろ。さすがに、この個人的な状況ではお前くらいしか動かせん」
「いや……まあ、まあ、百歩譲って見た目はいいとしましょう」
不本意なことに、ボクは可愛い。そんじょそこらのアイドルより可愛い。なんでこうなってしまったのかは知らないけど。だが、とはいえだ。そもそもの話、仮にボクが女でも、この任務には不適切だろう。
「でも、ボクは顔を見られてますよ、たぶん。透明人間は盲目っていうのに賭けるんですか?」
網膜が透明、つまり光をスルーしちゃうようだと、視覚情報として取得できなくなるから。
にしては銃当ててきたけどな。
「別に、お前の顔見て逃げるならそれでもいいだろ。もちろん確保できるのがベストだが、そもそもあのビジョンが何年前の出来事なのかはわからない以上、すでに卒業している可能性もある。最優先は娘と学校の安全。天翼会の確保は二の次だ。何も起こらないなら、それでいい」
「はあ……」
「どうするにしても、娘には火の粉をかけるなよ。お姫様と騎士なんかじゃなく、あくまで仲の良いルームメイトとして振る舞っておけ」
「……ルームメイト!?!?」
「あそこは二人一部屋の全寮制だ。だがいまは生徒数が奇数でな、娘は偶然にも一人で部屋を使っている。とくれば当然、転入生のお前はそこに入る形になるだろう」
「それでいいんですか!? 父親として! 娘と女装した男が同じ部屋で!」
「お前の良心に期待する」
「えぇぇぇ……」
そうして、下された奇妙な任務と共に、ボクの奇妙な学校生活が始まるのだ。
ひらひらのスカートで。
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