第3話 春風のような人でしたね

 六時半の日差しの中、姿見に閉じ込められたその姿をじっと眺めてみる。

 視線を返してくるのはどこかおっとりとしたアイラインに囲まれた濃紺色の瞳。すらりと切り残したような鼻に、薄く色づいた唇。滑らかに鋭い弧を描く顎の線。そして茶髪というよりは金髪に近い亜麻色の髪は、やや癖っぽく、毛束は肩あたりで外に向かって大きくハネて、それらを発散させる。

 と、まあ、客観視してしまうと自分の美少女っぷりに嫌気が差すばかりだが、今回はそれだけにとどまらない。

 あのビジョンで見たのと同じ、身体のラインを感じさせない現代的な可愛さに包まれたブラウス&ジャケットと、その中心に君臨する巨大なリボンに、えんじ色を核に纏められたチェックスカート。

 誰がどう見ても、うら若き女子高生と疑わないだろう風貌だった。

 これがただ胸にパッドを入れて女の服を着ただけなのだから恐ろしい。顔はまだしも、肩幅や腰に一切調整がいらないのは骨格としてどうなんだ……?

 ちょっと本格的に自分の性別がわからなくなってきてしまった。


「ふー……駄目だ。しっかりしないと」


 確認と現実逃避のために、自分のプロフィールを頭に呼び起こしてみる。

 萩原優はぎはらゆう。それが今回の任務で使うボクの名前だ。実は初案はゆいだったのだが、せめてもう少し中性的にしてくれと懇願した結果、優に落ち着いたという経緯があったりなかったり。年は元のまま、十六歳。高校二年生だ。護衛対象が同い年で設定をひとつ省略できたのは良かったとはいえ、ボク、高校一年生の内容とか何も知らないんだけど。なんなら中学も通ってないし。

 なんだかこっちはこっちで現実逃避したくなってきたところで、背後から、洗面台の扉がガラリとスライドする音が飛んでくる。次いで、元気溌剌だが、同時にゆるりとふわついた、春の晴れの雲のような。あるいは、子供が力任せに奏でる木琴みたいな。

 言ってしまえば、どこかすっとぼけたお気楽な声が、ボクの耳朶を叩く。


「お~、似合ってる似合ってるぅ。さすがだね、優ちゃん。聞きしに勝る女の子っぷりだよ」


 彼女は、ボクの肩に顎を乗せるようにして、姿見をのぞき込んでくる。くしゃりと潰れた茶髪からしとやかな桜色の香りが広がり、否応なしにボクの肺の中に取り込まれていった。


「どうも……あの、近くないですか?」

「ん~? 女の子同士なら普通じゃん? あたしで少しでもなれておきたまえよ、きみ」


 女の子同士だとしても、と思わないでもなかったが、敢えて触れはしなかった。まだ出会って丸一日も経っていないのだけど、この方の一挙一動は何かと想定していたものになく、困惑するばかりだ。まあ、過度に嫌われるよりはよほどいいんだけど。誰にでもこんな感じだとすると、それはそれで守るのには大変そうだ。

 ……そう。彼女こそ、客星機関の有力者・Aフォーの娘、篠崎つばさ。

 今回ボクが守り抜くべき、護衛対象だった。


「そろそろ。朝食の時間ですよね?」


 するりと柔らかい拘束から抜け出して振り返る。印象の割に体幹はしっかりしているようだったが、さすがに女の子のお遊びに負けてはエージェントとしてやっていけない。


「そだね。ようし、行くぜ優ちゃん。みんなにも紹介してあげないと」

「あまりボクが目立つのは避けていただけるとありがたいのですが」

「九月の転入生って時点でいまさらじゃん?」


 それはまったくもってその通りですけどね。


「あと、優ちゃん超かわいいし。話題にならないほうが不自然っていうか」

「……はあ」


 反応しづらい。

 最後にもう一度姿見で不具合がないかを確かめてから、つばささんに続いて部屋を出る。

 廊下は茶金と赤を基調としたクラシカルな豪華さを演出する調度となっていて、知るところではホテルのそれに近い。あまり学生寮というイメージではないことは確かだ。しかし、そこを歩く生徒もまた、若く未熟なだけのそれとは違う。年相応の活発さや可憐さの根底には揺るがない気品が存在し、それはふとした一歩の姿勢や、談笑をかたどる言葉の端から、香り立つようにして感じられた。

 比較的裕福な家庭が多いこと自体は承知していたけれど、意外としっかりしているものだな。戦闘訓練より社交の場に溶け込む作法のほうが苦しかった記憶をじんわりと思い出しつつ、周囲の雰囲気に合わせて自分の身体の取り扱いをブレンドしていく。

 ……こうして見ると、つばささんはちょっと浮いてるな……。ここがチューリップ畑なら、つばささんはモンシロチョウ。風に揺られてふらふらと。そんな感じ。

 ただ、それは決して人間関係でも浮いているというわけではないらしく、つばささんは行き交う生徒たちの多くと懇意そうに挨拶を交わしていた。ボクは極力気配を殺して、つばささんの三歩後ろを歩く。ときたま「あんな子いたっけ?」という旨の小声を聞くこともあったが、敢えて話しかけてくる子はいなかった。

 そしてそのまま廊下を進み、階段を降っていく、そのとき。

 ボクたちは、一人の女子生徒とすれ違った。


 一言で表すなら、凛冽りんれつ極まる厳冬の針葉樹みたいな女の子だった。

 雪に濡れたしとやかな黒髪の内に氷のように冷えた瞳。ひとつひとつ全てが美しく、なのにそのどれもにどうしても近寄りがたい雰囲気があり、しかしその孤高こそが不思議なまでに興味を引き付けた。

 ボクがつい彼女を見つめてしまったのとは裏腹に、女の子はボクたちには目もくれず、そのまますたすたと歩き去っていってしまう。


「ははーん、優ちゃんってばああいう子が好みなのか?」

「好みかは知りませんけど。綺麗な人だな、とは」


 つばささんは頷きつつ、冬の彼女のプロフィールを流暢に語り上げる。


神辺かんべ美香夏みかなちゃん。この学校で一番の美少女と名高いね。学校の壁を隔ててもなお、玉砕した男の数は数知れず。のみならず女の子にすらモテモテだ。ドンマイ。君の恋は無理ゲーです」

「なんでボクは勝手に恋して勝手に諭されてるんですか?」

「でも、喜べチャレンジャー。あたしたち三人、皆同じクラスだから」


 どうでもいい。ああ、いや、あれだけ見目がいいのなら、目眩ましには丁度いいかもしれない。


「あれ。そういえば、いま空いてる席って……」

「どうかしたんですか?」

「……ううん、なんでもなーい」


 つばささんはすっとぼけて、階段の最後数段を駆け降りると、そのまま左に折れ、柱の向こうに消えて行ってしまった。せめてもう少しでいいから落ち着きをもっていただきたい。ため息をひとつついて後を追う。

 曲がった先はすぐ食堂になっており、ほんのりと漂う料理の匂いと、花がほころぶような優しい活力に支配されていた。

 フードコートに入ったテナントと飲食スペースの関係のように、部屋一面に整列した椅子と机たち、それにカウンターを隔てて奥に厨房が設けられている。おそらく掃除がしやすいようにだろう、床が明るいビニルタイルになっていることを除けば、全体的に廊下と近しい雰囲気だ。その構造に何か特異性があるわけではない。

 けれどその容量近くまで人が入っている光景は、満員とか、盛況とか、もちろん喧騒なんて言葉とも無縁で、そこに存在するのはうら若き少女たちの優雅な朝食の光景だけだった。……いや。訂正しよう。ひとつ特異性はあった。

 列がほとんど発生していない。より正確には、厨房の向こうで、恐ろしい速度で稼働する料理マシーン、もといコック帽を被った中年女性こそ、この空間の特異点にして、この優雅さの立役者に他ならなかった。この人だけ倍速の世界に生きてないか?

 カウンターの前にちょこんと置かれたブラックボード式の立て看板には、真ん中の横線で隔てられ、上下にそれぞれAセット、Bセットとポップアップされた料理のイラストが描かれている。Aセットはイングリッシュマフィンセット、Bセットは和の朝食セット……焼き魚に味噌汁、数種の漬物にだし巻き卵と豆腐が付いた、彩り豊かな朝食だった。

 すごい手の入れようだな……と、そこでふと視線を感じて顔を上げる。見ればボクの前を歩いていた人たちはすでに料理を受け取って席に向かっており、手を止めたくだんの女性がボクを見つめている。怖い。


「見ない顔だね」

「あ、はい。はじめまして。この度こちらの学園に転入してきました、萩原優です」

「あー……そういやそんな話も聞いてたね。アタシは有宮ありみや。ここの料理人だ。まあ、厳密には寮母ってやつなんだけど、アタシが実際やってるのは料理だけだし、もともと料理人だし、そういう認識にしておいてくれ。それで、どっちにする?」

「それでは、Bセットをお願いできますか?」


 すると有宮さんはにっかりと歯を見せて笑い、「あいよ」の一声と共に作業を開始した。数秒後、ボクの目の前にトレーに載って料理が出てきた。ご飯や漬物はまだわかるとして、魚やだし巻き卵がほかほかと湯気立っているのは……星辰魔法かな?


「あ、ありがとうございます。そういえば、お代とかは……?」

「聞いてないのかい? 朝食代は寮費に含まれてるよ。欲しいならお代わりもあるからね。冷めないうちに食べな」

「ありがとうございます。いただきます」


 ……機関本部にもこういうサービス欲しいなあ。

 支給自体はあったけど、だいたいパッケージのお弁当かレーションだった。

 しみじみと温かい食事のありがたさを思うのもそこそこに、トレーを手に、きょろきょろと見まわして空いている席を探す。

 すると、こちらに向かって手を振る影。つばささんだ。とりあえず向かってみる。

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