第1話 その日と共に消える星

「──了解。作戦を開始する」


 通信機を口元から離して、澄み渡る夜の黒を肺腑に吸い込んだ。ビル群の影に沈んでいく月のほぼ直上を辿ると、中空にはわし座、そして天頂付近にはくちょう座が大きく羽ばたいている。八月も、もうすぐ終わりだ。昼間の間はまだ残暑どころか猛暑が続くような毎日だが、夜になると世界は一気に冷えていく。何度か吸って吐いてを繰り返すと、骨の髄までをしんしんと、心地よい冷たさがおかしていった。

 さあ、仕事の時間だ。

 最後にもう一度スーツの中のネックレスの感触を確かめてから、閉ざされたシャッターの横にある通用口へと足を運ぶ。

 中に入ると、倉庫の大きさに比して幾分頼りない小さな灯りが入ってすぐ頭上に灯っており、対して倉庫の奥の方は黒く深い闇に閉ざされていた。

 その陰の中から、やや上擦った男の声が飛んでくる。


「こ、こんな小娘が来るなんて、聞いてない」

「……筋骨隆々の偉丈夫が行くとも言っていないでしょう。この星辰ほしの時代、力は外見からは測れないものです」


 ごくりと唾を呑む気配。そう、もはや見た目などあてにはならないのが、この世界だ。現代最高の武力とは、若さでも老いでもなければ、筋肉でも、それに機関銃でもないのだから。


「あと、これはまた別の話ですが、性別も見た目だけで判断しないほうがいいですよ。忠告ですが」

「……は? い、いや……わかった。そ、それで、話は、本当なんだろうな。お前たちは、本当に、俺を守ってくれるのか?」


 本当にわかったのか否か、どちらにせよとにかく話を進めたいのだろう。不安がありありと現れた吃音気味の語調で男は訊ねた。ボクは小さく微笑んで、予め用意していた文言を貼り付けるように舌を動かしていく。


「もちろん。あなたの星辰ほしの価値は、おそらくあなた自身よりも理解していますよ。周囲の視覚情報の操作。攪乱・ダミー映像の流布、逆に視覚情報の獲得……単に情報収集をするにとどまらず、ある程度荒事にも影響力を持つ。使用用途は無限にあると言って差し支えない」


 ゆえに、保護して我々の下で働いてもらおう──、というのが、彼に提示していただった。しかし、男が聞きたかったのはそういう部分ではなかったらしい。


「ちっ、違う! そうじゃない……そうじゃないんだ。お前、お前たちは、本当に、アイツらから俺を守れるのか? あの天翼会てんよくかいから? ただの闇組織程度の存在に、それが可能だとは思えない……」

「まあ、確かに、確実に守ると約束することはできないでしょうね。だからこそ、こうして申し出を受けられるだけでも破格だと思っていただきたい。我々も奴らを敵に回す覚悟を決めて、いまこの場に立っているのですから」

「……だが……。お、おい、お前、ひとりで来るって話だっただろ!? な、なんで!」


 男の声が明らかな焦燥を帯びる。僅かに遅れて、ボクも気づいた。倉庫の周りに誰かいる。それも、極限まで足音を殺して、というより、これは、認識阻害か何かの星を纏っているのだろう。当然のことだが、まともな人間であれば、いちいちそんな星を輝かせながら出歩いたりはしないはずだ。


「我々からは間違いなくボクひとりで来ています。なので、まあ……そういうことでしょうね。人数は把握できますか?」

「さ、三人だ、多分……ひッ!?」

「どうしました?」

「つ、使ってたカラスが、殺された……電撃? ああ、もう訳わかんねえ、クソッ! どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」


 あ、動物もいけるんだ。本当に使い勝手の良い星辰だな。ボクとは違って。

 なんて個人的な感想はさておき。

 爆発でシャッターが吹き飛んだ直後、ボクはスーツの中からネックレスを引き出して、星辰を起動した。


 星辰魔法アストラル。かつて『超能力』というカタチで世に聞こえたそれは、いまでは当たり前に存在するものとして受け止められている。


 それは、人間ひとりにひとつだけ、カミの許したもうた奇跡。


 水流を生み出す青年が消防隊員として名を馳せ、バリアを張る特殊部隊員が単身でテロを制圧し、傷を癒す星辰が命を救う。あるいは、視覚情報操作を持った人間は諜報として珍重されたが、うっかり見てはいけないものまで見てしまったり、なんてこともあるだろうが。

 そして、ボクの星辰は──

 黒煙が晴れると、シャッターの残骸にまぎれて二人、それにボクからは少し離れた二階の窓の付近にひとり。黒いフードマントに身を包んだ人間たちが、揃って首を掻きむしりのたうちながら、必死の形相で口をぱくぱくと開閉させている。だがそれもほどなく、彼らが昏倒に至ってしまうと、あたりは夜の静けさを取り戻した。とりあえず、視覚操作の彼が言っていた三人は無力化したことになる。

 申し訳ないことに、その彼も身を隠していたらしき積み荷の影から泡を吹いた顔を覗かせているが、それに関しては、ボクの星辰に対象を指定する機能をつけてくれなかった神様を恨んでほしい。

 なんにせよ、あとは第二陣が来てしまう前に退却するだけだ。

 強烈な喉の渇きを呑み込んで、通信機を口元に寄せる。


「司令部。司令部。こちらDシックス。こちらはDシックス。敵の襲撃があり、ターゲット、及びターゲットを追って来た星辰使い三名、計四名が気絶状態。回収をお願いします。どうぞ」

『司令部、了解。回収人員が間もなく到着する。それまで待機せよ』

「了解」


 隅のほうにあった梯子を昇り、上の窓辺で倒れている男を担ぎ上げる。なかなか重い。梯子を一段ずつ確実に踏みしめて降りていく中、ふと。本当にただなんとなく。

 言葉では表しがたいところからくる悪寒が、ボクの脳裏を駆け抜けた。

 身体がそれに従って身をひねると、次の瞬間、左腕に爆ぜるような唐突な激痛と、絞り出すような流血感。銃創の痛みだ。ボクは担いでいた男を盾にして梯子を飛び降りながら、周囲に視線を走らせる。

 しかし、気配や足音どころか、発砲音も銃口炎もまったく感知できなかったのだ。撃たれてから警戒したところで見つかるはずもなかった。きっと、そういう星辰ほしだろう。ぴんと繋がるのは認識阻害の能力。認識阻害をかけていたのはあの三人の誰かじゃなかった……?

 まったく、本当に嫌な世の中だ。可能性とやらに溢れすぎている。

 なんて、そんな現実逃避めいた慨嘆をしてしまうくらいに、現状は逼迫ひっぱくしていた。

 いまこの場では、ボクの星辰を再度使用することはできない。なにせ、既に一度巻き込んでしまった回収対象がいる。ただでさえオーバーキル気味の能力だが、連続で食らわせてしまうと本当に命に関わってくる。これだから、ボクの星辰は使い勝手が悪いんだ。


「くそっ……」


 星辰が使えないなら、できることはひとつだ。迷う必要も、時間もない。ボクは担いでいたものを放り捨て、引き絞った矢を放つように駆け出した。

 持てる全身全霊をもって足を駆り、倒れたままの男に向かって突進する。

 左肩に激痛。次いで脇腹のすぐ横を掠める。真正面から撃たれたというのに、やはり弾は当たる直前まで見えない。知るか、構うな、どうでもいい。

 もともと距離自体は大したものじゃない。もうすぐ男にたどり着く、というところで、しかし、急に身体がバランスを崩す。不思議な感覚だった。撃たれたわけじゃない。転んだ、と思う。だが、なぜ転んだのかがわからない。

 思わず停止しかけた思考は、自分の身体が床から十数センチのところで不自然に止まった次の不可解で冷静さを取り戻す。そうだ、認識阻害だ。ボクは認識できない敵にぶつかって、組み重なるように倒れているのだ。

 なら──!

 ボクは身体全体を使って素早く身を起こし、目の前の虚空を何度も殴り付ける。当たった感触も、当たっていない感触もなく、切り取られたように認識が飛ぶ。それこそが標的を捉えている証拠だった。

 何度めかの拳を振り下ろしたのに遅れて、チャリン、と小さな金属音が床を跳ねる。ボクはほとんど反射的にそれを拾い上げた。


「シックス!」


 そしてその瞬間、聞き覚えのある声が耳に届き、目の前の世界がかき消える。

 ぐにゃりと視界が歪み、何もないところにある何かも、暗い倉庫のコンクリ床も見えなくなって、代わりに落ち着いた酒樽色の床が現れる。顔を上げれば、そこは本部の片隅にある、転移用に設けられた小部屋だった。そしてすぐそばには、ボクを覗き込むように上半身を傾けながら立っている、長身のわりに存在感が希薄な痩せぎすの青年。


「敵の三人とやらはパッと見えなかったんで連れてこれなかったが……何の理由もなくあんな形相カオしてたわけじゃないんだよな?」


 荒い呼吸を整えながら、差し出された彼の手を取って立ち上がる。


「はぁっ、はっ……ありがとう、いい判断だった。Dツー」

「なに、これが俺の仕事だ」


 神経質そうに小さな笑みを浮かべる男は、コードネームをDツーという。

 ボクの同僚であり、物体を転移させる星辰魔法、いわゆるテレポーテーションを用い、主に物資人員等々の輸送を担うエージェントだ。

 傍らで相変わらず昏倒している男が、ひとまず無事らしいことを確認し、ようやく緊張から解放される。


「いちおう確認するけど、ツーの星辰って、強く意識してるものしか転移しなかったよね?」

「まあ、そりゃあな。でなかったらいまごろ倉庫ごと転移してる。それが?」

「しないならいいんだ。認識阻害の星辰使いと戦ってた」

「……そりゃ、ご苦労さん。念のため、コレの引き渡しついでに警備には話しておくが、司令部にはお前から頼むぞ」

「わかってる」


 男を担ぎ上げて去っていくDツーを首肯で見送ってから、ボクはふと握りっぱなしだった拳を解く。そこには小さな銀色の月のアクセサリーが輝いていた。ネックレス……ピアスの可能性もあるか。まあ、そこはわかるだろう。


「よし……」


 戦利品を胸ポケットに入れ、ボクも転移用の小部屋を後にする。お世話になるたびに思うけど、本当に便利だ。Dツーの転移だけじゃない。視界操作。認識阻害。あとは、いちおうボクの星辰も。星辰というのはどれもこれも、それひとつで世界を塗り替えてしまいかねない超常現象ばかりである。

 もちろん、いい変化なら何も言うことはないが、世界はそこまで簡単じゃない。

 個人個人が千差万別の超常能力を有するとは、個々に千差万別の利点があるという以上に、千差万別の犯罪が起こり得るということでもある。

 火事が起きた。放火が疑われる。ではそれは単純な放火なのか、でなければ発火能力なのか、他人を操って放火させたのか、あるいはもっと別の何かなのか。そしてその証拠はどこにある? 念じるだけで火を起こせるやつをどう見分ければいい?

 そう。証拠主義、事後調査を根底とする従来の警察理念の下では、星辰犯罪の検挙は不可能に近い。

 星辰犯罪件数は増加の一途をたどり、警察は新時代に適したかたちへの変革を急務とされた──というのが、ここ数年のお話だ。


 ただいま警察は改革の真っ最中。事は単なる組織改革ではなく、膨大な法整備も要求している。その中には人権問題やら何やらが絡まっているものも数多く、極限まで少なく見積もっても、あと数年はまともに動かないらしい。しかし、能力犯罪は今日も変わらず起こっているわけで。


 そうした情勢から、政府によって秘密裏に設立された治安維持部隊こそ、対星辰犯罪特殊部隊、客星機関。

 現行法では違法となりうる行為も含めたあらゆる手段で、能力犯罪を迅速確実かつ隠密に取り締まることこそ、機関の使命。

 あと数年か数十年か。能力犯罪を警察が大手を振って取り締まれる日が来るまで、歴史の陰で戦い続け、その日と共に消える星。

 それが、ボクたちという存在だ。

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