第2話 横入る瑠璃色の

青のローブに身を包み、深くのぞき込まないと顔すら見えないような不審な人間が数名。

彼らは手に松明を持ち、廃神殿の地下を探索しているようだった。


「ここか……」

凛としたような澄んだ声の持ち主がそうつぶやく。若い女性のようだ。

「隊長、どこから調べましょう」

フードを深く被った男たちが、隊長と呼ばれた女性の元へ詰め寄る。

「狙うはあの祭壇だ。行くぞ」

女性が指さした先には、枯れた無数のイバラが絡みついた石像が鎮座されていた。一行はその石像を中心に、あるものを探し始めるのだった。


「ん……?」

隊長と呼ばれた女性が不審そうに折れた柱の根元を凝視した。見間違いでなければ、いま青色の蛇がいたような気がするのだが……この地方にそんな色の蛇など生息していない。


最近こんな遠征続きなので、ろくに休息が取れていなかった。見間違いだろう、そう感じたのですぐさま作業に戻る。石段を覆った枯れたイバラを払い除けたその時であった。


「ぎゃあああああああっ!!」

部下のうめき声が聞こえる。

「どうした!!」すぐさま苦しむ部下の方へ目を向けると、彼の首筋には青色の大蛇が噛み付いていた。

「うわああっ!」「血を吹き出したぞ!!」

他の隊員にへと恐怖が伝播する。神殿の地下聖堂内は、すっかり血と恐怖によって塗り替えられていた。

彼女はすぐさま蛇に噛み付かれた部下の元へ走りよる。


「ドレ……じあたいちょ……う」

痛みに苦しむ部下の表情から血の気が引いていくと、青い大蛇は身体を彼の首筋に巻き付け、勢い良く締め付けた。

ばきっ!!乾いた大木をへし折ったような音が響く。

首の骨が折れたようだ。力が抜け、涙と血でドロドロになった顔をがくんと下に下ろすと、彼の顔の穴という穴と首筋の傷口から大量の血が吹き出した。

別の隊員は叫び狂い、更なるパニックにへと陥る。

まさに阿鼻叫喚の様であった。


勢い良く吹き出した血は枯れたイバラが巻きついた石像の方にへと飛び散っていった。まるで大蛇がそうさせたように、初めから石像を血で濡らそうと言わんばかりの光景であった。


石像は怪しく赤い光を放ち、周りにいる者の全ての視界を赤く染めあげる。

彼女の意識はここで途絶えてしまった。


数時間後……


「はぁ……はぁ」

ぼろぼろに崩れた地下聖堂。隙間から降り注ぐわずかな光が先程の惨状を色濃く照らすのであった。


唯一生き残った彼女は、腹部に走る激痛に耐えながらゆっくり立ち上がる。

両腕はしっかり繋がっている。けれど、左腕の肘関節が変な方向に折れ曲がっている。

力を入れようにも動かない。幸いにも両足にはダメージを負ってはいないようだが、引き裂かれた脇腹から痛みと固まりかけた血液がどろどろと滴り落ちている。


そして、身体的なダメージに追い打ちをかけるように……

目の前にはそれはそれは惨たらしい光景が広がっていた。


至る石柱に石段は赤く染まりきり。彼女の足元には誰のものかわからない眼球がごろりと転がっている。転がる部下たちの身体はほとんど原型を留めておらず、まるででぐちゃぐちゃにすり潰したような肉塊が至る所に転がっている。を混ぜたような、そんなものがぶちまけられている。


別に部下達に思い入れがあった訳ではない。それでも、変わり果てた姿を見るだけで涙が止まらない。肩が震える度に振動が左腕と脇腹に伝播し、肉体的に彼女へ更なる追い打ちをかける。


あの蛇は……一体誰がこんなことを。

誰かが意図的にアレを蘇らせようとした。そうとしか考えられない。

どうしよう。どうすればいいんだろう。

途方に暮れようにも、非力な自分ではどうすることもできない。ひたすらに涙が止まらない。


☆☆☆


「………行かなきゃ」


僕は走る。

彼女を襲った骸骨が向かった先にあるのはルビル村だ。何を目的に村へ向かうのかはわからない。村の方向へ飛んで行っただけであって、その先の地へ向かうのかもしれない。

そもそも、こんな非力な自分一人で何が出来るのか。

そんなことはわからない。けれど、村の人間が危ない。自分なんかに良くしてくれたあの人たちが、もしかすると死んでしまうかもしれない。黙って見ている訳にはいかなかった。


少なくとも、アネモネならそうするはずだ。


どかん。村の方から爆発音と煙が上がる。

心臓がうるさいくらい鳴っている。走るのが苦しいし、嫌な予感が的中するような気がしている。

いや、変なことを考えるな。とにかく急げ…!!

木々の隙間をくぐり抜け、村の門を抜ける。


まさに地獄だった。

十数件ほど並んでいた家は全てが破壊され。

誰のものかもわからない肢体と血溜まりがそこら中に散らばっていた。


身体から力が抜ける。めまいがする。

嫌な予感は当たってしまった。


思わず胃の中の物を全て吐き出してしまった。あの子が作ってくれた……あのシチューをだ。胃酸と吐瀉物のせいで口の中が苦くて、酸っぱくなる。


そんな口元を袖で擦り、ふらふらになりながらも悲鳴が聞こえる方へ足を進める。

すると、何かにつまずいてしまった。

「うわっ……」

目の前の血溜まりに顔から倒れ込んでしまう。顔に飛び散った液体を払い除け、視界を回復させる。

すると、今つまずいた物がごろりと顔の前に転がってくる。

と目が合うと、僕の中で何かが壊れてしまった。


目が合ったのは……アネモネの祖父の首だった。

彼の顔からは、すっかりと生命のみずみずしさは失われていた。

文字通り、枯れた植物のようであった。


もう悲鳴すら出なかった。それでも涙がこぼれる。

あれだけ涙を流したのにまだこの身体は涙を流すことが出来るようだ。


なんで彼らがこんな目に遭わなくてはいけないのだろうか。こんな自分に対して、初めて優しくしてくれたような人達だ。


もう……全てが嫌になってしまった。


目の前で若い悲鳴が聞こえる。おもむろに顔を上げると、八歳くらいの男の子が骸骨に首を締め上げられている最中であった。

涙で顔がぐちゃぐちゃになった男の子と目が合う。

助けなければ。足元のぬかるみや散らばる遺体など気にせず、全速力で骸骨の元へ走る。

骸骨に向けて手を伸ばした瞬間、水風船が割れるような音がした。


男の子は二つになり。地面に向かって無造作に放り投げだされた。今この瞬間、命が単なる物に変化を遂げたのだ。

「あはは……ははははっ」

現実を受け入れられなかった。僕は目を見開き、その場に崩れ込む。


村人の体液を吸い、じっとりと黒ずんだ骸骨と目が合った。カタカタと顎を鳴らし、こちらの方へ浮きながら近づいてくる。


ああ。少しばかりは楽しい時間だった。

そう。この世界にやってきてからは楽しかったのだ。けれどその幸せは、こんなにも簡単に潰えてしまった。


……僕って、何のために生まれてきたのだろうか。

こんな思いをするくらいなら、生まれてこない方が良かったのではないか。

この世界に来る前の問いが再び繰り返される。


骸骨は身体の動きを止めてしまった僕に近づくと、イバラまみれの腕を振り下ろした。それが激突する寸前……僕は何かを思い出した。

赤黒い拳が、視界に入った瞬間だった。


(少なくとも、私はあの花畑に行ったことは後悔してないよ)

ふと、彼女の声がよみがえった。

そして、続けて次の声がよみがえるよりも先に僕は………

右腕で骸骨の拳を受け止めていた。


「ぐうっ……」

歯を食いしばる。攻撃を受け止めた右肘の少し上の部分からは、割れるような痛みが溢れ出る。


(だって……あなたに出会えたんだから)

優しい声が、めちゃくちゃに混乱した脳内を落ち着かせるように語りかけてくる。


「ぐあああああああっ、違う……違う!少なくとも、生まれてこなければあの子には出会えなかった!!」

歯を食いしばりすぎて歯茎から血が吹き出す。当然、攻撃を受け止めている腕からもだ。

しかし、何かが胸の奥底で爆発したような不思議な感触があった。その感覚は心臓から無数の管を経て、今この攻撃を受けている右腕に集約されていく。

ゆっくりと、じわじわと骸骨の攻撃を押し返していく。そして、遂に。


ばちん。

骸骨の攻撃を押し返し、相手の腕を振り払う。

そして、気味の悪い色をした髑髏しゃれこうべに渾身の一撃を叩き込む。

骸骨はからからと音を立てながら吹き飛ばされていき、崩れかけの壁に向かって叩きつけられた。


「ここで僕が死ねば……あの人たちは、あの子は。忘れ去られてしまう」

ここで僕が生き延びれば、少なくともあの子の記憶は僕の中で生き延び続けることになる。今はそれでいいんだ。

それに、いつかはこの仇を討つことも出来るかもしれない。


崩れた壁が噴煙に包まれる。骸骨がゆっくりと体勢を立て直し、浮き上がる。

拳を叩き込んだ顔の骨はボロボロに崩れてしまっており、割れた壺のようになっていた。


見てわかるくらいには相手は衰弱しきっていた。少なくとも、顔のダメージは致命傷ではないだろうか。

だったら今ここで……できる限りの傷を負わせてやろう。そう決心をしたのだ。


足に力を込める。骸骨めがけて突き進んでいく。当然向こうも応戦する。

ひたすらに拳を打ち込む。骸骨はそれをか細い骨で受け止める。先程と同じくらいの力を込めているが、相手は一向に崩れる予感がしなかった。まるで丸太を殴っているような感覚ではあるが、拳を当てる度に細かい骨の欠片や飛沫がこぼれ落ちるのを見逃さなかった。


ぶしっ。右の拳が弾け飛ぶ。人差し指と親指が宙を舞う。

「しまった……!」

先に限界を迎えたのは相手の身体ではなく、僕の身体の方だった。

あまりの痛みに身体がゆらめく。骸骨はそれを逃さなかった。

身体から薔薇のイバラのようなものを四本出現させ、それをしならせて叩き込んできた。

左手と腹部に被弾してしまった。


1メートル程、真後ろに弾き飛ばされる。

単なる鞭の攻撃ではなく、表面にびっしりと棘が付いているもので殴られたのだ。

肉の細い繊維を力任せに引っ張られるような痛みだ。


後ろに下がった僕目掛けて骸骨が距離を詰めてくる。イバラを更に宙に振り上げる。先程のように叩きつけてくるつもりだ。

……その前に一発叩き込んでやる。

三本しか指が残っていない右手を骸骨の鎖骨の辺りに差し込む。何かが僕の右手に突き刺さる。きっと骨の内部には別のイバラがびっしりと渦巻いているのだ。


何はともあれ、やっとの思いで相手に食らいつくことができたわけだ。

まだ無事な左手を。いや……青あざに包まれてはいるが、幾許かはきれいな左手を再び髑髏目掛けて振り下ろす。


自分でもなぜここまでの激情に駆られているのか疑問だった。そして、これだけ力が湧いてくるのも不可解だ。

けれど、そんなことは後で考えよう。


確実に、この一撃で仕留める。

骸骨に視線を向ける。まだ無事な状態で残っている相手の左頭部に狙いを定める。

倒せる自信なんて無いけれど、攻撃を外す自信はこれっぽっちも無かった。


しかし、肉体の底が盛り上がる不快感を自覚する頃には……時すでに遅かった。

左拳が骸骨の左頬に触れる手前のことだった。左腕が強烈に赤く輝き出し、聞き覚えのある水音が広がった。


左肘より先が弾け飛んだのだ。

拳は物理的に宙を舞い、残った短い左腕は悲しくも空振りをしてしまった。


そして、その不快感は腹部にも現れた。

腹部が内側から赤く光り、そして盛り上がり。風船が割れるかのように破裂をしてしまった。ばちゃばちゃと赤黒い液体が、ぬらぬらと光った何かが地面に目掛けて滴り落ちた。内臓だ。


腹部を中心に寒気が走る。

全身の力が抜けてしまった。僕はそのまま糸の切れた操り人形のように、為す術なくべちゃっと地に伏してしまう。

「くそっ……」

正体不明の攻撃だった。アネモネも死の寸前、身体のあちこちが盛り上がっていた。恐らくはあれを食らってしまったのだ。


視界がゆらめく。色が次第に抜けて虚ろになる。当然だ。当然のダメージだ。


そして、何も出来ない僕に向けて骸骨は身体中から更にイバラを出現させる。イバラは互いに結合し合い、手のひらの形を形成させた。

そのイバラの手をぐぐっと握りしめ、骸骨はイバラの拳を作り上げた。軽く2メートルはありそうなサイズだ。

それを僕にめがけて振り下ろしていく。


ああ、駄目だったのか。

相手の実力をどうやら見誤っていたようだった。あの時倒せるだなんて思わずに、逃げておくべきだったのだ。

悔しいなぁ。恐ろしいなぁ。

そんなことを思いながら、ゆっくりと死の恐怖と向き合おうとしていた。その時だった。


瑠璃色の何かが視界に割り込んできた。

そのは目にも止まらぬ早さでイバラの拳を根元から断ち切り、骸骨めがけて手刀を叩き込んだ。骸骨が倒れ込む。


「だい、じょうぶ……?」

ああ、デジャヴだ。薄まる意識の前に現れた一人の少女。まるで赤髪のあの子のようだ。


けれど……決定的に違うのは。

その人物の髪が綺麗な青紫色をしている事だ。その少女は、可憐に笑みを浮かべるのだった。

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