『大魔獣覚醒』(2)

アヤメと魔物の睨み合いが続いた。

どちらも動かず、時間だけが静かに流れて行った。

やがて、その瞳から敵対心がないという事をお互いに感じ取って、一気に気が抜けた。

魔物はその場に足を崩して座り込み、同時にアヤメも座り込んでしまった。

疲れたのと同時に安心して気が緩み、アヤメは無意識に微笑んでいた。


「ふふ……疲れたね、あなたも休む?」


アヤメは恐れもせずに魔物を手で触れて撫でると、さらに体を寄せた。

魔物もアヤメに顔をすり寄せた。どうやら懐いてしまったようだ。


「なぁに和んでんだよ、テメエら」


突如聞こえてきた聞き慣れた声に、アヤメと魔物が同時に顔を上げた。

そこには、オランが魔界の王らしく堂々と威厳を放って立っていた。


「寂しいからって、魔物と遊んでいたのか?大した女だぜ」

「オラン、違うの…!この子、悪気はないの。きっと迷子なのよ」


アヤメが一生懸命になって魔物を庇うものだから、オランは可笑しくなって笑った。


「迷子だってよ?無様だなぁ、ディア」

「えっ………!?」


オランが魔物に向かって『ディア』と呼んだので、アヤメは驚きに声を上げた。


「コイツはディアだぜ。どうやら魔獣の姿に戻ったようだな」


ディアは魔獣に戻ると自我を失くし、完全に野生に還る。

だが、この姿でもオランには絶対服従なのだろう。体を小さく丸めて大人しくしている。

アヤメは信じられないと言った様子で、普段の青年・ディアを思い浮かべて、目の前の魔獣と見比べてみる。

確かディアの魔獣の姿は封印されていて、オラン以外には封印を解除できないと言っていた。


「ディアさん、どうして魔獣に戻っちゃったの…?」

「満月の夜に限って、たまに戻っちまうんだよなぁ。面倒くせえ」


アヤメは空を見上げた。そう言えば確かに、今夜は見事な満月だ。


「アヤメ、よくディアに食われなかったな?……いや。ディア、よく食わなかったな」

「えっ…!?えっ!?」


軽々しく恐ろしい事を口にするオランに、アヤメは今になって恐怖を実感して震えた。


「ディアは人に懐くような魔獣じゃねえ。誰でも見境なく食らう凶暴なヤツだ」


確かに、その獰猛な『獣』特有の鋭い爪と牙を見ると、説得力がある。


「だが、ディアはアヤメを認めたようだな。オレ様以外に懐いたのは初めてだぜ」


それに万が一、ディアがアヤメを襲ったとしても、指輪の魔力がアヤメを守る。

だからこそ、オランはアヤメを助けずに、ディアの事も『試して』いたのだ。


「ホラ、戻れ、ディア」


オランは魔獣に向かって片手をかざした。

何か呪文のようなものを呟いていたが、アヤメには聞き取れない。

最後の言葉だけは、ハッキリと言い放った。


「封印」


すると、一瞬にして魔獣の姿が光に包まれて、飲み込まれたと思ったら……その姿が、みるみる収縮していく。

人と同じくらいの大きさになると止まり、やがて光も消えて、そこに青年の姿が現れた。

いつもの、人の姿のディアだ。

ディアは途端に、地に両膝を突いた。


「魔王サマ、アヤメ様、申し訳ありません……!」


いつも魔王をも恐れないクールなディアの弱さが露呈されて、アヤメは逆に申し訳ない気持ちになった。

オランはディアの前に立ち、容赦なく冷たい瞳で見下ろした。


「だから、満月の夜は外に出るなっつってんだよ」

「……はい、失念しておりました……」


元はと言えば、アヤメを心配してテラスに出てしまった事が原因で、悪気など無かった。

そもそも魔王にしか制御できない凶暴な魔獣を、あえて側近にしたのは何故か。

いや、『だからこそ』オランは、ディアを側に置いたのだ。

それが、ディアを救う唯一の手段でもあった。


「だが、いい事が分かった。アヤメはディアの契約者にも相応しい器だ」

「ディアさんの契約者?」


普通の人間なら、魔物を目の前にした時に取る行動は『逃げる』か『攻撃』の、どちらかだろう。

しかしアヤメは『何もしない』という、誰も傷付かない方法を選んだ。

魔物も、花も、自分をも守ったのだ。

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