『天王降臨』(2)
シンプルな内装の広い会議室の真ん中に、大きなテーブル。
オランとアヤメは、そこに並んで座っている。
そのすぐ横には、書類や手帳などを手に持ったディアが立っていた。
しばらくすると、会議室の扉が開いた。
使用人の女性に案内されて入って来たのは、天界の王。
長いアクアブルーの髪と瞳。女性と見間違える程に中性的で、秀麗な顔立ちをしていた。
年齢は推測出来ないが、オランと同じく、見た目20代くらいだろうか。
「よく来たな、天王」
「お邪魔する、魔王」
魔王と天王の挨拶は、たった一言の素っ気ないものだった。
お互い、余計な挨拶や面倒な礼儀などは、必要としない仲なのだ。
天王は、オランの隣に座る少女の存在に気が付いた。
「……おや。初めてお目に掛かる。私は天界の王・ラフェル。以後、お見知り置きを」
アヤメは天王に視線を向けられて、ドキッとした。
挨拶も忘れて、天王の美しさと神々しさに見とれてしまっていたのだ。
アヤメは慌てて席を立った。
「は、初めまして、私は…魔王……じゃない、オラン……」
「そこは『魔王』だ」
「魔王様の……いいなづけ?……の」
「婚約者、だ」
「魔王様の婚約者のアヤメです……!」
隣から聞こえて来るオランの助言で、何とか言い切ったアヤメ。
オランは笑い出しそうになるのを我慢して、目の前に着席した天王に向かって堂々とした態度で一言。
「ま、そういう事だ」
だが天王は微笑み一つなく、冷たい程に落ち着いている。
「どういう事かは知らぬが、魔王が婚約したとは驚いた。見た所、人間のようだが」
そう言う天王は無表情なので、驚いた顔をしている様には見えない。
「まぁ、決まったばかりなんでな。いい女だろ?」
そう言って、オランはアヤメに目配せするが、アヤメは頬を紅くして俯いてしまった。
オランは、婚約者を自慢したいのではない。ただ、アヤメの反応を楽しんでいるだけなのだ。
「では改めて、婚礼の儀には祝いを贈らせてもらおう」
天王が、一応の礼儀を口にすると、その話はここで終わった。
そこから先の魔王と天王の会議の内容は、難しく聞き慣れない言葉ばかりで、よく理解はできなかった。
ただ、魔界と天界は協定を結んでいて、敵対はしていない、という事は分かった。
時々、ディアが発言の内容をメモしていた。議事録だろうか。
会議の最後、席から立つ時に、天王は相変わらずの無表情で、オランに告げた。
「人間は長くは生きられぬ。承知の上か?」
アヤメは、その言葉が自分の事を言っているのだと気付いた。
急に、場の空気が重くなるのを感じた。
だがオランだけは、いつもの調子を崩さなかった。
「決まってんだろ。問題ねえよ」
アヤメはその後もずっと、不安に似た心のモヤモヤを抱えていた。
問題ないと言われても、どういう根拠で、どういう理屈なのか、何も解らない。
その日の就寝前に、アヤメは思い切ってオランに疑問を伝えてみた。
「その……悪魔の寿命って、どのくらいなの?」
オランが、その質問の真意に気付かない訳も無い。だが平然と答える。
「さあな。数万年、って所か」
気の遠くなるような時間をサラっと言われて、アヤメは言葉が返せなかった。
………私は、そんなに長くは生きられない。
例え結婚しても、一緒に居られる時間は、寿命の長い悪魔にとっては一瞬の事なのだろう。
ずっと沈んだ表情のアヤメの不安を拭おうと、オランがアヤメの左手を取った。
その白く小さく細い薬指には、婚約指輪の赤い宝石が光っていた。
「この指輪には、人間の寿命を悪魔と同等にする効果もあるんだぜ」
「えっ…そうなの!?」
「あぁ、だから外すなって言ってんだよ」
オランが嘘や冗談を言っていないのは、真剣な眼差しから伝わる。
オランを信じ切っているアヤメの心は、不安から安心へとすぐに移り変わって行った。
「なんだか、すごいのね、この指輪。色んな力があって」
体力の消耗を防いだり、寿命を延ばしたり。
だがオランにとっては、その指輪の本来の意味は『婚約の証』である。
しかしオランはここで1つ、本当の『嘘』をついた。
寿命を延ばす事は、例え王でも、神でも、不可能なのだ。
指輪の魔力で、この先何年生きようと、アヤメは『姿だけ』は少女のままで、ずっと変わらない。
だが……寿命は、人間と変わらないのだ。
「それよりもアヤメ、寝る前に必ず、する事を教えてやろう」
「え?そんな事があるの?」
「あぁ。魔界ではな、一緒に寝るヤツとは、寝る前に口付けをするモンなんだ」
「そ、そんな事、昨晩は言ってなかったけど……?」
朝、起きたら口付けして、夜、寝る時も口付けするのだろうか?
さすがのアヤメも冗談に気付くと思いきや、すぐに信じてしまう純粋さが面白い。
「あとな、口付けは『キス』とも言うんだぜ。いい響きだろ?」
「きす……?お魚の名前みたい」
相変わらずの天然な発想に、オランは笑わずにいられない。
「さぁ、アヤメ。寝る前のキスだ。もう出来るよな?」
「う、うん……」
オランには、ある野望があった。
アヤメを、自分なしでは夜も寝られずに、朝も起きられないように……
「お休みなさい、オラン」
ずっと、自分から離れられないように……
自分なしでは、生きられないように……
「よく出来たな、上出来だ」
あらゆる手段を使って、その心と体に教え込ませてやる。
「だが、まだまだ……だな」
命令ではなく、自分の意志で、アヤメの口から『愛している』と言わせてやる。
完璧に、自分に溺れさせてやる。
だが、オランは気付いていなかった。
オラン自身が、すでにアヤメに『溺れてしまっている』という事に。
従順な婚約者に動かされているのは、魔王自身なのだ。
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