第3話『天王降臨』

『天王降臨』(1)

魔界での初めての夜が明け、アヤメは目を覚ました。

すると、目の前にオランの顔があり、バッチリと目が合ってしまった。

そうだった。オランと一緒に寝ていたのであった。しかも彼は、先に目覚めていた。

オランが黙っていたので、アヤメは思い切って口を開いた。


「あ、おはようござ……おはよう、オラン」


敬語が抜けない辿々しいアヤメの口調すら、オランにとっては最高に面白かった。


「おはよう、アヤメ。挨拶はそれだけか?」


オランは上半身だけ起こし、アヤメを見下ろした。


「え?どういう意味?」

「魔界ではな、一緒に寝たヤツとは、朝の挨拶に口付けをするモンなんだ」

「えっ!?そ、そうなの…!!?」


もちろん、そんな事は嘘であり、オランの冗談なのだが、アヤメは信じきっている。


「ホラ、早くしろ」


自分からは口付けず、アヤメに口付けさせるこの行為は、悪魔らしい悪戯だ。

魔界に来たのだから、魔界の習慣に合わせなければ……と、アヤメは意を決した。

オランには『契約』の時に口付けをされたが、自らするのとでは、また違う。

ゆっくりと顔を近付けるが、どうしても、あともう少しから先に進めないでいる。

目を開けているから、緊張するんだ。オランの深紅の瞳に魅入られてしまうんだ。

そう思ったアヤメは目を閉じたが、その瞬間。


「目は閉じるな」


眼前で聞こえたオランの強い口調に、アヤメはハッと驚いて瞬時に目を開けた。

痺れを切らしたオランは仕方ねえとばかりに、アヤメの唇に、そっと触れるだけの口付けをした。

本来なら、この程度で済ませたくはないのだが。

この程度の事で顔を真っ赤にしているアヤメを見てしまうと、今はまだこれが限界のようだ。


「まぁ、いいぜ。お楽しみは、これからだ」







着替え終わって自室から出た二人は、城の長い廊下を並んで歩く。

アヤメが着ているのは、人間界の時と同じ着物だ。

この方が落ち着くから、というアヤメの要望で、今後は同じような着物を誂えてくれるという。


「いいか、オレ様の側を離れるなよ」

「うん。このお城、大きいから迷子になったら大変だもの」

「そうじゃねえよ」


アヤメは真面目に答えたつもりだが、どこか返答がズレていた。


「人間は、魔界では体力を消耗するからな。その指輪の効果で防いではいるが」


アヤメは、自分の左手の薬指に嵌められた指輪を見つめた。

昨晩、オランが婚約指輪としてくれた、赤い宝石の指輪だ。

この指輪には魔力が込められていて、アヤメの体力の消耗を防いでいるという。


「その指輪の魔力は、オレ様から離れると効果が薄れる。だから離れるな」

「あっ、そういう事ね……ありがとう」


アヤメは純粋に、オランの優しさが嬉しくて感謝した。

人間は、魔界では体力を消耗する。

悪魔は、人間界では生命力を消費する。

アヤメとオランは、どちらの世界に居ようとも、お互いが離れられない存在となった。


(常に一緒……これが、妃になるという事なのかしら?)


アヤメには、婚約指輪の意味も、結婚の意味も、まだ理解できていなかった。





大きな食堂、大きなテーブルで二人は朝食を食べた。

お米のご飯が当然のアヤメにはパンやサラダの洋風な朝食は珍しいのだが、逆にそれを楽しんでいた。


「昨日の夜もそうだったけど『あくま』の食事って、人間と変わらないのね。想像と違って面白いわ」

「どんな想像だ?オレ様が何を食うと思った?」

「生肉とか……生き血とか?」

「だから、喰わねえよ」


何度同じツッコミをした事か。

アヤメの発想は面白くて聞いてて飽きないのだが、純粋な上に真面目なのでツッコミにくい。

ふとオランは、テーブルの横に立って二人の食事を見守っていたディアに向かって話し掛けた。


「ディア、これからの予定は?」

「はい。定例会議です。本日は天界から天王様がお見えになります」

「天王か……面倒くせえ」


不真面目なオランは、相手が誰でも、王としての仕事自体が面倒なのであった。

聞き慣れない言葉に、アヤメが不思議に思って聞いた。


「あの……天王って誰?」

「あぁ?簡単に言えば、天界の王だ」

「てんかい?」


アヤメは、さらに混乱した。天国の事だろうか?と、また勝手に想像を膨らませてみる。


「アヤメ、あんたも一緒に会議に出ろ」

「え?そんな偉い人が来る話し合いの場に、私が居ていいの?」

「いいんだよ。居て当然だろ、王の婚約者だぜ」


どこか、ポカンとして理解してない表情のアヤメを察したディアが、そっと付け加える。


「許嫁、って事ですよ。アヤメ様」

「……いいなづけ……」


アヤメは、その言葉で急に実感が湧いて、恥ずかしくなった。

『妃にする』とは言われたものの、それは遠い未来の事のように感じていた。

ようやくアヤメは、いずれオランと結婚するという自分の立場を実感したのであった。

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