第2話『新・王宮生活』

『新・王宮生活』(1)

魔界の城に連れてこられたアヤメは、オランの部屋へと案内された。

アヤメ専用の部屋は用意されない。オランと同室なのだ。

この時点で、すでにオランには、ある『思惑』があった。






「初めまして、アヤメ様。私は魔王サマにお仕えしております魔獣・ディアと申します」


後からオランの部屋に入って来たディアは、アヤメに丁寧に頭を下げて挨拶をした。

すでにアヤメが魔界に来る事は、誰もが承知であるらしい。


「ディアさんは、獣……なんですか?そうは見えませんけど…」


アヤメは、普通の青年にしか見えないディアを見つめて、不思議そうにしている。

クールなディアは、顔色一つ変えないで答える。


「私の本来の姿は凶暴ですので、封印されています。魔王サマにしか封印は解除できません」


つまり、ディアは自分の意志で魔獣の姿に戻る事は出来ないのだ。

すると、ずっと黙って椅子に腰掛けて肘を付いていたオランが、口を挟んだ。


「挨拶はもういいだろ?肝心なのは、これからだ」


するとアヤメは表情を曇らせたが、すぐに意を決して真直ぐオランを見据えた。


「覚悟は出来ています。焼くなり、煮るなり、蒸すなり、お好きな様に……」

「いや、だから喰わねえって」


さすがのオランも、ツッコミを入れるしかなかった。

生贄のイメージなのか、なぜか熱する系の調理法ばかり連想する少女。

アヤメを喰うために持ち帰ったと、本気で勘違いをしているのだ。

現代で言うテイクアウトの発想だ。

オランは椅子から立ち上がると、堂々と言い放った。


「決めたぜ。アヤメをオレ様の妃にする」


しばらくの、沈黙。

あまりに唐突な宣言に、クールなディアも僅かに目を見開いている。

ようやく、アヤメが一言。


「妃…ですか?」


その言葉に、オランが続ける。


「あぁ、妻だ。嫁だ。めとるって事だ。分かったか?」


別に『妃』という言葉の意味が解らなかった訳ではないが、オランが次々と言葉を畳み掛けて行く。


「分かりましたけど…私でいいのですか?」

「オレ様が決めたんだ。文句は言わせねえ」


アヤメは戸惑っていた。生贄として連れてこられたはずなのに、どういう処遇なのか。

だが『私を好きな様にして下さい』と言ってしまった手前、反論の余地はない。

不思議と、抵抗も拒絶する気も起こらない。

そして意外にもディアの反応も、それを否定するものではなかった。


「今まで一度も妃を取らなかった魔王サマが、ようやくお決めになったのですね。アヤメ様、心より歓迎致します」


むしろディアは嬉しそうだった。ただ、相手が人間だという事には驚いたようだった。





だが、人間であるアヤメが段取りもなく、いきなり王と結婚という訳にもいかないだろう。

まずは、アヤメが魔界の生活と環境に慣れる必要がある。

だが、アヤメは魔界に来たというのに、それほど戸惑いを見せなかった。

生贄として腹を括っていた事もある。

何よりも、魔界にいる人達、城の使用人の女性達も、人間と変わらぬ姿をしていたからだ。

オランだって、コウモリのような羽根を隠してしまえば、見た目は人間と変わらない。

本来は魔獣であるディアだって、普段は人間の姿をしている。

城の窓から外を眺めれば、見慣れた空に木々や山々、小さく見える城下町。

魔界は、魔物だらけで恐ろしい場所、というイメージが持たれそうな世界。

だがアヤメにとっては、船に乗って異国のお城に来たような感覚に近かったのだ。







魔界に来て初日の夜、アヤメはオランと一緒のベッドに寝る事に対し、初めて抵抗を見せた。

いや、これは単に、乙女の恥じらいだ。


「魔王様、さすがにそれは……いけないと思います…」

「あぁ?何言ってんだよ、妃になるなら当然だろうが」


手順を踏んでいるのか、いないのか。アヤメには理屈が良く分からなかった。


「何もしねえよ、来い」


オランが優しく、そう言ったので、アヤメは仕方なく同じ布団に入り込んだ。

大きなベッドなので、二人寝ても、そこまで密着せずに寝る事は出来るだろう。

だが…オランは、アヤメが入ってくるなり、ギュっと体を密着させて抱きしめた。


「あ、あの……?…魔王様……」


アヤメの全身の体温が異常に上昇し、その熱が伝わってしまわないかと、さらに心臓を高鳴らせる。

そんなアヤメが面白くて、可愛くて、オランは最高に楽しくなって来た。


「あと、その呼び方と敬語やめろ」

「え…でも、魔王様が、そう呼べと…」


するとオランは、アヤメの耳元で小さく囁いた。


「許可してやるから、名前で呼んでみろ」


その甘い囁きに導かれるように、アヤメの口から言葉が紡がれていく。


「オラン……様?」

「違ぇだろ」


アヤメは恥ずかしくなって、思わず布団の中に顔を埋めた。


「……オラン……」


「それでいい」


オランは満足そうに笑った。


「これは、ご褒美だ」


そう言ってアヤメの左手を取ると、その薬指に何かを嵌めた。

一瞬、薬指に感じた冷たい金属の感触に驚いて、アヤメは自分の左手を見て確認する。

金色に輝く金属の輪に、オランの瞳のような赤い宝石。


「これは何ですか?」

「婚約の証だ。絶対に外すなよ」

「分かりました。綺麗ですね」


だがオランは、また不満そうな顔をしている。


「違ぇだろ、言い直せ」


アヤメの敬語口調が気に入らないのだ。


「うん、……分かった……オラン」


アヤメの薬指のそれは、当時の日本にはまだ存在しなかった、『婚約指輪』であった。



魔界に来たばかりで、疲れたのだろう。

あんなに恥じらっていたアヤメは、オランの隣で、すぐに眠りに落ちていった。

オランは寝顔を見つめながら、しばらくアヤメの栗毛色の髪を指に絡ませて遊んでいた。

退屈はしなさそうだ。これからの日々が楽しみで、仕方が無い。







こうして、魔王の『契約者』から『生贄』に、そして『婚約者』となったアヤメの魔界での日々が始まった。

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