第12話 バグにハグを(2)

 夜を駆ける。

 家の点在する暗い田舎から夜空も明るく染めるきらびやかな都会へ。車を急き立てて追い風よ吹けと願いながら夜空を駆けてゆく。


「ラフィール、まだ? 田舎に行くのは早いのに都会へ戻るのはなぜ遅いの?」


 遠くに見える地上の灯りを見つめながらティアラは愚痴をこぼす。


 気持ちのせいだ。

 急く思いがなければ時間の流れを遅く感じることもないだろうに。そう思っても、わかっていても落ち着かない。

 空港から地上に降りて見慣れているはずの景色の中を走る。


「なんだか・・・・・・妙な感じ」


 どこかよそよそしくて冷たい印象を感じた。田舎より人の数が多いはずなのに。


「もう、じきに着きます」


 ラフィールの案内になぜか緊張していた。


「あれ? どきどきしてるの?」


 いたずらにルシフェルが覗き込んできて、ティアラは彼の肩を押し返した。


「なんであなたがここにいるの?」

「友達として劇的な再開を共有しようと思って」


 すました顔を車窓へ向けてルシフェルがそう言った。頬杖をついて足を組んで、ティアラより車の持ち主らしい風情で座っている。


「容姿、変わってないといいね」


 ぽつりと言ったルシフェルの言葉に心がざわついた。


(そういえば、容姿の事は聞かなかった)


 カスタマイズされている可能性をすっかり忘れていた。その事に今になって気づく。



『おチビさんが気にしてるってエリックに話したら、持ち帰りたいならどうぞって言ってたぞ』



 フレデリックからそう聞いただけで安心していた。


 持ち帰るかどうかなんて考えていなかった。

 会えたら、無事だとこの目で確かめられたら、それだけで満足するかもしれない。あるいは、いつでも会いに行けるなら彼の元に居てもかまわないと思えたりするのかも。そんな風に思っていた。


 マリーナの入り口でセキュリティーチェックを受けたあと、車はしなやかに走り出した。


 もう夜が明ける。


 水平線から太陽が頭を覗かせている。ほんの少し、ちょっとだけ。恥ずかしそうにこちらを見ている。それでも空は明るい。


 潮風とあくびのようなカモメの声に迎えられて海沿いを走る。

 ヨットの合間から太陽が覗く、何本もそそり立つマストは歓声を上げるオーディエンスのよう。


 なめらかに止まった車からティアラは転がるように外へ飛び出した。それなのにティアラは立ち止まった。フレデリックの弟、エリックの所有するヨットの前で立ち止まって見上げる。


(こんなに朝早くから押しかけるなんて、無作法だって・・・・・・呆れられるかな)


 しばらく車の中で待とうかどうしようかと迷う。

 ティアラが逡巡しゅんじゅんしていると、彼女の足元に人影が触れた。


「ティアラ?」

「あっ・・・・・・エリック」


 人懐っこい笑顔がフレデリックに似ている。


「ずいぶん早いお出ましだね」

「あの・・・・・・ごめんなさい」

「いや、いいよ」


 軽やかな笑い声がティアラの表情も明るくする。


「どうぞ、むさ苦しい男所帯へ。独身に戻って気ままにしてるから気楽にどうぞ」


 招かれるままにタラップを上がった。数匹の大型犬に歓迎されて猫に観察されながらデッキへ足を踏み込む。


「犬も猫も全員男なんだ」


 笑うエリックは40代のはずだけれど、日焼けして締まった体の彼は若々しく見えた。


「爺、お待ちかねのお嬢様が見えたぞ」


 船内にエリックが声をかける。


(お待ちかね?)


 不思議そうなティアラへエリックは眉をひょいと上げて苦笑いした。


「お嬢様、お呼びですか?」


(あっ・・・・・・!)


 声が聞こえた。

 懐かしいあの嗄れ声が。


「・・・・・・爺」


 出てきた執事の服装は変わっていた。けれど、目尻のシワも口髭も髪型もなにも変わっていない。


「じぃ・・・・・・」


 老執事がこちらへ目を向けて微笑む、その優しい目が表情が、ティアラと一緒にいたときと変わらない。なにも変わらない彼がそこにいる。


「爺の・・・・・・まんま」


 にっこり微笑む表情もそのままで、ティアラはそっと胸を押さえた。心のつかえが溶けて涙が頬を駆け落ちた。


「どうぞ」


 エリックに促されてティアラは爺へ飛びついた。


「おっほっほ、これはこれは。お嬢様、どうなさいました?」

「爺ッ」


 老執事の温もりも背を叩く優しいテンポもなにも変わらない。


「爺・・・・・・よかった」


 ぎゅっと抱きしめて胸に顔を埋める。


「無事で良かった」


 見上げるティアラから少し体を反らして老執事は彼女に微笑んだ。


「お嬢様。そんなにお泣きになられたら、せっかくの可愛いお顔が台無しになってしまいますよ」


 眉をハの字にして困ったようないたずらっぽい表情。老執事のその笑顔が変わらなくて、また涙が込み上げる。


「爺ったら」


 ぽんと胸を叩くと驚いた顔をする。そのおどけた仕草も変わらないから、だから、また泣けてくる。


「心配したのよ!? もう消えちゃったんじゃないかって思って、私のせいでって・・・・・・」


 優しく涙をぬぐってくれるのも変わらない。


「大丈夫ですよ。どなたかと間違われているようですが、きっと大丈夫ですよ」


「──・・・えっ?」


 ティアラをしっかり立たせた老執事がエリックの側へ近づく。


「お嬢様、朝食はなんになさいますか?」

「ん──、昨日と同じでいい」

「かしこまりました」


 ティアラへ軽く頭を下げて老執事は船内へと戻っていった。

 ぽかんと見つめているティアラへエリックが苦笑いする。


「あいつ、俺をお嬢様って呼ぶんだよ」


 そう言って笑う。


「どんなに探してもバグが見つからない。それなのに主人をお嬢様としか呼ばないんだ」


(爺・・・・・・)


「何度HDDをクリーニングしても、彼が呼ぶ主人の呼称はお嬢様。まるでお嬢様にしかお仕えしたくないって言ってるみたいなんだ」


 エリックが眩しそうにティアラを見つめていた。


「連れて帰ってあげて。元通りには戻らないけど・・・・・・」

「ううん、それでもいい。連れて帰ります。そうさせてください」


 少し残念そうな彼にティアラは頷いていた。泣きながら何度も。


「元通りにはならないかもしれないけど、彼の大事な思い出はここにあるから」


 ティアラの手には黒い蝶ネクタイが握りしめられていた。





 優しい声が聞こえる。



『ずっと、ずっと、爺の心はお嬢様の側にいます』


 愛しそうに包む声が重なる。


『どこにいても、ずっと・・・・・・ずっとです』





 データは消されたはずなのに。

 バグは見つからないのに。


「爺、わたしの事を忘れたくなかったの?」


 彼の思いは0と1の隙間にこぼれ落ちて隠れているのだろうか。


 ドーナツの穴の不思議のように、0の穴のその向こうにアンドロイド執事の心は存在するのかもしれない。






 ◆◇◆ Cloud ─降る雨は優しい記憶─ END ◆◇◆




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