第11話 優しいまなざし(2)
夕日をバックに黒いシルエットが駆け寄ってくる。ムササビみたいに両手を広げ、飛び付くみたいに抱きついた。
「おっほっほ。これはまた凄い勢いですね」
驚いてみせる老執事へ小さなティアラがくったくない笑顔を向けている。
(抱きつくの大好きだった)
何度だって驚いてくれる爺。いつだって楽しそうに笑ってくれた。
前から後ろから駆け寄って物陰から飛びついたりして、驚く爺が面白くて、声を転がして笑った。
(目尻にシワを寄せてとても楽しそうに笑う爺が好きだった)
その顔が見たくて何度もなんども繰り返していた。
「じぃ!」
「爺ッ」
「じーい!」
笑顔のティアラが爺を呼んで抱きついてくる。どれもこれも満面の笑顔の大写し。
「なんでこんなに、同じ映像ばかり」
同じ遊びを繰り返す自分が恥ずかしくて笑顔が可愛くて幼くて、爺の見ている世界が明るくて楽しくて・・・・・・。なんだか鼻がツンとしてくる。
笑う爺の声がとても楽しそうで、写っていないはずなのに爺の笑顔が見えてくる。
「爺・・・・・・」
涙が勝手にこぼれてティアラはそっとぬぐった。
「お嬢様が楽しそうで爺も嬉しゅうございます」
ティアラに答えるように爺の声がそう言った。
「爺ったら」
またひとつ涙が落ちる。
「この執事、いまどこにいるの?」
(はっ・・・・・・!)
なにげないルシフェルの問いに胸を突かれた。答えることができなくて、痛む胸を押さえてティアラは画面を見つめていた。
爺はもう、いない。
甘く優しい思い出が音をたてて砕けた。そう感じた。
「・・・・・・爺は」
自分のせいでいなくなった。もう、どこを探しても見つけることはできない。
「爺! そばにいて!」
小さなティアラが泣きつく。
「ずっとずっと側にいて!」
覚えてる。怖い夢を見た日だ。
「爺ー! ティアラの側にいてッ」
爺の胸の中で彼の腕にしがみついて大泣きした。
「お嬢様、大丈夫ですよ。爺はここにいます」
「爺ッ、ずっと側にいて!」
「はい、ずっとお側にいますよ」
ずっと側にいてとせがんだくせに。
「ずっと? ずっとよ?」
「はい。ずっと、ずっとです。爺はいつまでもずっとお嬢様のお側におります」
私は爺を捨てた。
私が爺を遠ざけた。
私が爺を・・・・・・この世から・・・・・・。
映像が歪んでもうよく見えない。
「爺、シャイアがね」
弾んだ明るい声が爺を呼ぶ。
「シャイアがこう言ったのよ。爺、聞いてる?」
嬉しい時も悲しい時も、いつだって爺はそばにいてくれたのに。
(私が捨ててしまった・・・・・・)
爺に向けられていた笑顔がシャイアへと移って引きの映像が増えていく。
画面いっぱいだったティアラの笑顔が減っていく。余白が増えて、シャイアとふたりだけの世界を写し出した映像が続く。
(・・・・・・爺)
部屋の隅で、呼ばれるのをただ待っている。ひとりきりでふたりの姿を見つめて、どんな思いでいただろう。
赤ちゃんティアラが初めて「じい」と呼んだ時の爺の声が耳の奥で聞こえる。
「おぉ、私をお呼びですね? 何なりと申し付けください」
どの場面よりも声を弾ませて嬉しさがこぼれていた。
「あっちにいって!」
爺に物を投げつけて声を荒らげたのはシャイアに心を砕かれた日だった。
「ずっとそばにいて」
泣く幼いティアラの声が被さる。
「ずっとずっとよ?」
そう言ったくせに。
爺はどんな時も側にいてくれたのに。
「入ってこないでッ!」
ベッドに潜り込んで爺を拒絶して、爺の顔すら見なかった。
「爺は側にいますよ」
「あっちへ行って!」
「側にいますから、いつでも声をかけてください」
ドアの近くから聞こえる声を無視して冷たく当たった。
アンドロイドだから何も感じない?
幼いティアラの成長のひとつひとつを、保存されないささやかな場面を大切な思い出と言う人が、悲しく思わないなんてあるだろうか。
失恋で塞ぎ込んでいたあの頃、爺はどんな気持ちでいただろう。
長くこもっていたティアラが出掛けると言った時の、爺のあの晴れやかな笑顔。それだけでどれほど心配していてくれたかわかったはずなのに。
(自分のことで精一杯だった)
気づきもしない自分を、思いいたらなかった自分を叩きたい。
映像はシャイアとティアラを写してる。
ソファーの背もたれからふたりの頭だけが見える。遠い引きの画。
「仲睦まじい」
穏やかに包む爺の声がナレーションのように入っていた。
「いつかお嬢様がご結婚されたら、こんな日常を送られるんでしょうかねぇ」
そっと添えられる独り言。
「結婚式を見ることは叶いませんが」
(・・・・・・爺)
「いついつまでもお幸せに」
もう手放すことを決めていた頃だ。
「遠くから幸せをお祈り申しあげております。ずっと、ずっと、爺の心はお嬢様の側にいます」
愛しそうな声が優しく撫でるように紡がれる。
「どこにいても、ずっと・・・・・・ずっとです」
ほっくりと笑う爺の笑顔がふわりと浮かんだ。
(爺・・・・・・じい)
「これを・・・・・・伝えたかったの?」
別れの庭で爺はあっさりしていた。
言い残すことはないみたいにさっぱりした別れ。
アンドロイドだからだろうと思っていたのに。
「こんな風にメッセージを残してるなんて・・・・・・」
小さな黒い蝶ネクタイに思いを込めてティアラに渡していた。
「見ずに捨ててたら、どうするつもりよ。爺ぃ」
涙があふれてとまらない。
「・・・・・・ティアラ」
ラフィールとルシフェルに抱きすくめられても、それでも足りない。爺が抱きしめてくれた安らぎには2人分でもぜんぜん足りない。
「爺が・・・・・・恋しい」
廃棄された理由を知ったところでこの心の穴は埋まらない。
爺に、
・・・・・・会いたい。
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