第10話 思い出(4)

 夕食はなにごともなく穏やかだった。

 父親から老執事の話は出てこない。母を前にティアラも尋ねることができないまま、ゆっくりと時間は過ぎていった。


(もう諦めてるくせに)


 投げやりな心がティアラをつつく。

 もう諦めの気持ちが半分以上を占めているのにどこかに希望を探してる。フレンドリー社のトップが、フレデリックが見つけたと告げてくれるんじゃないかと期待している。


(そんなはず・・・・・・ないのにね)


 部屋に入るといつものようにスノーウィーとシオナが迎えてくれた。鳴き声が落ち着くのを待って、今日はもうひとつの声にも迎えられる。


「お帰り、にゃあお」


 ソファーの背もたれに腰かけて金髪の大きな猫も待っていた。握った片手を頬に当てて可愛く首をかしげてる。


「僕の名前決まった?」


 黙って目の前を通過したティアラのあとを彼がついてくる。


「ツンデレは僕の専売特許なんだけどにゃあ」


 残念そうなすねた声にティアラは振り返った。


「あなたのツンもデレもいらない。名前なんて付けてあげない」


 名前を付けたら手放せなくなるから・・・・・・とは言えなかった。データを見たら売りに出すなんてもっと言えない。


「おっと、悪役令嬢キャラか。僕はどんな役をしたらいいかなぁ」

「データを見せて」


 彼との会話をスルーしてティアラはそう言った。ポケットから取り出した黒い蝶ネクタイを彼の鼻先につきつけながら。


「なに? これ」

「何か知ってるわよね。出来るんでしょ?」


 彼はラフィールへチラリと目を向ける。


「そのために君は選ばれたんだよ」

「早く」


 命令するティアラを見て彼は考えるポーズをとった。口元に指を当てて首をかしげて見せる。


「どうしようかなぁ」

「データを見せてッ」

「じゃあ・・・・・・」

「じゃあ!?」


 交渉を始めそうな友達アンドロイドにティアラが呆れた声をあげた。


「僕に名前を付けてよ」

「指示に従って」

「友達に向かって酷い言い方だなぁ」

「くっ!」


 口の片方をを引き上げた彼はいたずらっぽい笑顔を向ける。


「名前で呼んで欲しい」


 視線を落として寂しそうに口を尖らせてる。

 名前を付けたくなかったけれど、背に腹は代えられない。


「ん・・・・・・ルシフェル」


 名前を授けられた彼は少しの間を空けてくすくすと笑い出した。


「ルシファーから? 小悪魔系だからね、悪くはないチョイスだ」


 彼は笑いながらラフィールと自分を交互に指差している。


「ラファエルとルシファーか、いいコンビだね」


 言われたラフィールは困ったような顔でほんの少し笑顔を作った。


「いいからッ。ルシフェル、データを見せて」


 ティアラの手から蝶ネクタイを取ったルシフェルは、もったいぶった様子で眺めていた。


「何してるの?」

「人に頼むときには何て言うんだっけ?」

「なんですって!? 私に指図するの?」

「僕は執事じゃなく友達なもんで」


 しゃくだが従わざるおえない。


「お願い」

「ん?」

「ルシフェルお願い」


 満足そうにルシフェルが頷く。


「わかった。ティアラのお願いを聞いてあげる」


 満面の笑顔の輝きがまるで天使のようだった。


(悪魔ッ!)


 心で毒づくティアラに気づかぬふりで、ルシフェルはシャツの第1ボタンにネクタイを取り付けた。


「読み込んだからといって、執事にはならないよ」

「わかってる。もうひとり執事が欲しいわけじゃない」


 ルシフェルはソファーに座ってとなりの席をぽんぽんと叩く。ティアラは黙ってとなりに座った。


「何を知りたいの?」

「何が残されてるのかよ」

「残されてるか?」

「爺が残した思い出が知りたいの」


 ルシフェルの瞳がやわらかく光った。


「OK」


 しばらく見えない何かを見ていたルシフェルが独り言のように言った。


「どれから見せてあげようかな」

「古い順でいいから」


 焦れるティアラにルシフェルはくすりと笑った。


「じゃあ・・・・・・ヌードの映像から」

「ヌード? 爺がそんなの残すわけがないわ」

「うわぁー胸なんか撫でちゃって」

「ちょっと、なに勝手に見てるのッ」


 文句を言うティアラの頭をルシフェルがむりやり前へ向ける。


「ヌ、ヌードって」


 ぱしゃぱしゃと水音をたてて裸ん坊の赤ちゃんが目の前に浮かんでいた。


「可愛いなぁ、ぷっくぷくで天使みたい」


 面白がるルシフェルが横で声をたてて笑っている。

 沐浴もくよく中の小さなティアラ。鈴を転がすような笑い声の合間に聞きなれた声が録音されていた。


「気持ちいいですか? お嬢様」


 しわがれた優しい声。

 小さな体を支えるしわのある手。


「・・・・・・爺」


 水面を叩く紅葉の手が水を弾く。


「あはは、凄いですねぇ。楽しいですか?」


 たくさんの水滴が画面に飛んでくる。顔も服も水をかぶって濡れているだろうに、老執事の声は温かくて楽しげで。


「次はこれにしようかな」


 ルシフェルの声に同意も異論もいえずに、ティアラはただ胸に手を当ててじっとしていた。喉が詰まってなにも言えない。


 目頭が熱くてティアラは知らずしらずのうちに唇を噛んでいた。




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