第10話 思い出(1)
ティアラは無言で廊下を歩いていた。緊張がほどけたいま、力を失って脱け殻のように軽い体を部屋へ進めていく。
記憶違いじゃなかった。
父は手続きをしていなかった。
老執事はもうこの世界から消えてしまったのだろう。
幾度も寄せる波のように同じ文句が頭の中をぐるぐる巡っている。
「ティアラ、大丈夫?」
部屋のドアを閉めたラフィールは開口一番にそう聞いた。
ティアラに彼の声は届いていたけれど、答えることが億劫で寝室へと向かった。
このままベッドに潜り込んで突っ伏して泣いてしまいたい。
失態だ。
(全て私の責任)
唇を噛んで脱いだガウンをベッドへ投げつける。
『物に当たるなんてお嬢様のすることですか?』
老執事の声が聞こえる気がする。彼ならきっとそう言うだろう。渋い顔で言っておきながら笑う彼の笑顔が浮かぶ。
(爺・・・・・・ごめんなさい)
『私に謝ることなんてありませんよ』
少しおどけた表情で笑って抱きしめてくれるにちがいない。
『こんな格好で廊下を歩くなんて!』
子供の頃に同じことで母に叱られたことがある。母の声は天から落ちてくる雷のように思えた。あの時も老執事は抱きしめてくれた。
(ずっと側にいてくれたのに)
もう遅い・・・・・・。
フレデリックから理由を聞けたとして、それでどうなるというのか。思いを巡らせる自分を姿見の中に見つけて、ティアラはため息をついた。
(アンドロイドみたい)
落ち込んだ思考にどっぷり浸かりながら、母に気に入られるように着替えを済ましている。
(お母様のアンドロイドね。ミスばかりのどうしようもないアンドロイド)
子供の頃、偶然に母がこぼした愚痴を聞いてしまったことがあった。
『優秀な受精卵だというからあの子を選んだのに、失敗ばかり』
言葉の意味を全て理解したわけじゃなかった。それでも感じた。
『爺、私アンドロイドなの? オーダーメイドの子供なの!?』
ショックで悲しくて泣きじゃくった。
『いいえ、とんでもない。お嬢様は代えなどない素晴らしい存在です』
そして言ってくれた。
『もしもお嬢様がアンドロイドだったとしても、自分を誇らしく思ってください。ミスが出来るアンドロイドだなんて、こんな特別な存在はどこを探してもいませんよ。なんて人間らしいんでしょう』
ぎゅっと抱きしめて背中をとんとんと優しく叩いてくれた。口髭が首に当たってくすぐったかったのを覚えている。
「・・・・・・爺」
『さぁ、気分転換にくまさんのチョコでも食べましょうか? それともお気に入りの服に着替えましょうか?』
老執事ならそう言う気がする。
いつもティアラに向けてくれた彼の笑顔に押されてアクセサリーケースの前に立った。
きらめく物を身につけて気分を変えよう。ティアラはそう思った。
ケースの中を端から端まで視線を送る。華やかなケースの中でおとなしく置かれた黒い蝶ネクタイが視界に入った。ケースの隅っこ。それは賑やかなパーティー会場の隅で、静かに
『大切な思い出です』
老執事はそう言ってティアラに渡した。
「爺・・・・・・。爺の大切な思い出ってなに?」
ここには彼との思い出はほとんどない。この黒くて小さな存在だけが老執事がいたことを伝えていた。
蝶ネクタイを手に部屋を出ていくと、テーブルに朝食の用意がされていた。
「着替えをしてたの? 声をかけようかと思っていたところだよ」
笑顔で向かえるラフィールにティアラは蝶ネクタイを見せた。
「それはなに?」
「爺の大切な思い出が入ってるの」
「・・・・・・そう。外付けのHDDレコーダー?」
ラフィールは物珍しそうな顔で見ていた。
「これ、読み込める?」
「ごめん、僕は対応してないんだ」
残念そうに首をすくめるラフィールにティアラも苦笑いを返す。
「いいの、気にしないで」
言ったティアラの表情は冴えない。
朝食を前に手をつけることも忘れたように手の中のネクタイを見つめていた。
(大切な思い出・・・・・・かぁ)
ティアラはここへ来てからもう何度も老執事の事を思い出している。自分が思い浮かべたのと同じシーンを大切に思っていてくれたら、そうだたら嬉しい。
老執事とふたりだけの思い出、それはただの日常。
AIに消されたくなかった日常のシーン。
「ティアラ」
「ん・・・・・・?」
「フレンドリーの執事なら読み込める機種がいくつか残ってるみたいだよ」
ティアラは黙っていた。
「ショップを当たってみようか?」
黙ったままティアラは首を振った。
老執事を買い取ろうと思ったときは2体持ちでもいいと思った。けれど、データ見たさに執事を・・・・・・となると、話が違う。
ティアラが必要としているのはあの老執事だ。
「執事は・・・・・・あなただけでいいの」
「ありがとう。嬉しいよ」
微笑んだラフィールがティアラの頭をなでる。
「それに、執事を2体持つなんて・・・・・・。お母様に叱られてしまうもの」
そう話すティアラの目はずっとネクタイに向いていた。
「気になって仕方ないんだね」
重要なことは全てクラウドにある。でも、懐かしく思うあのシーンはクラウドにはないだろう。────きっと。
「爺の声、聞きたいな」
ラフィールに頼めば、サンプルか合成で老執事の声を聞かせてくれるにちがいない。
「写ってるのは私ばっかりで爺の姿は見れないだろうけど・・・・・・。会話をしてる声が聞きたい」
声は作れてもティアラとのあの掛け合いをする老執事はもうここにしかない。
「ティアラ」
蝶ネクタイを見つめる彼女の目から涙がひとつこぼれた。
「執事がだめなら・・・・・・友達アンドロイドはどう?」
「え?」
「互換性のある機種をいくつか見つけたよ」
そう言ったラフィールの笑顔は、隠してたプレゼントを渡すようないたずらっぽい笑顔だった。
「ラフィール、それ」
「いい考え?」
いたずらな微笑みにティアラは涙目で答えた。
「いい考えよ」
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