第9話 老執事の行方(4)

 飛び出すように部屋を後にして両親の部屋へと向かう。歩きながらティアラは祈っていた。


(どうかお父様が手続きをしていますように)


 全てが取り越し苦労だった。手続きをしていた事が抜け落ちていただけ、そうであって欲しい。もしそうなったら、そうだったら、老執事はどこかにいる。手を差し伸べれば彼に届く。


 老執事の人懐っこい笑顔が浮かんで瞳が潤んだ。


(悪い夢よ、きっと悪い夢)


 両親の部屋をノックしてドアを開けた執事に取り次いでもらう。わずかな間が長く感じた。執事がどうぞと寝室のドアを開けるのももどかしくティアラは入っていった。

 勢い込んで入ったティアラは、冷たい声に迎えられて無意識に体をこわばらせた。ビクリと立ち尽くして動けない。


「その格好は何? ガウンを羽織っただけで家の中をうろつくなんて」


 出鼻をくじかれた。

 母の厳しい声に突き刺されて弁解もできず固まる。息を飲んだまますぐには声が出せず母を見つめた。


「ハニー、いいじゃないか。ゲストを呼んでいるわけじゃなし」


 父親がやわらかい声でそう言った。


「普段の習慣が大切なの。自分の部屋でならともかく、廊下をこんな格好で歩き回るなんてありえないわッ」


 口調が早くなる母を父は「まぁまぁ」と落ち着かせようとする。


「そうだね、君の言う通りだよ。ティアラ、謝って」

「・・・・・・ごめんなさい」

「ほら、反省してる。許してあげて」

「もぉ、甘いんだから」


 そっぽを向く母の肩を父がなでていた。


(どう切り出したらいいの?)


 母のわずかな表情の変化が気になってしかたない。


「今日は3人とも予定はなかったはずだけど、こんなに早くからどうしたんだい?」


 話をむけた父にティアラは心の中でほっと息をついた。


「親子3人で遊園地に行きたいってわけじゃないんだろ?」


 母親が流し目でこちらを見ている。

 母から父へ目を転じると優しい微笑みがそこにあった。


「あの・・・・・・確認、したいことがあって」

「ん? 何かな?」

「爺の事なんですけど・・・・・・」


 ちらりと母親をうかがうと彼女は視線を落として黙っていた。


「お父様が保管の手続きをしてくれたか気になって」

「──してないよ」


 彼は不思議な顔で娘を見つめた。


(ああ・・・・・・爺)


 頼みの綱がぷつりと音をたてて切れた。

 視界が陰った気がして絶望が押し寄せてくる。母を恐れて強ばった体から力が抜けそうだった。


「要らないんじゃなかった?」


 娘の深い悲しみを感じ取って父親の表情が悲しげになる。


(私のせいだ、私のせいで爺は・・・・・・)


 もう間違いだなんて誤魔化せない。


(爺はこの世界から消えてしまった? もう消えてしまったの?)


 今にも泣き出しそうなティアラに父親はため息をついた。


「手続きはしなかった」


 残念な気持ちを声に含ませて父親はそう言った。


「今は要らない、そういう意味だったの。手放すと言っても倉庫に入れておくみたいな感じで・・・・・・」


 歯切れの悪いティアラの言葉を母の鋭い声が切り捨てた。


「言葉選びには気を付けなさいってあれ程教えてきたのにッ」

「ごめんなさい、お母様」


 謝るティアラに母は言葉を投げる。


「もう遅いわ、あれから何日経ったと思ってるの!? 私たちは魔法使いじゃないの。同じような物をあなたに与えることはできるけど、削除されたデータは戻らない。全く同じ物は作れないのよ!?」


 失ったデータ。

 抜け落ちた穴は埋まらない。

 母は完璧にこだわっている。頼まれたら責任を持って完璧にこなす人だ。不完全な結果はすでに見えている。

 抜けた穴はそのままでいいとティアラが言ったとしても彼女自信が自分を許せないだろう。


「お母様ごめんなさい、でも、でも違うの」

「何が違うの!?」


 身をすくませて自分を抱きしめながらティアラはなんとか反論を試みた。


「爺はもう・・・・・・もう取り戻せない。きっとそうだと思います」


 自分で言った言葉がティアラを突き刺す。


「ごめんよ、ティアラ。父さんが念を押して聞いておけばよかった」

「あなたのせいじゃないわ」

「ハニー、庇ってくれるの? 嬉しいな」


 父の微笑みと明るい声が空気を軽くさせる。


「あの執事はもう誰か他の主の元で働いてると思うんだ」

「爺は誰かに買われたりしてない」


 ティアラは粘る。


「そう思いたい気持ちはわかるよ。でも、残念だけど」

「登録抹消されてるの」

「そう、記憶から抹消して前向きに・・・・・・え? いま何て?」


 ぽかんとする父親に言い含めるようにティアラは言った。


「登録が抹消されてるの」

「それは・・・・・・変だな」

「そうなの、変なの。爺は最後まで変わりなかったのに」

「最後のメンテナンスでも問題は指摘されてなかった」


 狐につままれたような顔で父が記憶をたどる。


「問い合わせても理由はわからないの」


 母が小さく「問い合わせたの?」と呟く声は聞こえていた。それでも、今度は怯まずにティアラは続けた。


「フレデリックおじ様に聞いてみてほしいの。お父様、お願い」

「わかった」


 懇願するティアラに二つ返事だった。


「あなた、彼を巻き込むの?」

「聞いてみるだけだよ」

「ちょっと」

「変だと思わない? 不具合がないのに抹消なんて、不思議だろ?」


 不思議に心引かれた父を止められる人がいるだろうか。妻でも彼の好奇心を止められない。


「不備なんてあるはずがないけど・・・・・・」


 母はこんな事で人の手を煩わせるのかと不機嫌な顔をしつつ言葉を濁した。


「大変だ、こんな所に深い溝が」


 父がそう言って妻の眉間に指を当てた。


「僕が消してあげる。ん──っ」


 妻の額にキスをする彼の手は彼女から見えない位置でひらひらと揺れていた。その手は「今のうちに行きなさい」とティアラを促す。


「では、よろしくお願いします」


 短く言ってティアラは彼らの寝室から出ていった。




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