第9話 老執事の行方(1)

 小舟というには大きなベッドの中で、眠りに落ちたような落ちていないような時間を過ごすうちに、小鳥の鳴きかわす声が聞こえてきた。


 まだティアラの心は昨日を抱いている。心の夜はまだ明けないのに世界は待ってくれない。


「ルルとモコはもう起きてるのね」


 ゆるりとベッドから抜けてガウンを羽織る。ドアをくぐって外に出ると庭は寝息が聞こえてきそうな静けさに包まれていた。


 東の空が白みはじめていて、夜虫たちは眠りに落ち昼に飛び交う虫たちはまだ眠っているそんな時間。

 庭はあちこちに深い影を残し、静かな空気に溶け込んでしまいそう。足は自然と東側へ向いていた。


(人がいる!)


 ぎょっとしてティアラは立ちすくんだ。


「誰!?」


 思わず声を出して、しまったとティアラは思ったがもう遅い。影は振り返ってこちらを見ていた。


「ん? お嬢・・・・・・様?」


 男ののんきな声が返ってきてティアラは目を凝らす。


「フォレスタ?」


 ほんのりと朝日を受けて、かろうじて確認できた顔にほっとする。庭師のフォレスタだった。

 脚立を台形の様にして、その上の平らになった所に彼は腰かけていた。


「何をしているの?」


 フォレスタはティアラの様子を見て笑った。


「驚かせたみたいだね、ごめん。東の空を見てた」

「何かあるの?」

「なにも。────こっちに上がってみる?」


 首を振った彼がティアラへ手を伸ばす。


「大丈夫、ひとりで上がれるから」


 脚立を上がったティアラが彼の横に座るのを待って、フォレスタはコップを差し出した。


「コーヒーを飲みながら夜が明けるのを楽しむ。それがここに来てからの日課なんだ」


 ティアラはコップを覗き込んでからチラリとフォレスタを見た。


「ブラック?」

「苦手?」

「ラテなら飲めるんだけど・・・・・・ごめんなさい」


 フォレスタは肩をひょいとすくめて笑った。

 ティアラが黙っているとフォレスタも黙って空を眺めている。静かで、東の空が時間の経過を色で知らせている。


「空の色が変化していくのが見ていて楽しい」


 彼の声に誘われたように、セキセイインコのルルとモコがやってきて、ふたりの肩に舞い降りた。


「鳥や草木が目覚める感じが好きなんだ」


 黙っているティアラにかまわず、独り言のように静かな声でフォレスタは話す。穏やかなテンポが心地よかった。


「もちろん、夕日も最高だし夜空もいい」

「毎日見てるの?」

「そう、毎日」

「朝も昼も夜も?」

「朝も、昼も、夜も」


 呆れ顔のティアラが口を開きかけたのを見て、フォレスタは人差し指を彼女に向けた。


「見飽きたりしないよ。見てごらん、360度って言っていいくらいのでっかい空だよ」


 立ち上がったフォレスタが両手を広げてティアラに笑いかけた。


「雲にこんなに沢山の表情があるって知らなかった」


 彼の笑顔を朝日が明るく照らしている。


「夜空の星が瞬いて僕に手を振ってるみたいで嬉しくなる」


 ティアラはくすりと笑った。


「あ、子供みたいだと思ったろ」

「ううん、私も子供の頃にそう思った」


 否定するティアラをフォレスタは少し不満そうな顔で見ていた。その顔は「それって結局子供っぽいって思ったってことだろ」と言っている様で、ティアラはまた笑った。


「お嬢様には珍しくもないだろうけど、僕は中層で育ったんだ」


 少しふてたように座り直して、フォレスタは苦笑いをしながらそう言った。


「夕日も朝日も見たことはあるよ。あるけど、こーんなに細いんだ」


 フォレスタはそう言って両手を向かい合わせに立てた。そして、ビルに見立てた手と手の間。その細い隙間越しに片目でティアラを覗き見る。


「いつかでっかい空をこの目で見てやる!・・・・・・ってのが僕の夢だった。ステーションの応募に受かっていそいそと仕事に就いたら、空をみるどころか飛び越えちゃってたけどね」


 鉄板ネタなのか口調も表情もコミカルで、ティアラは声をたてて笑った。


「宇宙飛行士って草花の勉強もするの?」

「は? ・・・・・・ぷっ」


 ティアラの質問にフォレスタは肩をゆらして笑った。その様子にティアラは何が可笑しいのかと目を丸くする。


「ごめん、ごめん。違うんだよ。農業用プラントで働いてたんだ」


 ティアラには農業がピンとこなかったけれど、これ以上深掘りするのはやめにした。


「アンドロイドは高いし、機械だけじゃ心許こころもとない。人を雇うと会社に助成金みたいなのが入るらしくてさ」


 ティアラはふーんと小さくうなづいた。


宇宙そらへ行けるし楽な仕事だから人気があるんだって、二年で契約終了。で、今ここ」


 そう言ってフォレスタは笑う。


「ところで、前に一緒だったお爺さんは?」

「爺?」

「そう、執事さんだっけ?」

「ああ・・・・・・爺は買い替えたの」


 今度はフォレスタが目を丸くする番だった。


「買い換えってことは・・・・・・。あの執事のお爺さんアンドロイドだったの?」

「そうよ」

「てっきり定年退職でもしたのかと・・・・・・そうか、そうなんだ」


 しばらく黙っていたフォレスタがぽつりと言うのをティアラは耳にした。


「もう1回話したかったな」

「爺と?」

「そう。気が合いそうだったから」


 ちらりと想像してみる。合うかもしれないと思ってティアラはほっくりと笑った。


「あのお喋りが懐かしくなったら呼び戻すかも」

「呼び戻す? 保管してるってこと?」

「そう」

「使わないのに?」

「そうよ」

「さすが金持ち」


 ティアラは少しむっとした顔になった。


「金持ちは関係ないでしょ。まだ使えるものを取っておくのはおかしくないと思うけど」

「それはそうだけど」


 少し早口になったティアラに押されてフォレスタが言葉を濁す。


「それに、爺は・・・・・・長い休暇をあげてるだけよ」


 先に折れたフォレスタはなるほどとうなづいた。


「メンテナンス料とかは高くないの?」

「メンテナンス?」

「だって、使いたい時に動かないんじゃ取っておいた意味がないだろ?」


 保管するにもメンテナンスにも確かにお金がかかる。


(それはお父様がちゃんとしてくれてるはず)


 そう思ったティアラに父親から投げかけられた一言が浮かんだ。



『もう要らないの?』



 そんな質問をされた記憶がある。


(あの時、私なんて答えたんだろう)


 もう要らない。そう言ったような気がする。


「保管する契約をしなかったら・・・・・・どうなるの?」


 頭をもたげた不安をティアラは口にした。





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