第7話 胸中の大波(3)

 どこか落ち着ける場所を探してティアラの目が彷徨さまよう。でも、右を見ても左を見ても人、人、人。


 誰とも話したくない。

 知り合いと顔を会わせたくない。

 見知った顔をさけて人を避けて歩く。どこに行けばいいのかわからなくて、とにかくあの2人から遠ざかりたくてティアラはあてもなく足を動かしていた。


 平静を装った仮面が剥がれてしまう前に、貼り付かせていられるうちになんとか心を沈めたい。


「静かな所へ行きたい」


 ティアラの呟きを拾ってラフィールが提案した。


「テラスはいかがですか?」

「テラス?」


 会場になっているこの建物のテラスは、今日1日限りのカフェテラスになっていると聞いていた。

 母が贔屓ひいきにしているピアニストが曲を奏でているはず。


「そうしましょう」

「では、こちらへ」


 母に感想を言わなくてはとフラグが立つ。するべき事があればなんとかなりそうな気がした。

 パティシエとバリスタはそれぞれ祖母クリスティアとアイシアのお抱え。友人の開いた展示会にささやかな協力として参加させていると聞いていた。


「ケーキを注文したしましょうか」

「そうして、何でもいいから」


 細かいことを考える余裕はなかった。あの2人を見なくてすむ場所ならどこだっていい。

 家に帰れないなら、ベッドに潜り込めないならせめて、無理に笑顔を作らずにいられる場所へ行きたい。


(お祖母様方とお母様に感想が言える)


 とりあえず、ここですべき事を一気にこなせるのはありがたかった。

 大きく波打つ心にいかりを下ろしてじっとしていたい。前を歩くラフィールが正面からの視線をカットしてくれる。護衛艦のような彼の後ろをティアラは静かに歩いた。


(・・・・・・まだ?)


 窓が近づいている、テラスまで後少しだ。

 自然と早足になっていたその時。


「ティアラさん?」


 ふいに呼びかけられてはっと足が止まった。止まってしまった。気づかないふりをしてそのまま過ぎてしまえばよかったのに。


「ああ、やっぱりティアラさん」


 いままで無表情だったティアラの口角が自動的に微笑みを作る。


《キリル・アレグラント様。奥様の同級生》


 ラフィールのサポートを受けてティアラは挨拶をしていた。


「まぁ、大きくなられて。執事を新調なさったのね」


 ティアラがずっと老執事を連れていたことを知っている彼女は、ラフィールをちらりと見てそう言った。

 薄い会話に相づちを打って、他の人たちと似たり寄ったりの会話の流れに自動で反応している自分を俯瞰するティアラがいる。


(わたし、まるでアンドロイドみたい)


 泣きたいのに、叫びたいくらい悲しいのに涙を抑えて笑顔を作ってる。

 心の中は土砂降りの雨。

 頭まで水に浸かた心に周りの音は遠く聞こえていた。


(解放して、もうひとりにしてッ)


 そう思っているのに口は勝手に動く。


「母とはもうお話しを?」

「ええ、久しぶりで話が弾んだわ。お母様は変わらないわね」

「ありがとうございます。アレグラント様も素敵なままで、会えて嬉しいです」


 差し障りの無い言葉が口から流れ出る。


(ひとりにさせて! 作り笑顔はもうたくさんッ!)


 叫ぶ心がごぼごぼと泡を吐く。


(ああ・・・・・・時間を跳躍できるなら跳んでしまいたい)


 ティアラの気持ちをよそに心に残らない会話が続き、やっと解放された時には手足がしびれるようだった。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「・・・・・・え?」

「こちらへ」


 ラフィールにそっと支えられて、自分がいまふらついたのだとティアラは気づいた。いつもなら当たり前に言っている礼の言葉すら忘れてテラスへと向かう。

 背筋を伸ばして品良く。頭の中にあるのはその一点だけ。

 海面を目指すように明るいテラスへと歩いていった。




  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 ティアラが母の友人につかまっていた頃。テラスにシャイアとサーシャの姿があった。


「シャイア、ケーキはさっき食べたわ。ここに何の用?」


 シャイアは彼女をエスコートするように腰に手をかけて、さりげなくも強引にテラスへ連れてきていた。

 壁にそって左右に並べられた丸テーブルをスルーして手すりまで突き進んでいく。


「シャイア、怒ってるの?」

「いや」

「まさか私を投げ落としたりしないわよね」


 手すり越しに見下ろしながらサーシャは笑ってそう言った。


「投げ落としたりはしない」

「よかった」

「口を縫い付けたいとは思ってるよ」

「わぁ、怖い」


 いたずらに笑う彼女の腕を引いて、シャイアは彼女の目をまっすぐに見つめた。


「僕が言ってない事を誤解する様な言い方で話さないでくれないか?」


 シャイアの強い瞳に一瞬息を止めたサーシャは、くすくすと笑いだした。


「彼女の事を噂した覚えはない」

「そうね、私の質問にやんわり答えてくれただけだったかも」

「父さんと約束してなかったら今ここでエスコートを止めるところだ」


 静かに苛つくシャイアにサーシャは苦笑いした。


「止めるの?」

「約束は守るよ」

「よかった。親には背けないものね。貴方も、私も」


 にっこり微笑んでサーシャはシャイアの腕をとった。


「ねっ、彼女が都会で付き合ってた人でしょ? 当たり?」

「だったとしても貴女には関係ないと思うけど?」

従姉妹いとこと話をしてたって、ケイティーが貴方へ意味ありげに話してたから・・・・・・確かめたくなっちゃったの」


 無視するシャイアを彼女は楽しそうに見ていた。


「可愛い人ね。ねぇ、見た? 彼女の手。なんともない顔をしてても真っ白だった。貴方のことまだ好きなのね。飛びかかられるんじゃないかってドキドキしちゃったわ」


 面白がる彼女にシャイアの目尻が引き上がる。


「ああ、怖い顔。恋人当てゲームよ。ここは暇すぎるんだものこれくらいいいでしょ?」


 シャイアは黙ったままだ。


「貴方もまだ忘れられないみたいね。なんで別れちゃったのかしら」


 ぶつぶつと言うサーシャにシャイアは「関係ないだろ」とだけ言って歩きだした。






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