第7話 胸中の大波(2)

 逃げたい気持ちでいっぱいのティアラを女性かのじょのイヤーカフが引き留めた。

 彼女のイヤーカフがチカチカと光るのが目にはいった。

 形良く彼女の耳に添って並ぶダイヤのラインストーン。その中のひとつが違う色を放っていた。


 それは誰もが身に付けている受信機。


 いま、彼女の耳に執事からティアラの情報が伝えられている。気にならないかすかな明滅がティアラの心を社交モードへ引き戻す。


 会話が始まる。

 逃げられない。


 ティアラのイヤーカフも光っていた。


《アイシア様のご友人のお孫さんにあたる方。サーシャ・ルッツコウ様》


 ラフィールのやわらかな声が頭の中に聞こえていた。

 情報は短く関係と名前を伝える。その後、必要に応じて付け加えられるか、のちに詳細を聞くことになるだろう。


(この展示会の主催者は確かルッツコウ様)


 波立つ心の向こうで冷静なティアラが記憶をかき集めてる。


(アイシアお祖母様のご友人・・・・・・)


 逃げ出せない。

 祖母に恥をかかせたらどうなることか。


「サーシャよ。ティアラって呼んでいいかしら」


 握手を求めて差し出されたサーシャの手が、話を続けたそうなシャイアに間を与えない。


「ええ、そう呼んでください。サーシャ」


 心の中はまだ大波が揺さぶっているのに、微笑みを張り付けたティアラの声は静かに言葉を紡いでいた。

 心の内では冷静さを保とうと必死なのに、手は自動的に握手に応じていた。


「あら冷たい」


 ティアラと握手をしたサーシャが驚いた顔をする。


「寒い? 空調を・・・・・・」

「いえ、大丈夫です。他の方はなんともないようなので、お気になさらずに」


 言ってティアラはにっこり微笑み手を引っ込めた。

 寒くなんかない。寒くて手が冷えてるんじゃない。


「シャイアとは都会でお付き合いされてたのよね」

「え?」


 言われてティアラの眉がかすかに跳ねた。

 恋人として付き合っていることを公表したことはない。うわさ程度の情報はオープンソースに載らないはずだ。


「シャイアからうわさは少々」


 意味ありげにシャイアにちらりと視線を投げて、彼女は余裕の笑みでティアラを見た。


(シャイアから!?)


 彼女の視線につられてティアラの目も彼へ向いてしまう。

 シャイアは一見落ち着いているように見えた。けれど、彼の目が焦っている。ティアラにはわかった。


(わたしのことを?)


 ティアラの心臓がどくんと音をたてた。


「サーシャ、そんなこと」

「恥ずかしがらないでいいのよ。シャイア」


 彼の言葉を遮ってサーシャは楽しそうに笑っていた。彼を困らせて楽しむいたずらな恋人、そう見えた。彼にじゃれつく姿を見せられてうねる大波のおもてに雨粒が落ちる。


(なんて話したの? どんな事を?)


 笑顔を張り付けたティアラの目が凍結していく。


「ティアラさんって、本当に愛らしい人ね」


 社交の場で何度も大人たちにかけられたきた言葉に怒りが湧いた。


(わたしを子供扱いしてる!?)


 シャイアの腕に手を回してその腕に自分の胸をさりげなく触れさせて、サーシャは愛しそうに彼を見つめていた。


(どこで話をしたの? どんな場所で? ベッドで? 肌を合わせながら?)


 場面を想像すると怒りが増した。


 ティアラとシャイアはキスはしてもそんな事はしなかった。

 ふたりのきらきらした思い出が、純粋な記憶が濁っていくようで嫌だった。必死に手を握りしめて平静を保とうとつとめる。


「えっと・・・・・・何だったかしら、あの小説のタイトル」


 その言葉にティアラの心が弾けた。



 知ってる!?

 話したの?

 あの小説の事を!?



 疑問が次々と湧いてきて滲んだ怒りを隠せない。シャイアがたまらず口を開いた。


「違うんだ、ティアラ」


 言い訳を始めるシャイアの声が遠かった。

 ティアラの足が一歩、勝手に後ずさる。


 シャイアと親しくなるきっかけはあの本だった。ふたりきりで物語についてたくさん語り合った。

 社交界の窮屈さも自由にならない親子関係の事も話した。それなのに、共感しあって内緒だと約束しあったのに。シャイアなら守ってくれると信じていたのに・・・・・・。


 彼の部屋で、ティアラの庭で、色々話した場面が頭の中で浮かんでざらざらと消える。


(ふたりだけの大切な思い出を勝手に他人ひとに話すなんて!!)


 心の中で雷鳴がとどろいている。

 涙が決壊する前にシャイアを責めたかった。問い詰めて怒鳴り散らしたい。


 でも、ここでそうしてはいけないとティアラは知っている。わかってる。

 体の前で合わせた手を必死に握って真っ白な顔で視線だけを外すしかなかった。


「お嬢様よろしいですか?」


 いつの間にかラフィールが脇に立っていた。


「ご歓談のところ申し訳ありません」


 頭を垂れるラフィールに、


「あら、いいのよ。わたしがお引き留めしてたの」


 そう言った彼女の顎がかすかに上がっている。


「失礼します」

「また今度、ゆっくりお話ししましょうね」


 満面の笑顔を向ける彼女に微笑みを向けてティアラは背を向けた。後ろを見ずにこの場を去る。逃げるように見えないようにそっとしずしずと。

 少したってからラフィールが小声で言った。


「招待リストはチェックしていたんですが・・・・・・。来客チェックをもっとこまめにしておくべきでした」


 シャイアと別れてから顔を会わすことはなかった。出くわさないようにしていたのだ。


(・・・・・・爺)


 忘れていた記憶が顔を覗かせる。


『もう会いたくない。顔も見たくない』


 そう言った記憶がある。

 ベッドの中で突っ伏して泣き叫んだあの言葉を、命令した訳じゃない言葉を爺は項目にいれていた。それをラフィールは引き継いでいるのだろう。


 そうなのだ、きっと。






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