第7話 胸中の大波(1)

 やりたい事リストの選別は結局のところ途中でやめてしまった。

 心に響かない項目はさっさと消せたけれど、リストを見直して再熱した項目を消すべきかと悩んだ。忘れていたくせに思い出すと捨てがたい。


 ひとつひとつ悩むうちに疲れて手を止めた。老執事はそれほどたくさん彼女の希望を書き記してあった。


「リストの項目。あまり減っていませんでしたね」


 と、展示会へ向かう車中でラフィールが笑顔を向ける。


「捨てるって言われるとおもちゃが惜しくなる子供みたいね」


 そう言ってティアラも笑った。

 そうこうしているうちに会場へと到着しラフィールと共に会場入りする。しばらく見なかった人混みにティアラは目を丸くした。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 一通り作品を見て回った頃、ティアラは元気な声に呼び止められた。


「ティー!」


 声の主は2つ年上の従姉妹いとこケイティーだった。

 少し大きな声に人の視線が集まる。恥ずかしそうに扇子せんすで顔を隠しながら彼女はこちらへとやって来た。


「この前ぶりね」


 独特な言い回しはケイティーらしい。

 彼女はティアラにハグしようとしてやめた。ふんわりと広がったスカートが邪魔をしている。

 中世ヨーロッパのドレスに似た服。ティアラは絶対着ないけれど、もともとロリータファッションが好きな彼女は人目など気にしてない様子だった。


「今日はまた・・・・・・ゴージャスね」

「こういう場所ではぴったりなのよ」


 ケイティーが一回りして服を見せ、ティアラは目を丸くしてその姿を眺めた。


「ハグできないのは寂しいけど、この距離感がいいのよ」


 秘密を打ち明けるように扇子で口を隠しながら彼女はそう言った。


「長話するにはちょっと微妙な距離だから」


 くすっと笑うケイティーはいたずらな子供のようだ。彼女はどこかティアラより子供っぽい印象を与える。


「ティーがこちらに来たから都会へ行く口実がなくなってしまったわ」


 残念そうに手を伸ばすケイティーに合わせてティアラも残念そうな表情で彼女の手をとった。


「ここはすごく暇なの。死んでしまいそうよ」


 子犬ならくーんと鳴いていそうな声音に、ティアラも悲しそうな顔を向けるしかない。


「あなたを責めてるんじゃないのよ。叔父様が決めたことですものね」


 そう言って彼女はティアラの頬をなでた。彼女の視線がティアラの頬から背後へ移って止まる。と同時にパッと笑顔になった。


「ティー、ごめんなさい。知り合いを見つけちゃった。また後で」


 手をひらひらさせて遠ざかっていくケイティーを見送る。ティアラの口からため息がもれた。いつも彼女は落ち着きがなくて翻弄されてしまう。


「慌ただしい方ですね」


 珍しくラフィールが感想をもらした。


「わたしもあんな服着て来たらよかったかもね」


 モーゼの海割りよろしく彼女の前から人が避けていく。無駄に声かけされて会話を余儀なくされることを少しは回避できそうだ。


「よければご用意いたしますよ」

「ラフィール・・・・・・」


 苦笑いするティアラにラフィールもくすりと笑う。




 ここは人が多かった。

 毎日パーティーだなんだと集っていても田舎はもともと人口密度が低い。これほど多くの人を見るのは久しぶりだった。


(田舎に招かれた人も混ざってそう)


 会場をさらりと見渡したティアラはそう思った。さらに視線を流した先で1人の人物に目が止まる。


(・・・・・・!)


 来客の人々に隙間ができた一瞬。ティアラの瞳が見知った後ろ姿をとらえて心臓が跳ねた。


(嘘!)


 心がどくんと音を立てて反射的に体が背を向ける。


(シャイア!?)


 彼の名を心が叫んだと同時に足がこの場から去ろうと動き出していた。

 平気な顔で挨拶をするのだと老執事に言ったはずなのに、準備はできてるつもりだったのに。


「ティアラッ・・・・・・。クローウィルッ」


 人々の視線を集めないギリギリの声を張って彼が呼び掛ける。

 かけられた声に気づかないふりをしたかった。そうしたかったのに耳が声を捉えて離さない。ざわめく会場にいながらティアラの心にはっきりと届いてしまった。


 氷のように立ち尽くしたまま振り返ることもできず立ち去ることもできなくて、ティアラはただきゅっと両手を握りしめていた。


(このまま氷柱になりたい!)


 瞼を閉じてすうっと息を吐く。

 凍った心臓を動かすためか、早鐘のように心臓が走り出さないようにするためか、自分でもわからない。


 閉じた暗い視界の正面から彼の声がする。


「ティアラ・ローズ・クローウィル」


 抗いがたい恋しい声にそっと目を開く。


「久しぶり。────元気だった?」


 優しい笑顔が向けられていた。


(・・・・・・シャイア)


 心のこもった瞳がこちらを見ている。

 あの日の冷たい眼差しはなんだったのだろう。あれは夢か幻か、瞳を見つめると時間が遡っていくような感覚に体が揺れた。


 涙がこぼれそうだった。

 でも・・・・・・。


(背、伸びたな)


 大きくうねる心の波のその向こうから、冷静なティアラが彼を見ていた。

 ハイヒールを履いて少し見上げていた彼を、いまは仰ぎ見ている。


 時間は戻らない。


 ほんの少し面長になった顔は大人びて見えた。着る服もあの頃とは違う。彼はもうじき20歳だ。ティアラよりも先に大人の世界に馴染んでしまった彼が遠く感じられる。


「ティアラ。あの・・・・・・」


 ほんの少し重く、ためらいがちに発した彼の言葉を、甘い女性の声がさえぎった。


「シャイア、この方は? お知り合い?」


 品の良い大人の女性がシャイアの腕に手を回す。

 深いブラウンヘアーの彼女は、さりげなくシャイアの表情を盗み見ているのがわかった。

 シャイアは「なんでもないよ」と言うように微笑み返して彼女の腰に手を回す。彼の手が彼女の腰に触れるのをティアラの目は追ってしまった。


 激しくうねる大波をかぶったような気がした。

 いや、大波どころか重く固い津波のようだ。


 穏やかに微笑むその女性ひとは彼と年が近いように見える。大人びた今のシャイアに彼女はよく似合っていた。


 彼の横にいてふわふわと恋をしていたティアラとはまったく違う大人の余裕が漂っている。


(この人が彼女。この人がいま付き合ってる恋人。彼女なんだ、この人が彼女)


 心に飲み込めない単語を無理矢理飲もうと繰り返すけれど、心の大波が押し返してうまく落とし込めない。


 叩きつける波に心が音を立てている。


(逃げたい!)


 いますぐこの場から逃げ出したかった。





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