第5話 完璧(3)

 大人は両家の祖父母と両親の合わせて6人。彼らを居間に残してティアラは自室へ戻っていた。


(まだ、飲んでるのかな)


 大人達は今ごろ酒を友に語らい合っている。子供の時間は終わり。

 16才になったティアラに時間のことを持ち出す大人はいなかった。でも、部屋へ戻った。


(順調だったのに・・・・・・)


 朝から滞りなく物事が進んでいた。

 新しい執事は希望通り完璧だったし、初めてこの目で見た中層の世界は美しかった。それなのに・・・・・・。


(自分で台無しにしちゃった)


 自室のベランダに置かれた丸いハンギングチェアのその中で、ティアラは丸まって横たわっていた。2人で座れる籐のチェアで猫みたいに丸まっている。

 嵐が過ぎ去るのを待つように心の波が静まるのを待つ。


 大きな猫、オセロットのシオナを胸に抱きしめて、遠い夜空を眺めている。

 ティアラの耳元で喉を鳴らしていたスノーウィーはもう寝てしまったようだ。彼女の首を枕に寝息をたてている。


(夜空ってこんなに暗かったっけ?)


 祖父母の家に遊びに来ると決まって夜空を眺めていた。都会では見えない沢山の星がまたたいて、手を振ってくれている。そう思えた。


 今日も星は瞬いているのに、暗い。


(中層から見る夜空は真っ暗なのかな?)


 分厚い雨雲のように昼でさえ世界を薄暗くしていたフロアは、夜の闇を濃くしているだろうか、それとも建物や車の明かりを写して以外に明るいのか。

 やわらかいクッションに埋もれるようにして、つらつら考えながら見つめるその瞳も暗い。


「まるで漆黒のふたのようね」


 ぽつりと呟く。

 星のきらめきは目に入っているのに今日は楽しめない。


(ティーでも飲もうかなぁ・・・・・・)


 落ち込むことがあると食が進まなくなるのは子供の頃からだ。うまく飲み込めないし。じっさい胃が荒れているのかもしれなかった。

 今日は無理をして食事を口に運んだ。

 助けてくれた祖母クリスティアの手前、落ち込んだ姿ではいられなかったから。


(爺ならあれをれてくれるんだけど)


 それはレモングラスとカモミールのティー。爽やかな香りが気分転換によかった。


「・・・・・・ん?」


 ふいにレモンの香りがして少し頭を起こす。


「ティアラ、ハーブティーでも飲まない?」


 ハンギングチェアから見える丸く切り取られた夜空に、青年執事が顔を覗かせた。

 彼は起き上がろうとするティアラに手を伸ばし、首元で寝ているスノーウィーをそっと持ち上げた。そして、彼女の肩にそっと触れて体を起こしやすいように手助けしてくれる。


「ありがとう」


 見ると横に小さなテーブルが置かれていた。いつ持ってきたのか、音も気配も感じなかったのに。


 ティーが注がれると爽やかなレモンの香りと共に、ほんのり甘いカモミールが香る。

 ゆっくり香りを吸い込んで、そっと息を吐く。たったそれだけで肩の力が抜けるような気がする。


(爺の淹れてくれるハーブティーと同じ味)


 すいと口に含むと香りが鼻を抜けていく。

 2種類のハーブの比率は正確に伝わっている。そう感じた。

 最後の最後で帳尻合わせができたようなそんな気がして、ティアラは目を細めた。


「ティアラ」


 騎士が姫に忠誠を誓う時のように、青年執事がティアラの前に膝をついていた。


「これからは僕が貴女を守ります。だから、なんでも僕に話して」


 オレンジがかった間接照明が彼の顔を明るく照らしている。甘い声と優しい笑顔がロマンチックな空気を誘うから、彼を見つめていられない。

 ティーカップのふちをなでながらティアラは言った。


「そうね。たった1つの事でさえ完璧にできないんだから・・・・・・。私のサポート頼むわ」


 彼は優しく首を振る。


「いいえ、人はミスをするものです。でも、心配しないで。失敗しそうな時は僕が助けます。──それに、完璧にされたら僕の仕事がなくなってしまうでしょ?」


 にっこり微笑む彼の言葉に、ティアラは少し目を見開いて笑顔を返した。


(爺と同じこと言ってる)


 言っている内容は同じなのに、選ぶ言葉は青年執事らしい。



『人はミスをするものでございます。完璧ではないからこそ人間らしいのです。完璧にされたら私の仕事がなくなってしまいますよ。困ったものです』



 老執事が肩をすぼめて困った顔をする姿が目に浮かぶ。ティアラは思い出してくすりと笑った。


「寝室のチェックをしてきます」


 立ち上がる彼を呼び止めようとしてティアラははたと気づいた。


(あれ? 執事を呼ぶときって何て言うんだろう?)


 物心つく頃から執事を「爺」と呼んできた。年寄りでもない彼を爺と呼ぶのはおかしい。かといって執事と呼ぶのは変だ。


「あの、ねぇ」

「私をお呼びですか?」


 先程までの親しみを込めた声とは違う。ひょいと彼の背後を見やると、部屋の中をメイドが歩いていた。


「そう・・・・・・。あなたを何と呼んだらいいのかと思って」

「最初に申し上げたかと」


 執事がほっくりと笑った。

 聞いたことも忘れてる。あの時、自分が思う以上に彼に心を奪われていたのか、と思うとばつが悪い。


「お嬢様のお好きな名前でお呼びください」


 そう言って立ち去ろうとした執事がちらりと振り返る。


「ヴァンとは呼ばないでください。彼に嫉妬してしまいそうですから」


 彼の悲しげな流し目にティアラの胸がきゅんと鳴った。






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