第3話 車窓(2)

 ティアラを乗せた車は音もなく空港へ向かっていた。


 空港といっても飛行機の発着する場所ではなくて、車を飛行モードへ切り換えて飛び立つポイントのこと。

 飛べるならどこから飛び上がってもいいだろうと思うかもしれないけど、航空法で場所が決められていた。


 車で利用する空港は高速道路の合流地点のようなもので、そこを通過すると管制に従ってあとは自動走行で目的地まで行けるから便利だった。


「ん?」


 車が沈んだ。

 流れる景色を眺めていたティアラは最初にそう思った。


「え?」


 小さく声を立てた彼女の目の前で地面がせり上がっていく。いや、車が坂道を下っていた。

 下りのエスカレーターに乗っているみたいに、地面として使っているフロアが目の高さになって、頭を越えて過ぎていく。こんな事は初めてだった。ティアラはただただ目を丸くして、口を半開きにしながらその様子を目で追っていた。


 厚みのあるフロアを横に見ながら、ゆるやかに長い坂道を車が下っていく。

 下の層が見えてくるまでに10秒弱。

 視界が開けると、並び立つビルと眼下を歩く米粒大の人が見えてきた。坂道はまだ続いている。

 いつもとさほど変わらない景色に思えるけれど、違う。車と人の多さ、そして薄暗さに目を見張った。

 見上げると今までティアラの暮らしていた地面・フロアがあった。


(ああ・・・・・・これ)


 口を開けたままのティアラは心の中で驚きの声を漏らした。


(知ってる)


 ビルとビルの間を覆うようにフロアの底、裏面が見えている。

 長い坂道を下っていく車はフロアから離れていっているはずなのに、その存在感、重量感は変わらない。

 遠く離れていても大きな山の存在感に圧倒されるのに似ている。


 突然、光に照らされてティアラは顔をしかめた。


「うっ」


 サーチライトの様な光をくぐると、また視界が暗くなった。


「・・・・・・天使の梯子。あっちにも、こっちにも!」


 前にドラマで見た光景がいま目の前にある。実際に見る奥行きに驚くばかりだ。


 ビル群はまるで森のよう。

 林道を走る車から森を見るように、過ぎ行くビルの合間から奥のビルが見え隠れしていた。

 沢山の木漏れ日が地面に差し込んでいる。そう感じさせる光。それはフロアの切れ目から降り注ぐ光だった。


「凄い・・・・・・幻想的」


 太さもまちまちな天使の梯子が、車の動きに合わせて重なったり一筋になったりしている。フロアの落とす影がその美しい光景を引き立てていた。


「不思議な世界に迷い込んだみたい」



 フロアは当初、廊下だった。隣のビルへの避難経路。

 高層ビルで火災が起きたときの消火活動と煙からの速やかな避難のために作られた。

 廊下は外の空気に触れる休憩場所になり緑が植えられて、やがて互いのビルのテナントが利用されるようになって人の流れができた。

 行政より民間の動きは早く、線が面になって好き勝手に繋がっていった。そして、パズルのピースみたいに広さも形も違ういくつものフロアが形成された。



「天使の梯子を昇って行こう」


 小説の冒頭がティアラの口をついて出た。ドラマ化、映画化されたヒット作。

 口にした1節と一緒に天使の梯子を目で追う。

 たどった先にはフロア。薄暗い裏面がどすんと横たわっていた。



 私の見る空は灰色。



 たしか、物語の出だしはそんな感じだった。



 灰色の空に青い雲ができる。

 天使の梯子を昇って行こう。

 青い雲をくぐって灰色の空の向こうへ。



 車の移動にともなってフロアの切れ目も動いて見える。それは流れる雲のようだった。


 中層で暮らす少女が知恵と度胸と希望を胸に、人に助けられながら上り詰めていくサクセスストーリー。主人公の純粋さと健気さに胸打たれる人は多かった。なかでも多くの女性が心奪われたのは、恋愛の部分だった。

 天上人のような運命の人と再会したかと思えば離れすれ違い、恋敵や敵対する人物にじゃまれ利用されてねじれる恋模様。


 本の表紙とプレゼントしてくれた人の顔が浮かんで、ティアラの胸がちりっと痛んだ。






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