第2話 別れの庭(2)
向かいのビルがずいぶんと離れていて、空からの光が降り注ぐ窓辺に執事と並んで立つ。
「ビルとの間が妙に離れてるのね」
下を覗き見ると緑地帯が見えた。左右に長く伸びる緑の公園を挟んで2つの道路が走っている。
「地表に大きな川が流れているんですよ」
「ふぅん、そうなんだ」
雑木林のように沢山の木が植えられた公園に人の姿が見えた。
ベンチに座っている人やジョギングをする人。米粒ほどの大きさの人が数人動いているのが見える。
上層。高層ビルの上に暮らす人々が地面の様に使っている場所は、上空に作られたフロアだった。ティアラはその下を知らない。
地表と言われてもティアラにはピントこなくて、道を取り除いたすぐ下に川があるような漠然としたイメージが浮かんだだけだった。
「なんにしても、空が広いのはいいわ」
眩しそうに見上げるティアラの横顔を、老執事が微笑ましく眺めていた。
「ええ、良い景色です。お嬢様のお部屋からの眺めにはかないませんが」
「まぁね」
「明日からはビル群ではなく緑の大地をぞんぶんに眺められますね」
物静かに話すその声が、なんとなく淋しげに聞こえる。
「ごめんね」
「何がでしょう」
「田舎に連れていってあげられなくて」
「何をおっしゃいますか」
ティアラがそっと執事を見ると、彼は空を見上げていた。
「お嬢様が大奥様のご自宅へ遊びに行かれる時に、何度もご一緒させていただきましたよ」
「そうだけど・・・・・・」
新居の間取りを老執事と一緒に考えた。楽しみですねと言って見せた彼の笑顔を覚えている。
「爺に間取りのアドバイスももらったのに」
「いいんですよ。内装が仕上がる少し前に出掛けたじゃありませんか。あの時見せてもらえましたし、満足げなお嬢様の顔も見られて安心しました」
にっこり微笑む執事にティアラの表情も明るくなる。
「ひとつ残念なのは」
「残念? なに?」
「お嬢様のウエディング姿が見られないことです」
いかにも残念そうに眉をハの字にして執事が肩を落とす。
「はぁ? 結婚なんて、ずーっと先よ」
結婚どころか、今は付き合う相手すら探す気がない。
「めげずに恋をなさってください」
「別にッ・・・・・・、もう気にしてないから」
そっぽを向くティアラに老執事が追い討ちをかける。
「田舎は年配の方が多いですからね。若者のパーティーであの方に出くわすかもしれませんよ」
少し意地悪な、いたずらな言い方に息を飲む。彼女が気にしないふりをしながら心の隅に引っ掛かっていることを突かれて、すぐには反論できなかった。
「・・・・・・住んでるのが一握りでも広大なエリアなんだから、そうそう簡単に出くわすなんて」
ぐずぐずと言う彼女の声を聞き流して執事が続けた。
「新しいお友達も作ってください」
「友達なんて、必要ない」
「沢山は必要なくても大切なひとりくらいは、お作りになってください。是非」
友達も再開する運命的な出会いもいらない。ティアラはそう思う。
「大丈夫ですか?」
黙り込んだティアラを覗き込むように執事が尋ねた。
「大丈夫よ。もし出くわしても満面の笑顔でごきげんようって言ってやるから」
少し疑わしげな顔をしながら、執事は口元で笑って頷いて見せた。
「お元気で」
「心配しないで」
「では」
「爺」
背を向ける執事を呼び止めた。
「ハグしてもいい?」
少し首をかしげて言うティアラに、老執事も同じように首をかしげてそっと頷く。控え目に広げられた彼の腕の中に入り込んで、ティアラは彼を抱きしめた。
小さい頃、何度もこうして抱きしめてもらった。
淋しい時や怖いとき、悲しいときも嬉しいときも。その胸が思いの外小さくなっていて、なんだか切ない。
「あの執事に飽きたら迎えに来てあげる」
「飽きることなんてあるんですか?」
少し体をそらしてティアラの顔を覗き込んだ執事が言った。おちゃめで悪戯な顔で。
「爺とくだらない話がしたくなったら引き取ってあげるから、待ってて」
やや困った顔の執事の胸を叩いた。
「くだらないって言われて怒った?」
「・・・・・・とんでもない」
使わなくなった物を倉庫に預ける感覚のティアラは、手放したアンドロイドがその後どうなるか考えてもいなかった。
「それでは」
そう言って背を向けた彼が思い立ったように振り返って、ティアラへそっと手を差し出した。
「なに?」
「大切な物をお渡しするのを忘れるところでした」
彼の掌に黒の蝶ネクタイが乗っていた。
「私が取っておいた大切な思い出です」
「思い出? データはクラウドに送ってるんじゃ?」
「ええ、そうです。でもこれはバックアップで、クラウドを管理するAIに削除されてもここに残せるんです。私の大切な宝物です」
にっこり微笑んだ執事はティアラの手を取ってそこへネクタイを乗せた。
「お嬢様の個人情報ですから、確認して捨てるのも見ずに捨てるのもお好きになさってください」
そっと握らされた蝶ネクタイにはまだ温かみがあった。
(これに、爺の思い出が?)
「プロ社のAIは必要・不必要のラインが厳しいそうです」
「え?」
ティアラが顔をあげた時には、老執事はドアをくぐって別れの庭を出ていくところだった。
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