新たな絶望

 ホワイト・リィト――白国の街なかには、戦いの音が響き渡っていた。

 建物は火の海で包まれ、逃げ惑う人々で往来は溢れかえる。しかしどこに行こうとも、追手から逃れることは出来ない。

 子供を抱えて走る母親を、無常にも攻撃するホムンクルス。恋人のために盾となった男ごと、女を飲み込むスライム。

 天候はひどく荒れて、時折空から雷が降り注ぐ。それらは家屋に落ちれば、たちまち崩れて炎が上がる。

 叫びを伴う亡霊が街中に飛び交って、恐怖と混乱で埋め尽くした。


 地獄がなんなのかと問われたのならば、この場所だと言ってもいいだろう。

 どれだけ切っても、どれだけ倒しても、何度も復活して何度も湧き出てくる。誰もが魔王の再訪だと確信していた。

 やはり献上品を捧げるだけでは、納得しなかった。

 この世界のすべてを手に入れるまでは、気が済まないのだと誰もが思った。


 冒険者もこの状況で黙っているわけではなく、戦えるものはそれに応戦していた。


「クソ! なんだこいつら……延々と湧き続けるじゃねえか!」

「黙って倒せ!」

「なんだよ、ホムンクルスにスライムって!」

「弱いのが救いだな……!」


 低レベルのホムンクルスとスライムであるがために、多くの冒険者が参戦できた。とはいえそれをも上回る数の敵襲に、取りこぼしも多い。

 救えない人間もそれだけ増えて、苦しい表情で戦いを続けている。

 暫くは魔王もおとなしかったこともあって、ここまでの規模の戦いはなかった。腕も鈍っている冒険者にとって、人を助けながら戦闘を行うのは苦労を強いられた。

 手練れの冒険者ならまだしも、参戦しているのは弱い者も多い。入り乱れた空間で上手く立ち回れるわけもなく、死者がどんどん増えていった。


「助けて、子供が!」

「くっ……」

「ここは俺で凌ぐ、お前は助けに迎え!」

「……わかった。おい、今行く!」


 男が女に連れられて向かったのは、倒壊した家屋。一般的な平民の住む家だったものだ。

 家屋というにはあまりにも惨たらしく、瓦礫と言っても差し支えがない。

 男はこの瓦礫を前にして、女の言葉を思い出した。『助けて、子供が』と叫んでいた。表情は切羽詰まっていて、子供がどれだけ危険な状況だか分かった。

 だから助けに来た。


「……お子さんはどこに」

「ここにいるわ! でてこれなくなっているの、お願い!」

「……っ」


 子どもの助けを求めるような声は聞こえない。中からは生命の気配も感知できない。

 彼も冒険者の端くれだ。魔物や生き物の気配を察知する感覚は分かる。どこにいるなどという正確性はなくとも、生きているものがそこにいるかどうかの察知は出来た。

 長い間、こういう生活をしてきた恩恵というべきだろうか。

 だからこの瓦礫の中には、命がないことは分かった。

 母親が自分を騙しているのではなく、もう既にこの下にある肉体には命が宿っていないことを示していた。


「奥さん、お子さんは……」

「違うの! あの子はまだ、大丈夫なはずなの……!」

「……」

「私が庭仕事をしていて、あの子は部屋で本を読んでいた。違うの、違うの……私だけが生きているだなんて、違うのよ……」


 母親は立っていられなくなったのが、がくがくと足をふるわせてその場にしゃがみこんだ。

 急に襲ってきた魔物の大群。すべての国民が戦えるわけもなければ、突如として現れたその化け物に、女性が対応できるだろうか。

 助けを求めたところで、みんなそれぞれで助けるものがある。生きるために逃げている。

 子供は暫くの間は生きていたのだろう。母親を微かな声で呼んで、苦しいよ辛いよと縋ったはずだ。

 誰も助けてくれないまま、愛する我が子が死んでいくのを見るしかなかった。


「逃げるぞ。化け物はまだまだ来る」

「いや! この子とここに残る!」

「……好きにしろ」


 泣き叫ぶ女を置いて、男は仲間のもとへと戻った。

 依然として敵の数は変わらず、仲間だけが疲弊していく。終わりの見えない敵の波に、誰もが疲労を見せていた。

 男も心身ともに疲れていて、剣も魔術も存分に振るえる気がしない。

 どうして突然、魔王の心が変わったのか。問いただしてやりたいほどに。


「おい、見ろあれ!」

「なんだ……?」


 仲間が指を指した先を見れば、空から人間らしきものがゆっくりと降りてきた。

 この状況でにんまりと笑みを浮かべている女。見知らぬ民族衣装に身を包んで、ふわふわと浮遊する羽衣を纏っている。

 後ろに連れているのは若い青年に、薄気味悪いただれた肌の男。いずれにしろ見知らぬ者達だった。

 彼女たちこそ、新たな魔王――アリス・ヴェル・トレラントとその仲間。

 だがそんな事実を、この世界は知らない。


「道を作れ」

「御意ですぞ」


 アリスがそう言うと、控えていた男――パラケルススが動いた。

 パラケルススはポーチから、オレンジ色の頭髪を取り出した。それを無造作に空中へ投げると、重力に従ってはらはらと落ちていく。


「〈ホムンクルス生成〉」


 パラケルススがスキルを唱えると、空中を舞っていた髪の毛はぐにゃりと形を変えた。次第にそれは人の形を取っていき、見知った勇者の仲間の女になった。

 オレンジ色の髪、茶色のツリ目。昔戦った、動物と話すことのできる少女――コゼット・ヴァレンテにそっくりだった。

 アリスはそれを見て気分を良くしたのか、『へえ』と楽しそうに笑いを漏らした。


「貴重な素材なのに、悪いね」

「いえいえ。この機会くらいでしか活躍がありませんから」

「そっか。じゃあ私からも――〈武器生成〉」


 アリスがベルのスキルを発動すると、漆黒の弓矢が現れた。コゼットの主な戦闘方法は、弓矢を用いての攻撃だった。身一つで生み出された彼女には、必要なアイテムとも言える。

 それをそのままホムンクルス・コゼットへと投げれば、彼女が器用に受け取る。

 ホムンクルス・コゼットは弓を手に取り、矢筒を装備すると、再び冒険者の方へと向き直った。そして間髪も容赦もなく、矢を男達へと撃ち込んだ。


「お、お前! やめるんだ!」

「うわぁああ!」

「くっ……」


 ホムンクルスは男たちの懇願など聞きもしない。

 先程までのさばっていたホムンクルスとは違い、彼女ははっきりとした人の形を取っている。それはパラケルススが素材を投入したことにより、高レベルのホムンクルスとして生まれ落ちたからだ。

 そのぶん、レベルも攻撃力も格段に跳ね上がっている。

 ただし彼女には、感情が欠如していた。あるのは創造主たるパラケルススの命令――『人間を殺して、アリス様の道を作れ』ということだけ。

 目の前に現れた邪魔をする人間どもを狩りつくし、アリスへ道を差し出すことこそが彼女の使命。


「このまま城まで乗り込むよ」

「承知致しましたぞ」

「取りこぼしは僕が処理します」

「はいよ」


 ホムンクルスで作り出したコゼットのクローンは、本来のコゼットよりもレベルが30もダウンしている。

 しかし人間ごときを屠るならば、150レベルで十分だということ。それにアリスの与えた漆黒の弓矢は、一撃で命を奪っている。

 普通なら矢のたったの一発程度であれば、何とか耐えられる。だが一撃を受けただけの冒険者は、生気を失ったかのようにバタバタと倒れていく。

 その危険性に気付いた他の冒険者達は、一目散に逃げ出した。

 狩人たるコゼットの頭髪で生み出されたホムンクルスが、その逃げる人間を許すはずもなく。

 正確な矢が街中を飛んでいく。子供も、女も、男も、誰であっても情などない。命乞いなど通用しない。


 アリスとパラケルススは、その後ろを歩くだけ。死体だけが転がる道を悠々と歩いている。


「パラケルスス。民が減りすぎるのも困る」

「はっ。おい、戻れ!」


 パラケルススが声を掛けると、ホムンクルスは弓を引く手を止めた。素早く戻ってくると、パラケルススの後ろへとつく。


「リーベ。三割は逃がして良い。君の判断でいいから、女子供、男などを適当に選別して」

「分かりました」

「ホムンクルス。その武器は返してくれる?」

「はい」


 アリスはホムンクルスから弓矢を受け取ると、空中へと投げた。瞬時に空間魔術の入口が生成され、生み出した弓矢はその中へと消えていった。

 代わりに取り出したのは、何の変哲もない普通の弓矢。しかし矢筒には一本も入っておらず、中は空だった。


「多分このままだと、国民は国外へ逃げる。周囲を回って逃げるのを阻止してくれるかな」

「畏まりました」

「怪我は良いけど、致命傷や殺すのは許可しない」

「矢がありません」

「矢筒に手をかざせば自動で生成される。毒も魔術も何も無い矢だよ」

「畏まりました」


 ぺこり、と一礼すると、リーベとホムンクルスは目的を果たしに向かっていった。

 リーベは先を行き、アリスの道を作り始める。化け物に混じって人間の――実際は魔人になっているのだが――青年が攻撃を仕掛けてくれば、街中が混乱するのは当然のことだった。

 リーベは戦いながら、アリスの言う通り人間を選定していく。

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