永久の愛

「うああああっ、ウワアアアッ! この、この……外道が! マージュを! よくもマージュを!」


 ヴァルナルは闇を纏わせた手で、何度も何度も殴った。

 自分の頬がどれだけ血で濡れようが、あまりの殴打に手指が折れようが関係なかった。何も考えずに、ひたすら何度も、何度も、何度も殴る。

 広い玉座の間には、ヴァルナルが無我夢中で拳を振る打撃音が響き、それをも掻き消すような彼の叫び声も重なる。

 殴るだけでは飽き足らず、彼は時折、魔術も発動した。

 彼の人生において、ここまで声を荒げたことなどない。常に冷静でいた彼は、寧ろこんなに感情を乱した勇者や冒険者を葬る側だった。




「――ッ、はぁ、はあ……」


 十数分、下手をしたら数十分にも及んだ攻撃は、徐々に手数が減っていき緩やかに終わった。ヴァルナルは肩で息をしながら、ゆっくりとアリスから離れる。

 壁は壊れ、辺りは血の海。そこに倒れているのは先程、愛する女を殺した魔族。ピクリとさえ動かないのを見ると、ヴァルナルは乾いた笑いが出るだけだ。

 改めて、マージュの気配がないことを痛感する。ポロポロと目から涙が零れた。

 ヴァルナルの感情がここまで揺れ動くのは、マージュただ一人だけ。そんな彼にとって唯一無二の愛する者は、もういない。

 蘇生の魔術など持っていないヴァルナルにとって、レイスのマージュと再会するとこは不可能。


「マージュ……」


 無意識にも、声が漏れる。彼女を呼ぶ甘い声。だが今のその甘い声には、寂しさも混じっていた。

 呼べば何時でも、彼に笑顔を見せていた彼女はもういない。

 もうヴァルナルにとって、生きている価値がなくなった。何のために生きているのか分からなくなった。なぜか〝そうしなければならない〟と思っている世界征服も、今となっては虚しく思える。

 マージュが隣に立っていない世界で、何を見ろというのか。

 実際はマージュだけではなく、ソルヴェイも、ペールすら隣にはいなくなった。そして今この瞬間も、魔王城付近にいる魔族や軍が消えていっている。彼がそれを知る由もない。


 ――ふとヴァルナルは顔を上げた。

 共に来ていたアリスの従者が、まだ玉座の前にただ立っている。ヴァルナルを一瞥したものの、主人を殺されて追撃を食らわせる様子が見られない。

 薄情な部下を持った女だな、可哀想に――などとは思わなかった。

 背後から、瓦礫の動く音がしたから。


「なん……」

「そんなに寂しいなら、同じところにやってあげるよ」


 まるで石にでもなったかのようだった。本能が、体が、それを見るのを拒んでいるのだ。

 壊れかけた機械のように、恐る恐る背後を見れば。そこに立っていたのは――無傷のアリス。

 背筋が凍った。

 体が明らかに震えているのに、目を離すことが出来ない。恐怖のあまり動けないでいるのだ。


 部下が追撃をしなかったのは、自身の王があの程度の攻撃で死ぬはずがないと知っているから。

 そして何よりも、アリスが自分の楽しみを奪われるのが嫌いだと分かっているから。

 アリスは今の今まで、誰に対しても何度も言ってきた。自分の邪魔をしなければ、味方でなくても構わないと。

 だが邪魔をするのであれば、それ相応の対処を行うと。


「なんで、お前……死んでいない……」

「殺す気があるなら死ぬまでやらなきゃ。経験上一番惜しかっ――いや、ベルの方が上か?」

「な……意味が分からない……」

「あぁ。〈輪廻の唄〉がほしいんだった。君は他にも良い魔術を持っていそうだから、全部吸い尽くすまでは生かしてあげよう」

「……は、ハハハ……アハハハ……」

「なんだよ。そんなに女がいなくなってショックだったの? そうだなぁ、うーんと」


 ヴァルナルがおかしくなってしまったのは、マージュのせいだけではない。規格外なアリスの力を見て、己の弱さを痛感したからだ。

 そしてこれからどう抵抗しても、彼女に勝てる術はないと理解したのだ。ヴァルナルにとって、もう笑うしか道はなかった。

 さて、アリスの考えは全くの見当違いなのだが、誰もそれを訂正することはなかった。


 アリスはうんうんと唸りながら、脳内にある魔術を探す。

 勇者の処分も頼まれず、ひたすら国や世界を切り盛りするだけの数年間だった。そのためか使わない魔術も多く、強大なXランクやSランクに関しては、〈転移門〉くらいしか使うことがなかった。

 せっかくならば一度も使ったことのない魔術を使おうと、少しだけ張り切ってみる。


「これだ。――〈残魂降霊術〉」


 魔術を発動させると、アリスの周囲の空気が淀む。まるで黒い霧に囲まれているようだった。

 その中には幾つか、白いモヤが揺らめいている。言うなればこれは霊魂であった。

 〈残魂降霊術〉とは、死者を復活させられる魔術であり、その中でも最高ランクの魔術だ。生者だったものだけではなく、死霊や悪魔、どんな存在であっても蘇生ができる。

 ただし発動場所から近しい場所で死んだ魂か、その場所に強く染み付いている残留思念ではないと不可能というデメリットもある。


 アリスは白いモヤを鷲掴みすると、ニンマリと笑った。


「そんなに一緒にいたいなら、ずっと一緒にいさせてあげよう」


 そういうと、掴んだモヤ――魂をヴァルナルの中へと放り投げた。

 〈残魂降霊術〉は、霊魂を呼び寄せるだけではなく、〝器〟が存在すればそこに入れることができる。

 問題はその器は、本当ならば〝空っぽ〟でなくてはならないということ。

 ヴァルナルのように元々生きている存在に入れるという行為は、下手をすれば二つとも消滅してしまう可能性がある。互いの魂が反発しあい、己がその肉体を手に入れようと主張をするからだ。

 器の意思や生命力、魔力などが特に高い場合であれば適合することもあるが、それには激しい苦痛を伴う。


「ァ゛……うぐっ、うぉお゛ぉ! オァアアア!!」

「失敗したかな?」


 ヴァルナルは胸を押さえながら、のたうち回る。体中の血管が浮き出て、白目をむき、鼻や口から血が出始めた。

 彼にはあり得ないほどの苦痛が押し寄せているのだろう。

 肉体の許容を超える魂が入ったことで、内側から引き裂かれるように苦しいはずだ。

 だが微かに、ヴァルナルの脳裏には、愛するマージュの声が届いた。それによって彼は、この辛さを耐えられた。


 五分としないうちに、ヴァルナルは転がりまわらなくなった。


『あぁ、あぁ。私の愛しいヴァルナル……』

「マージュ、マージュなのか?」

『あなたを感じるわ。私、あなたの中にいる』

「俺もだ……マージュを感じる……」


 ヴァルナルは自分の体を抱き締めた。頭の中では愛しい亡霊の声が響いていて、虚ろな声で彼はそれを呼ぶ。

 最も近い場所にマージュを感じて、彼は静かに涙を流した。


「大丈夫みたいだね〜」

「ああ、マージュ……はははは、ハハハ……マージュ……」

『ええ、ヴァルナル……』

「はいはい。〈知恵ジェイル・オブ・の檻ウィズダム〉」


 魔術を唱えると水の檻が形成され、ヴァルナルを包み込んだ。

 檻は水でできているが、中にいる者が溺れる心配はない。この特殊な液体は、術者が満足するまで知識を吸い取らなければ中の人間を殺すことはない。

 ヴァルナルと中にいるマージュは、これからアリスの知恵としてその脳が枯れるまで利用される。


「誰か〝これ〟を学院に持って行ってくれる? 異世界の魔術の研究として使うから」

「では私が。そろそろウレタも監査の時期ですから」

「じゃあエンプティ、お願いね。――ルーシー!」

「はいっ!」


 アリスが呼べば、廊下にいたルーシーはこの空間へ入ってくる。

 ヴァルナルが弱体化したことにより瘴気も減ったのか、待機していた残りの者も部屋へ入ってきた。

 ベルも戦闘中に雑兵の処理が終わったようで、シスター・ユータリスと共に入室した。

 ペールも遅れて入ってきたが、ヴァルナルが水の牢に閉じ込められているのを見て頭を痛めた。


「あーしが送ればいいんですね!」

「そうだね。私は片付けとかもするから、ルーシーは他の子の輸送も頼めるかな?」

「もちです!」

「時間があったらデュインズの主要地域を回って、転移先を増やしておいて」

「はーい! じゃ、みんなまず小島にいくし!」


 ルーシーが幹部やヴァルナル――の入った水の檻――を連れて〈転移門〉をくぐっていく。

 順番に行っているため、最初に居なくなったのはエンプティだ。ヴァルナルの処理もあるため、直ぐに帰りたいと去っていった。


「さて」

「どうされますか?」

「まずは私が世界の頂点に立った宣言を出した……あっ、どうしよう。ヴァルナルの死体がないと、分からないかな?」

「実力で理解させましょう」

「もう〝脅威〟はいないし、そうしよっか」

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