虫と猫
アリスに雑魚の処理を頼まれたベルは、霊園の中を走り回っていた。
魔物や魔族の集落などを見つければ、即座に〝解体〟だ。残るのは血の海と肉だけ。特に美味しそうな個体も見当たらず、ベルの食欲すら満たされない。
ただ淡々と仕事をこなしている。
(さっすがに宣戦布告もないから、ぼんやりしてる奴らが多いなあ)
ぼんやりしていようと、常に警戒していようと――視認すら不可能な相手に奇襲されれば、誰も同じである。抵抗も出来ないまま死んでいくだけだ。
ベルの動きすら感知できない相手は、取るに足りないのだ。
命令を請け負ったはいいものの、あまりにもあくびが出る。退屈な仕事だった。
それに一行から離れたということで、ベルはアリスの勇姿を見ることができなくなってしまった。
そんな落ち込んでいる彼女を〝慰める〟ように、一本の短剣が飛んでくる。ベルはかわすわけでもなく、手で弾いてみせた。短剣は遠くへと突き刺さる。
「お出まし、かな」
ベルの言葉と同時に、風を切って現れたのはすらりとしたスタイルの良い獣人――ソルヴェイだ。
速度を落とさないための必要最低限の装備に、高速で動くために鍛え上げられた靭やかな筋肉。人が見れば畏怖してしまうほどの高レベル。
そして何よりも、ベルに対しての威圧的な態度。〝仲間〟とは言えずとも、魔王軍の部下である魔物たちを慈悲もなく殺されては、怒りを覚えるのも当然だ。
「……何してんの」
「〝御主人様〟の命令で雑魚狩り」
「……あぁ、そうか。アンタ……あの人間の仲間だな……! 人間は汚いから、仲間にはするなって言ったんだ!」
「何勝手に盛り上がってるの? あたしは何も言ってないんだけど、コワ……」
ソルヴェイの中では怒りが燃え上がっていた。これは部下を殺された怒りではない。
人間に対する強い憎しみ。恨みだ。
「人間は、いつもそうやって!! アタシたちの平穏を奪おうとする!!」
「人間ン? ……ああ、そっか」
変に怒りを抱いているソルヴェイに対して、ベルは納得した。
ソルヴェイには、ベルが人間に見えているのだ。この〝人間態〟の姿の奥にある本来の姿など、理解できていない。
結局はレベル199程度の存在だということ。そのあたりに転がっていた雑魚の魔族と変わりない。
せっかくアリスには完全体にならないようにと言われているのだ。このままの状態で戦ってやろう、と思案する。
「いいよ。きみがあたしを人に見えてて、きみが人を恨むなら。あたしは敢えて、人のままできみを葬ろう」
「訳の分からないことを……! ヒトが亜人に勝てるわけないッ!」
試合でもない戦いに、合図など無い。ソルヴェイは構えすらしていないベルに対して、思い切り飛び出した。ソルヴェイの立っていた場所は、その力の強さで抉れてしまっている。
瞬きをした間に、ソルヴェイはベルの目の前へと来ていた。彼女の持つ短剣は、明らかに急所を狙っている。
ベルがまともにそれを食らうはずもなく、いつの間にかスキルで生成していたナイフで応戦する。
金属音が何度も混じり合う。
ソルヴェイは凄まじい顔でベルを睨み、攻撃を続ける。その攻撃は一つたりともベルに当たることなどなく、全てナイフで受け流されていた。
「チッ、ちょこまかと……!」
「――ねえ」
「はあ!?」
ベルが話しかけると、ソルヴェイは不快そうに叫んだ。わざと強めにナイフを当てて、ベルを踏み台にして遠くへと跳んだ。
踏み台にされたベルよりも、ソルヴェイの方が明らかに不愉快そうに見えた。ベルが埃を払っていれば、さらにその不機嫌さが増す。
「……話し掛けんな、人間! 気持ち悪い、萎える!」
「……。きみはどういう思いで、あの魔王に仕えてるの?」
「は? わけ分かんない……。どうだっていいでしょ、アンタになんの関係がある!?」
「ま、聞こうと思えば無理矢理にでも聞き出せるんだけど!
ベルの無邪気な発言は、ソルヴェイの逆鱗に触れた。
「……ふっざけんなァアア!」
「うわっ!? 急に何ぃ!?」
「人間はいつだって身勝手すぎる! 何度アタシを踏み躙る!?」
「ははーん。さては人に〝大切な人〟を殺されたな?」
「クソが! ――〈疾風・極〉ッ!」
ソルヴェイがスキルを発動させると、今までとは比べ物にならないほどの加速を見せた。剣戟もそれに合わせて速度を上げており、常人には視認できない速度で剣が繰り出されている。
そしてベルはそれを全て受けきっている。焦る様子も見られず、何食わぬ顔で全てをいなす。
ソルヴェイはその余裕さを見せつけられれば、通常は苛立っていたことだろう。だが理性を失った彼女にとって、ベルの行動は些細なものだ。
目の前にいる女を必ず殺すという、確固たるものがあった。
「うおおっ、びっくりしたー」
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなアァア!」
(うっわ~。もしかしてあたしっていつもこんな感じ? 客観視すると痛いなぁ。この猫ちゃん、良い反面教師だよ)
普段から昔のミスを反省していたものの、こうして実際に目の前で見るとより一層、あのときの自分が痛々しく感じる。
最初は舐めてかかっていた戦いだったが、この戦いはベルにとってとても有意義な時間になった。
今後、もっとアリスに仕える身として。その愚かさに気付かせてくれたのだ。
ソルヴェイに対して、感謝すら覚えていた。
(せっかく気付けたんだしこれが終わったら、理性を保ちつつ完全体に近い状態で戦えるように特訓しようかな。そうすれば人間態の時にも我を失うことは――)
「ぎゃあっ!」
「――あ」
ざくり、と。ソルヴェイの腕が切れる。
考え事をしながら戦いに集中していなかったベルは、剣を弾くだけではなく腕を切り落としてしまった。勢い余って力を込めてしまった剣戟は、ソルヴェイの腕を遠くまで飛ばすほどだった。
しかもそれは剣を握っていた方の利き腕だ。これからの戦いは絶望的と言ってもいい。
ベルにとっては気付きも得られたことだし、アリスを待たせるわけにもいかない。とっとと〝雑魚〟を処理して、王の元へと戻りたかった。
〝ちょうどいい時間〟なのだ。終わるための、いいタイミングだ。
「ごめん。考え事しながら遊んでたから、つい……。利き腕でしょ。再生能力はある?」
「は、はぁ……!? なに、言って……あるわけが……」
「そうだよね、ないよね。もう剣は握れないし、終わりにしようか」
「うるさい! アタシはまだ戦える! アンタを殺すまで!」
「元気だなぁ。でも失血死しちゃうよ。あたしと違って痛覚を遮断できるわけじゃないでしょ」
「フーッ、フーッ……! それまでに、殺す……!」
「無理だって」
「何、言って……、……え?」
ベルは自身の長い前髪をまくり上げた。そこに存在していたのは、愛らしい少女の顔ではない。
人には存在しないはずの、六つの瞳。形も人間と違い、虫に近い。黒目だけのぎょろりとした瞳だ。
魔族ではこういったものも少なくはない。ソルヴェイも見てきたはずだったが、〝そういう顔ではない〟と先入観を抱いていたことで、より気味の悪さを抱く。
「うっ……」
「ねえ、知ってる? 蜘蛛って目が八つあるんだって。だからあたしも、後頭部にもう二つあるんだ。ほぼほぼ死角なんてないから、きみの剣はお見通しなの」
「く、も……?」
「そう。あたしはベル・フェゴール。親愛なる我が君主、魔王アリス様が自ら生み出した始まりの幹部の一人。上位悪魔であり、蜘蛛。そして好きな食べ物は――」
じゅるり、と美味しそうに舌なめずりをする。
少し置いて、やっと分かった。ソルヴェイ自身の立ち位置が。
この化け物は自分と戦っていたわけではない。遊んでいた、舐めていたわけでもない。目の前の珍味を食べるために、〝下準備〟をしていたに過ぎない。肉を叩いて柔らかくして、絶望の味を振りかけて、美味しくなるために。
血液が腕から垂れて、意識が朦朧とする。逃げなければならないのに、勝てるはずもない強者を目の前にして、やっと死に気づく。
ソルヴェイが絶望すれば、ベルがにんまりと笑った。
「ねえ、獣人ってどんな味がするんだろうね」
「いやっ、いやだ! やめろ! あ、う、あああああああ!」
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