ソルヴェイ
――ヴァルナルに出会うまでのソルヴェイは、地上に住んでいた。だけど霊園なんかよりももっと奥底の、地の底についたような最底辺の生活を送っていた。
もともと白国で生まれた彼女は、家族とひっそりとした生活を送っていた。
送っていたかった。
白国は知恵と人間を尊重しており、人以外の種族は悪しき者としての認識が広まっていた。
獣人などをはじめとした亜人は迫害を受け、奴隷として扱いを受けていた。小間使いとして使われればまだいいほうだ。まるで使い捨てのように乱雑に扱われ、場合によっては性処理道具として使われることもある。
人間のストレス発散のために、ただひたすら暴力を受けるだけの亜人も存在した。
ソルヴェイはそんな残酷な世界の中で、必死に息を潜めて生活していた。
比較的人間種に近い見た目をしていたソルヴェイは、耳と尾を隠せば優遇が効いた。
幸運にも体は丈夫に生まれ、戦いにも長けていた。素早く動ける彼女は狩りをして、家族や仲間を養うために働いていた。
だがそれもあっけなく終りを迎えた。
ある日、ソルヴェイがいつものように狩りをして、報酬を得て家に戻ったとき。いつもならば笑顔の母と小さい弟が迎えてくれた。
父は家族を守るために、獣人のプライドを持って散っていった。物心ついていたソルヴェイは、そんな父の背中を継いで、家族を守っていた。
しかしその唯一の暖かい場所は、人間によって破壊された。
家に帰ったソルヴェイを迎えたのは、残虐に殺された弟と、必死の抵抗の末に死んだ母親。
弟の顔は原型など留めておらず、血と変形した肉でもはや生き物だったかもわからない。
母親は血まみれで倒れていたが、猫の獣人で鼻の効くソルヴェイには、微かに人間の雄の悪臭が漂っていた。絶望よりも先に、腸が煮えくり返る。
どちらが先に殺されたかなんて、考えたくもない。弟は母親が人間に凌辱される姿を見たのか。それとも母親は死んだ息子を隣にして、男共に体を好き勝手されたのか。
様々な思いがソルヴェイの脳内を駆け巡った。
ソルヴェイは白国へ――こんなことをした人間へ復讐をしたかった。魔王軍に入る前の当時にも、実行できる力を有していた。
だが多勢に無勢。いくら個人として圧倒的に強くても、相手が武装をして多人数でかかってきたら、ソルヴェイとて敗北となる。
だからもっと強くなって、同じような境遇の仲間を得るために、まずは白国を出た。
向かったのは白国が蛮族と忌み嫌う連中のいる、黒国〝ブラック・シリル〟。
ここは比較的、獣人への扱いは優しい方だ。比較的というのは、その獣人に〝実力があるかないか〟で決まる。
黒国は知識ではなく、武力が上下関係を決める国だ。だから獣人といっても戦う能力が低ければ、この国でも冷遇を受ける。
暫くはソルヴェイを受け入れてもらえた。
だが日に日に、ソルヴェイは歳を重ねて美しくなっていった。彼女はもともと人間に近いタイプの獣人だ。美しくも逞しい彼女が、男を魅了するのは時間の問題だった。
やっと人間を信じられて、心の平穏を手に入れたソルヴェイ。傷も徐々に癒えはじめ、復讐を終えたのならば、このまま黒国で過ごすのも悪くないとも思えた。
だが人生とは、うまくいくものではない。――特に、彼女にとっては。
「やめろ、さわるな!」
「いいだろ……? いつも俺と手合わせしてくれたじゃねぇか、好きってことだろう?」
「ふざけっ……、離れろ!」
「大丈夫だって。いい恋人同士になれるはずだ」
(ぐっ……なんで! あんなに鍛えたのに、びくともしない!)
二度目の裏切りだった。信頼していた仲間は、下心を持って接していた。
ソルヴェイには仲間意識があったため、男を傷つけたくはなかった。本気を出せば獣人であるソルヴェイならば、はねのけることもできた。
だがそれでは、相手が死んでしまう。そして獣人への悪い印象が更に増えてしまう。
――ここで我慢をすれば。ここで我慢をして耐えれば、逃げるチャンスがあるかもしれない。
そこではっとした。亡き母も、こう思っていたのだろうか。
自分が耐えていれば息子は助かると――ソルヴェイが助けに来ると。
「……っ、うああああ!」
「ぎゃあっ!」
そう思えば、もうどうでもよくなった。仲間だとか、獣人のイメージとか、全て。
ソルヴェイのナイフは男が遠ざけていたこともあって、手元には武器がない。だが彼女は猫の獣人だ。鋭い爪がある。
咄嗟に爪を出して、思い切り男を引っ掻けば相手は怯んだ。顔に直撃したようで、抑えて蹲っている。
その隙に逃げる――のではなく、次がないように飛びかかった。馬乗りになって男の頭を必死に殴る。殴る、殴る。
信じてきた仲間に、こんな形で裏切られるとは思わなかった。ソルヴェイは涙でぐちゃぐちゃになりながら、男が声すら上げないほど殴り続けた。
気付けば男は動くことすらなく、息絶えていた。
ソルヴェイはナイフだけを持って、その場所から消えた。
誰も信じられない。誰も自分を救ってくれない。ひとりぼっちの彼女は、途方に暮れた。
それからソルヴェイは各地を転々とした。決まった場所を作らず、様々な場所で仕事をしては、別の場所へと移動をする。
憎らしくも人に近いソルヴェイは、人から依頼を受けて仕事をし、生活費を稼いでいた。――いつの日と同じように。
年々素早さと、ナイフの扱いがうまくなる彼女は、暗殺依頼が多くなる。お互いに素性を詮索されたくないということで、対応もしやすかった。
腕の良い暗殺者に舞い込む依頼は、徐々に難易度を増していく。
そしてある時、ソルヴェイに与えられた依頼は――
「……弱い」
「っ、はぁ、はあ……」
「亜人か。何故、誇りを捨てて人間の代わりに剣を取る?」
――ある時、ソルヴェイに与えられた依頼は、〝高位の魔族〟の殺害依頼だった。魔族を仕留めてきたのはこれが初めてではない。だから今回も、何の問題も無いものだと思っていた。
だがヴァルナル・バックストームは、高位の魔族程度の言葉で片付けられるような存在ではなかった。
実際にソルヴェイは剣を触れさせることすら叶わず、子供をあやすかのように扱われた。
悔しかった。彼の言っていることが、正しかったから。
どうして憎んでいる相手のために、誰かを殺さねばならないのだろう。そうしなければ生きられないから。そうしなければ生きられないのは、結果的に自分が弱いことを示していた。自分が弱いせいで、自分の人生はぐちゃぐちゃなのだと。
ヴァルナルに出会って実感させられたソルヴェイは、目の前が真っ暗になった。
「俺と一緒に、世界を変えよう。魔族が優位に立てる世界を作るのだ」
「え……?」
「来い。そして俺を王にするために手を貸せ。お前の欲するものが未来で待っている」
(この男といれば……アタシは……)
死んでいった弟も、母親も、あの醜い人間の雄も、利用しようと気持ちの悪い笑みを浮かべる金持ちも、全部全部。
ヴァルナルと共に歩めば、全て見返せる。ソルヴェイの中に、はっきりとした確信を得ていた。
ヴァルナル・バックストームは悪の権化ではあったものの、ソルヴェイにとっては光のような存在となっていた。
互いに高みと己の信じる未来を手に入れるために、二人はこうして仲間となった。
◆
「ふぅー。美味しかった。戦える女の子って、脂と筋肉が絶妙で好みの肉かも。いい体験になったなぁ」
げっぷ、とだらしのない空気を漏らす。満たされた腹をぽんぽんと叩くと、食後だというのにも関わらず次の〝運動〟に向けて準備を始めた。
彼女の主から頼まれた仕事はまだ終わっていない。〝ラストシーン〟を見逃さないためにも、早く切り上げたかった。
「さて、お仕事の続きしますかぁ」
猫を貪った虫は、その場から消え去った。
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