天候と挨拶
魔王城、玉座の間。
現在では玉座があるだけの広い空間であり、しばしば転移先として設定される。ここにきた当初は、アリスに謁見しようと各地から魔族がやって来ていたものの、今はそんなこと殆どない。
アリスは玉座に座り、気だるそうに本を読んでいる。これから来る部下を待っている間、暇だったのだ。
コツンというヒールの音が玉座の間に響き、待っていた部下がやって来たのだと気づく。
パタンと本を閉じて、空中に投げれば魔術空間に吸い込まれて消えた。
本をしまうと、アリスはやって来た部下を確認する。そこにいた部下は、全部で四名。
秘書として、右腕として――エンプティ。本当にあの襲撃をした魔王だと分かるように、ヒュドラとキマイラ。そして地元住民としてイザークだ。
「お待たせ致しました」
「んーん、大丈夫。本読んでたから」
アリスは玉座から降りると同時に、目の前に〈転移門〉を生成した。
ギギギと重い音を立てて開いた先は、砂嵐もない青空が広がるジョルネイダ――の上空だ。
眼下にはジョルネイダの主要都市が見える。
「それじゃあ行こうか。イザークは飛べる?」
「あ、いえ……」
「えーっ、なんだよ……」
不満そうにしつつも、アリスは指を動かした。するとイザークの体がふわりと浮き上がる。
それと同時に、側に居たヒュドラとキマイラの体も浮き上がった。浮遊するすべを持っていない者たちは、アリスの手によって浮かされているのだ。
エンプティはまだ地に足をつけており、アリスも当然だが浮いていない。己で飛ぶすべを持っているためだ。
アリスは三名を浮遊させると、そのまま〈転移門〉の中へと飛び込んだ。それを追うようにエンプティも飛び込む。
当然ながらジョルネイダ上空の座標を指定したため、重力に従えばそのまま落ちていく。アリスによって浮遊させられている三名も、彼女に追随するように落ちていった。
「うわぁあぁああぁ!?」
「煩いわね」
「ずびばぜん~~~!!!」
アリスによる急降下は、ある程度落ちたところでビタリと止まる。ちょうど、都市にいる人間が肉眼で見えるか見えないかの地点だった。
上空を覆うようなたかい建造物などないわけで、勘のいい人間であれば、上空にいる不審な人影に気づくことだろう。
とは言えこの程度では、魔王の登場にしては甘いだろう。
「せっかくだからちょっと演出してみよっか」
いたずらな微笑みを浮かべると、アリスは両手を広げた。
「〈
彼女がそうつぶやくと、黒い雲がどんどん都市の上に集まっていく。雷鳴を伴って、自然とは考えられぬ早い動きで、雨雲が集中する。
一筋の巨大な雷が落ちたことをきっかけに、ジョルネイダの都市には大粒の雨が降り注ぎだした。
しかもただの雨ではなく、この地域ではほぼ見られない雪混じりの雨だった。そのせいか気温も急激に下がっていき、流石に鈍感な住民でも気づき始める。
急いで建物の中に入るもの、雨雲の手前にいる異様な影を指差すもの。混乱が巻き起こっているのは間違いない。
城に居た大公たちもその変化に気付いたようで、バルコニーに出て彼女を睨んでいた。
ここまで派手な演出をすれば、自分が送り出した勇者と兵士たちがどうなったかは、誰がなんと言おうともはっきりしている。
「じゃ、降りようか」
「はい。アリス様」
アリスはゆっくりと降下すると、大公たちのいる城の中庭へと降り立った。
それに合わせて、城内からぞろぞろと兵士がやってくる。アリ=マイアへ送った兵士を引いた、残り少ない大公の護衛達だ。
魔王から守るという意味では、ほぼほぼ機能はしないだろう。
「イザーク、あの人の名前は?」
「テ……フ、なんでしたっけ……」
「何の為に君を連れてきたか、分からなくなってきたよ」
「も、申し訳ございません……」
空も飛べなければ、一国の長の名前すら覚えていない。現地人としてここに呼んだはずなのだが、イザークの使えなさが予想以上でアリスも驚いている。
下手すればマリルかヨナーシュでもよかったかもしれない……と後悔し始めた。
アリスが不審な目をイザークへと向けていると、少ない護衛兵士のなかから、一人出てくる。横目でその影を追えば、それが誰だかよくわかった。
「我が名はテオフィル・ル・シャプリエである」
「そう。私はアリス・ヴェル・トレラント。見てわかる通り、魔王だ」
「……我が、軍は……勇者殿は」
「エンプティ」
テオフィルは震える声で、一番気になっているであろうことを真っ先に聞いてきた。
もちろんアリスも、それを伝えるためにやって来たのだ。
エンプティを見やると、彼女は魔術空間から麻袋に包まれたものを取り出した。そしてそのまま、無造作にテオフィルの前に投げた。
重量のあるそれは、重い音を立てて地面を転がる。
「確認なさい、人間」
「……オーレリアン」
「は、はい」
テオフィル大公に万が一のことがあってはならないので、動いたのはオーレリアンであった。
オーレリアンは地面に転がる麻袋の紐を解き、中を開ける。ゴロリと出てきたのは、生気を失った虚ろな目をした――勇者三名の頭。
それを視認した瞬間、オーレリアンは麻袋を手から離した。数々の苦労を乗り越えてきたオーレリアンだったが、生首を見るのは滅多にない。
拷問や処刑をすることがあっても、オーレリアンの間に実行役の誰かが挟まっているのだ。
「ヒィイッ!」
「……なんてことだ……。わ、我々は、滅ぼされるのか?」
「アリス様の配下につくと誓うのであれば、それ相応の待遇は約束するわ。パルドウィンやアリ=マイアの現状を、知らないわけではないでしょう」
「……」
エンプティにそう言われると、テオフィルは黙り込んでしまった。
送り出したものたちの連絡は途絶えてしまったが、風のうわさで聞いている。アリ=マイアが改善されていったこと。新しい宗教。あれだけ強かったパルドウィン軍が、赤子の手をひねるように殺されたこと。
ジョルネイダは閉鎖的な国ではないため、情報の仕入れる方法は多数あった。
だからこそ、エンプティに言われてテオフィルは口を噤んだ。
彼は威厳のある男だった。
立て続けに起こった不幸のせいで、それも剥がれ落ちていた。頬は痩せこけて、元々薄かった頭髪も更に薄くなっている。最近はなんだか胃も痛く、食べ物もうまく喉を通らない。
兵士として駆り出された男たちがどんどん死んでいき、国民は彼を信頼しなくなっていく。砂漠化は止まらず、国の領土も減っていくばかり。
いっそのこと逃げ出したい。そう思う毎日だった。
「そうだな。テオフィル殿。配下に付けば、砂丘問題を全て解決してやろう」
「そ、そんなことが可能なのか」
その言葉は、今のテオフィルにとって、喉から手が出るほど欲しい物だった。
魔王が蜂蜜のように甘い言葉をささやくのだろうか。そんな疑問など、浮かんでこない。隣に立つオーレリアンは不審がっているものの、疲れ切っているテオフィルにはちょうどいい甘味だった。
妙に食いつきの良いテオフィルを見て、アリスはニヤリと笑う。
「先程の天候を見なかったか?」
彼女がそういうと、薄い雨雲が空を覆った。次の瞬間には、細い雨がさあさあと振り始めた。
傘をさすか、ささないか、という曖昧な雨量だ。霧雨にも近いそれは、この中庭に出ていた誰もを濡らした。
砂漠が多く乾燥しがちなこのジョルネイダでは、心地の良い雨だった。
「……これは……」
「天変地異など容易い」
「木を望むならば、作れば良い」
「……!」
アリスが地面を見つめれば、そこからピョコリと新しい芽が生える。メキメキと音を立てて、一分とかからずしてその場に巨大な木が生成された。
しとしとと降る雨は大木を濡らし、大木はアリスやテオフィル達に影を作ってその存在を主張している。
目の前でこうも簡単に行われてしまえば、誰もが幻覚だと否定など出来なかった。
そして、天候の操作に、植物の生成をこんなに容易くやってみせる魔王に、どうすれば勝てるのか――などという、甘い考えは消えていく。
「これ以上何を望む?」
アリスが念を押すように言えば、フッと雨が止んだ。わざわざ生成した大木も、飛沫となって一瞬で消えてしまった。
「い、一日……。一日、くれないか」
「馬鹿ね。何を悩む必要があるのかしら」
「!!」
「配下にならなければ、この土地は人間ごと更地になって、アリス様の土地になるだけよ」
「まぁまぁ、エンプティ。……いいだろう。最後の時間を使わせてやろうじゃないか」
アリスはそういうと、城の出口へと向かう。自分が目の前にいては、出来る会議も進行が難しいというもの。
であればこの場を去るのが優しさだ。
しかしその優しさは、テオフィルにとっては好ましくはない。向かう場所によっては、国民に恐怖を与えかねないのだ。
「ど、どこへ……」
「城下町だ。一日やるのだから、暇をつぶさないとな」
「国民の前に出ると言うのか!」
「駄目なのか?」
「当然だ!」
「なぜ? 従属を選んで私の支配下になれば、いずれ知ること。死を選べば二度と会わぬ相手だろう」
「……くっ、好きにしろ」
テオフィルは逃げるように城の中へと入っていく。それを追って、オーレリアンと兵士達も城へと入っていた。
中庭にはアリスたちが残っており、誰が供回りとして城下町に行くかを話し合っている。
ここは当然エンプティ――と、言いたいところなのだが、如何せんイザークには不安が残る。通信魔術も幹部よりは劣るため、この場に残すのはイザーク以外だ。
「エンプティはここで、ヒュドラとキマイラ達と待機」
「畏まりました」
「イザークは一緒に行くぞ」
「は、はい!」
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