蜘蛛の巣1
アリスが亜空間の中に降り立つと、ザクリと砂を踏むような音がする。
下を見てみれば、壁であったものや天井であったものが地面に散らばっている。
荒れ放題のエントランスは、どれだけベルが暴れ、兵士たちが戦ったかを物語るようだ。
エンプティのことだ。きっと、豪勢な屋敷を亜空間内に生成したことだろう。仮初の住居が必要だった転生直後も、大きく豪華絢爛な城を作ってくれたくらいだ。
美しい場所で、不気味で異様な化け物と対峙する。そんなシナリオのために、この屋敷を作り上げた。
明かりは全て破壊されたのか、薄暗い景色が広がっている。
アリスには何ともない暗さだったが、人間にとっては不自由だろう。
スン、と嗅げば、死のニオイが漂っている。人間から流れ出る大量の血液の臭いだ。
辺りを見渡せば、ところどころに蜘蛛の糸が張り巡らされている。糸には食い千切られた人の肉体が貼り付けられており、〝保存〟しているつもりなのだろう。
頭部のない死体、腕だけ、足だけ。胴体だけ。そんな不完全な死体ばかりがあった。
床にはガラスの破片が転がっており、アリスが歩く度にパキパキと音を立てる。
「うん。久々に入ったけど、やっぱりエンプティは私よりもスキルの使い方が上手だよ」
〝デフォルト〟で所持しているだけあって、スキルの扱いはエンプティのほうが長けている。
屋敷内の完成度もさることながら、このガラスだってそうだ。亜空間で生成した建築物であるならば、破損したものや破壊された壁は瞬時に直せばいい。
だがまるで〝ここが現実の場所〟であるかのように、その破壊の痕跡が残っている。
それすらも、兵士にとっては恐怖だっただろう。
見知らぬ不気味な屋敷で、破壊された壁が勝手に直ればそれはそれで恐ろしいだろうが。
「みんな、よく私なんかについてきてくれるよなぁ……」
それはいつも思うことだ。
元人間であった不完全なアリス。スキルと与えられた知識によって、この世界の頂点に立てているだけ。
幹部たちがついてきてくれているのも、アリス――園 麻子が〝そのように設定した〟からだ。だからこそ、幹部たちの素晴らしさを痛感するたびに、彼女は少しだけ虚しくなる。
『アリス?』
「あ、ジュン……」
『どうしたの? 寂しそう』
「うーん。複雑なんだ」
『そう。大丈夫、アリス、ちゃんとかっこよかった』
「ありがと」
漫画やアニメなどの文化もない――元からこの世界にいるジュンに、異世界で死んでやって来たなんて説明しても、通じないだろう。
ジュンのことだから寄り添おうと必死になるだろうが、変に混乱させるのは避けたい。
『ここ、何しに来たの?』
「部下を〝助け〟にね」
『負けてる?』
「いや? ……いや、うん。ある意味。理性には」
『? 変なの』
戦績からすれば、ベル・フェゴールの圧勝であろう。
レベル200の巨大な蜘蛛を相手にして、生き残れた兵士がいるのであれば、それはそれで引き込みたい人材だ。
それにベルは完全体となって理性を捨てたことにより、ステータスが上昇している。通常のベルよりも強くなれば、より勝率は減るだろう。
「……ぁあああぁ」
「ん?」
「ひぃいぃああぁああ!!」
シンと静かな空間で、バタバタと情けない走る音がする。蜘蛛であり隠密を得意とするベルがそんなことをするはずもなく、前方を見やればジョルネイダの兵士がいた。
アリスを目にして驚いているものの、兵士の青年はそのまま飛び込むようにして床に着地した。
頭を床に擦り付けるようにして、そのまま深く平伏する。
「お、おねがいします、なんでも、なんでもしますからぁああぁ!」
「お、おぉ……」
「たすけて、たひゅ、たすけてください!」
鼻水に涙、よだれを垂れ流しながら、青年は命乞いをする。
今この状況で、命乞いの通用するのは目の前のアリスだけだ。仲間を襲っていた蜘蛛は理性などなく、目の前の動く肉を殺すのに夢中。
人間としての会話なんて不可能で、抵抗する時間も与えられぬまま死んでいく。
ベルの能力をもってすれば、生き残りを作ることなど不可能だ。だがこの青年はなぜか生き残っている。
顔面の液体という液体で汚れきった青年を見つめる。ぐちゃぐちゃになっているものの、整っている容姿だ。
「ふむ。お兄さん、顔がいいね」
「え!?」
「隷属や同性愛に抵抗はあるかい?」
「よ、よくわかりませんが、死なないならなんでもします!」
「そうかそうか!」
アリスはニコニコと笑いながら、青年の肩をたたいた。
彼女の脳裏には、ひとつの案が浮かんでいた。彼を助けるということではなく、一番働いてくれた部下への褒美という意味だ。
そしてその褒美は、自らやって来てくれたのだ。それを保護しないでどうするというのだろうか。
「では魔王の名にかけて、君を保護しよう」
「い、いいのですか……?」
「あぁ、もちろん。頑張ってくれた部下には、報酬が必要だろう?」
「……?」
アリスは青年の前に出ると、そのままスタスタと進んでいった。気配からして、屋敷の最奥にいるのだ。
アリスが気配を辿っていけば、壁などを伝う蜘蛛の糸はどんどん濃くなっていく。
糸に絡められている死体も、状態がいいものが多かった。ある程度腹が膨れて、食欲も薄れていったのだろう。中には五体満足の死体すらあったほどだ。
あとで食べようと思っているのか、丁寧に糸に絡められている。
最奥の部屋に辿り着くと、アリスはピタリと足を止めた。
中からははっきりとした強者の気配が漏れている。隠すつもりもないのだろう。
虫の動物的な感覚を考慮すれば、ベルは既にアリスの存在に気付いている。むしろこの地に降り立った瞬間には、分かっていたに違いない。
この一枚の扉をくぐれば、アリスもまだ見たことのない完全体のベルが出迎えるのだ。
「ほ、本当に大丈夫なのですか……」
「大丈夫大丈夫。外で待ってて」
「は、はい……」
アリスは人一人が通れるぶんだけ、扉を開けた。何が飛び出してくるか分からないため、入室するとすぐに扉を閉じた。
すると、予想していた通りすぐに攻撃が仕掛けられた。
高速で何かがアリスの元へと飛んでくる。キラリと光ったそれは、複数本の短剣だった。ベルがスキルで生成するものと酷似している。
アリスは飛んできた短剣を避けることなどせず、そのまま短剣が突き刺さった。
頭部、胸部、腹部にと、深々と突き刺さっている。
『アリス!』
「大丈夫~。防御なんてするわけないじゃん、勇者じゃあるまいし」
アリスに突き刺さった短剣は、ひとりでに肉体から抜けると、カランカランと高い音を立てて床へと落ちた。
自動回復スキルが発動したことにより、肉体の修復が開始されたのだ。異物である短剣を排除すると、肉体も何もかも元通りになる。
圧倒的な回復能力があるアリスは、大抵の攻撃を避けずともいい。投げられた短剣程度であればなおさらだ。
これを繰り返していたせいで、痛みにも慣れてしまったのが難点である。アリスはそうして、日に日に人間さを失っていた。
人間だった頃を懐かしみつつ、今目の前の問題を処理しようと動く。
「エンプティ、ここを密室にして」
『かしこまりました』
アリスが頼むと、すぐに亜空間の処理は終わった。背後にあった出入り口は消えて、他と同じ壁となる。
エンプティが無能では無い限り、下手に破壊されない強度にしてくれているはずだ。
これで廊下にいる人間は保護出来たと同然である。
『廊下にいる人間はどうしますか』
「ベルの好みそうだし、ご褒美として奴隷にするよ。可能なら回収してあげて。他に生存者は?」
『見当たりません。おそらく、本能的に好みのタイプを残したのかと』
「やっぱりねぇ。気持ち悪いな、あいつ」
兵士がアリスのもとへと走ってきたのも、理性と意識がない中で好みのタイプを逃したからだ。
アリスが保護するところまで想定していたのかは不明だが、それでも生き残りが一名だけなあたり、あえて生かしておいたのは間違いない。
なんだかしてやられたようで、アリスは苦笑いした。
「さぁて、ベルちゃん――遊ぼうか」
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