ツケ

 アリスは楽しそうに、そして嬉しそうに手を叩く。称賛という意味でも、子供がはしゃいで両手を叩くような意味でも。

 そうなるのも当然だろう。今、目の前で最高のショーを見られたのだから。

 一方で、アリスの登場に、二人は混乱していた。たった今、目の前で戦っていたはずなのだから。


「いやぁ、実に面白かった。本格的に録画魔術とかを開発するべきだと痛感したよ。魔術学院の課題にしてみようかな?」

「は? おまえ、死んだ……」

「勇者くん達にひとつ、いいことを教えてあげよう」

「……はあ?」


 気分のいいアリスは、何でもかんでも説明してあげることにした。

 まだ若く幼い彼らにとって、知らないことも多い。年長者であるアリスが教えてあげることで、今後の――来世への成長につながる。

 アリスは人差し指を突き出すと、そのまま下を指した。


「幻惑魔術に対する耐性は取っておくことだな」

「……ッッ!」


 豊成と健斗が急いで下を見る。そこに転がっているのは、アリスの死体ではなかった。

 見覚えのある少女。いつも口うるさく、校則について言ってくる少女。元の世界から一緒に居た娘。

 半藤 新菜。

 新菜の体には、豊成が刺した剣が深々と突き刺さっている。だらしなく開いた口からは、呼吸の様子はない。虚ろな瞳に、ピクリとも動かない体。

 勇者の鍛錬をするにあたって、何度も見てきた――死体。それにそっくり、否、まさにその通りだった。


 半藤 新菜は、死亡していた。


「あ、あ……」

「うそだ、そんな……」


 事態を理解した二人は、どんどんとその表情を曇らせていく。

 健斗はドサリと膝をついた。少女だったものの横に、体を震わせながら座り込んでいる。まだ高校生の子供には、友人の死は厳しかったのだろう。

 しかもそれが、事故などではなく自身の手によって起きたこと。余計にショックは大きいものだ。

 健斗は少女の亡骸に手を伸ばした。温かみも、微笑む顔もない。あれだけ口うるさく言っていた新菜はいない。

 震える手は新菜に触れることすら恐れ、空を掻いている。


「途中でどちらかが気付くルートも想定していたんだが、無駄だったようだ。一人まるっと殺してくれて助かったよ。仲間同士で殺し合うのは面白かった」

「う、あ、うわあああああああああ!!!」

「市野! 待てって!」


 今までの計画も警戒もすべて捨てて、豊成はがむしゃらに剣を振った。型や作戦もなく、ただ薙ぎ払うだけの剣。

 その剣には怒りだけではなく、不甲斐なさに、喪失感が乗せられている。まるで目の前が突然真っ暗になったかのように、乱雑で幼稚な剣使いだった。

 先が読めない剣ではあったものの、それを避けるのは造作もない。たとえどんな剣であっても、アリスの機動力をもってすれば容易く回避できた。

 まるで踊るかのように、その剣を避けていく。


「おまえ、おまえがああぁああ!!」

「私? 私は幻術を展開しただけだぞ」

「おまえのせい、おま、お前のせいで死んだ!!!」

「ちーがーう」


 叫びながら剣を振り回す豊成。

 アリスはその叫びに呆れていた。全ては、新菜が死んだのはアリスのせいだというのだから。

 ではあの、深々と、体を貫いた剣は誰の剣だ。今、その剣を振り回しているのは誰だ。

 気付ける部分は多くあったはずだ。

 あの絶対的な魔王が、一般冒険者も使うであろう防御魔術を展開するのか。今更になって、命乞いなど愚かな行為に走るのか。

 魔術を極めた勇者である健斗に傷をつけた魔王が、攻撃をやめろと懇願するのか。

 考えれば分かることを、感情に任せて戦っていた。少し冷静になれば分かることだった。

 幼さと経験の甘さが引き起こしたのだ。


 アリスは雑に振り回している剣を、指先で止めた。まるで触れるような優しい止め方だったものの、暴れ回っていた豊成はピタリと止まった。


「殺したのは君だ」

「あ……」

「君が、半藤 新菜の背から胸までを貫いて、殺した。現在も私に向けているこの剣でな。べっとりと着いている、この赤は誰のものだ? ん?」

「い、いやだ……ちがう……」

「やめろ、耳を貸すな!」


 豊成がここまで動揺しているのにも関わらず、健斗はずっと冷静さを保っていた。

 覚悟が決まっていると言えば聞こえはいいかもしれない。しかし、この若さで、あの〝地球〟で生きてきた高校生だということを加味すれば――少々異様だ。

 とはいえ先程の、新菜を失った際の震えは嘘ではないだろう。

 だがあの瞬間、頭のいい彼は察したのだ。このままでは魔王にやられ、全滅する。それだけは避けねばならない。


 アリスはニヤリと笑った。これはちょうどいい、と。


「おやおや、なんて言いようだ。仲間を殺してしまって、気が狂うのは当然のことだろう。なぜ君はそんなに冷静なんだ?」

「……」

「……ふざけるなよ、魔王」

「そういえば君は魔術に対する適性が高かったよなぁ? どうして幻覚を見破れなかったんだ? いや、見破ろうとしなかったのか?」


 アリスがわざとらしく言えば、ピクッと豊成が動いた。

 会話の最中、まるで傀儡のように止まっていた彼だったが、アリスの言葉に動かされた。

 豊成の視線は、ゆっくりと上がった。アリスを一瞬だけ見据えると、そのまま一瞥するかのように健斗の方へと向いていく。


「……やめろ」

「私は疑問を口にしただけだ」

「……が」

「聞くな、市野。一旦体制を立て直して――」

「お前が! お前が殺したッッ!」

「はあ? ちょ、おい! やめろって、市野!」


 豊成はアリスの前から飛び出すと、その殺意を一気に仲間である健斗へと向けた。

 既に仲間が目の前で死んだせいで、豊成の心は壊れてしまった。アリスの簡単で分かりやすい誘導ですら、いとも容易く受けてしまう。

 そもそももともと頭があまりよくないせいもあったが、こればかりはぬるい。


 アリスはけらけらと、腹を抱えながら笑う。

 魔王を目の前にして、行っているのが仲間割れなのだからそれは可笑しくもなる。

 ここまで扱いやすい勇者だからこそ、闘技場での出来事もあったのだ。上の人間に騙されて、魔獣だからと命を軽く見た。

 そのつけが回ってきたのだ。


「あー、面白い」


 たたた、と走る音がアリスの耳に届いた。この場に似つかわしくない、小さな子供の足音だ。

 そんな音を立てて、殺意なども向けずにやってくるのは唯一人。

 アリスが振り向けば、ニコニコと嬉しそうなリーベが立っていた。手には紙切れを持っている。


「母上〜」

「ん?」

「見てください。イヴがしゅつだいしたテストで、満点を取りました!」

「おお、偉いねぇ。よしよし」

「えへへ」


 リーベの小さな頭を、アリスの手がわしわしと撫でる。爪で傷つけないよう、気を付けながら優しく撫でた。

 サキュバスの作っているシャンプーを使っているのか、リーベの頭髪はサラサラでふわふわだ。憎くも、両親の綺麗な髪を受け継いでいるというのもある。

 しかし、そんなことを気にせずアリスは頭を撫でた。


 アリスはちらりと回答用紙を見たが、書かれていることが一つたりとも理解できなかった。

 幸運なことにこの世界の言語を読み書き出来るものの、歴史や世界情勢、常識に関してはほぼ学んでいない。この世界の主な勉学方法に関しても全く知識がないのだ。

 相手を殺すことにおいては問題ないが、そちら側はめっぽう弱い。リーベには今後、その方面においてアリスの補佐をしてくれると願った。


「アレ? あれはなにをしているのですか?」

「仲間割れだよ。暇になっちゃった」

「仲間われ……みにくいですね。それに母上を暇にさせるだなんて、おろかにも程があります」

「……そうだねぇ……」


 天気のいい丘。

 仲間から逃げ回る健斗に、必死に追いかけ回す豊成。これが日常であれば、ここに殺意がなければどれだけ平和だったことだろうか。

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