ピクニック

「来ましたか」

「えぇ、えぇ……」


 ここはユータリスが拠点を置いている屋敷。

 現在はユータリスとその部下三名の他に、エキドナも滞在している。

 エキドナは街と人を守るために、この屋敷へと来ていた。

 決戦の地はイルクナーの街を抜けた丘ではあるものの、ジョルネイダの兵士がここで何をしでかすか分からないからだ。


 窓の外には既にジョルネイダ公国の兵士が見えており、隊列を組んで丘へと進んでいる。

 スケフィントンとスカベンジャーには窓に近寄らないように言い、エキドナたちもあまり凝視しないように観察する。

 公国は大量に兵士を失っていたはずだが、それでも国を東奔西走し、人間をかき集めたのだろう。

 上陸してから暫く経つが、街を行く兵士は多い。


「彼らが完全に通り過ぎたら、わたくしも向かいます、向かいます……」

「はい。足手まといで申し訳ありません」

「そんなことありませんよ。同じく、人間の国をまとめる幹部ですから」

「……エキドナ様……」


 ユータリスにとって、その言葉は非常に嬉しいものだった。

 彼女は幹部ではあるものの、レベルが200を超えていない幹部だ。フルスに無理を言って作らせてもらった幹部ということで、レベルの制限がかかっている。

 ユータリスはそのレベル差もあって、幹部のことを同僚ではなく上の存在だと捉えていた。そんなことろに、エキドナのねぎらいの言葉。

 下を見るのではなく、同じ目線にいてくれる優しさに胸が熱くなった。


「エキドナ様。別にもう出ても、いいのではありませんか?」

「……貴方は……」

「申し遅れました。自分はエクセターと申します。主にユータリス様の補佐をしております」

「はじめまして、エクセター……」


 二人の会話に入ってきたのは、ユータリスの補佐をよくこなしている部下、エクセターだ。

 三名いる部下の中でも、もっとも人間らしい姿であることから、表舞台に立つことが多い。頭部にある〝本体〟も、被り物だと説明すれば納得されるのだ。

 下に生えている――寄生している人間こそ別物なのだが、この際はどうでもいいだろう。


 エクセターは自己紹介をしつつ、胸に手を当てて軽く頭を下げた。エキドナとはレベル差が50ほどあるため、完全に順列は下だ。

 ユータリスと同様に拷問に特化した部下ではあるものの、礼節に欠けるわけじゃない。アリスや幹部などの、上の存在が現れれば礼儀正しく振る舞えるのだ。


「その、それで……出てもいいとは……?」

「各建築物は、アリス様が配布してくださった、防衛用の魔術道具で保護されております。幹部様レベルの攻撃ではないと傷がつかない、高度な魔術を付与されたと聞いていますよ」

「まあ、まあ……! それは、その、人間の家にも?」

「ええ、もちろん」

「素晴らしいです……」


 エキドナは手を合わせ、少しだけ微笑んだ。

 彼女にとって、アリスが人間を保護しているという事実は、感動に値する。

 エキドナはこの世界で生活するうちに、考えが変わっていった幹部の一人だ。弱い人間こそ、守ってやるべきだと考えている。

 そんなエキドナにとって、アリスが幹部以外に手を差し伸べたことが嬉しいのだ。


「ですが、丘には幹部がほぼ全員揃っておりますから……。わたくしはイルクナーの防御を任されました」

「そうでしたね。幹部の貴女に進言するなど、出過ぎた真似を致しました」

「いいえ、いいえ……。アリス様を思っての発言、とても嬉しく感じましたよ……」


 エキドナとエクセターがそんな会話をしていると、他の部下二人が騒がしくなる。

 今回は外に出る仕事ではないので、室内にはユータリスの部下の全員が出ていた。もちろん、スケフィントンとスカベンジャーもだ。

 スケフィントンは窓に近づいて外を見たいらしい。だが、彼の容姿は明らかに化け物だ。スカベンジャーが必死にそれを止めている。


「ゆ、ユータリス、さ、ささ、さま、みて、み、て」

「どうしました?」

「あれが勇者ではありませんかね?」

「まぁ……」


 確かに勇者が通る前、外の雰囲気が一瞬変わったと感じた。些細な変化だったのは、アリスという強大な存在を普段から見ているせいだろう。

 険しい表情の幼い子たちは、アリスのいる丘へと向かっている。

 ユータリスやエキドナがすぐ近くにいると言うのに、彼らはこちらを見向きもしない。ユータリスだけならばまだしも、ここにはレベル200のエキドナもいる。

 その力の強大さは明らかだろう。

 索敵に特化していたり、気配を感じられる能力などがあればすぐに分かるはずだ。

 だが、兵士を含め、勇者も誰一人としてこちらを見向きもしない。この時点で、今回の戦いの勝敗など決まっているようなものだった。


「幼いのに、アリス様に楯突くだなんて」

「可哀想に、可哀想に……。召喚されたのでしたら、無理矢理働かされているのでは……? あぁ、どうかアリス様の寛大な処置がありますように……」

「そうですね。アリス様の〝慈悲〟が下れば、きっと彼らも幸せでしょう」

「えぇ、えぇ……」

(ゆ、ユータリス様、エキドナ様……。自分が首を突っ込む問題ではありませんが、お二人共、気付いていらっしゃらないのか?)


 エクセターは二人の会話を聞きながら、複雑な感情に襲われる。

 他者をいたぶることで快感を得る直属の主人・ユータリスと、人と触れ合うことで人間に対して寛容になったエキドナ。

 エクセターは気付いたのだ――この二人の会話が、絶妙に噛み合っていないことを。

 お互いにはっきりと言わないおかげで最悪の事態を免れているものの、同室にいるエクセターはあるはずのない胃をきりきりとさせるのであった。



 ◇



「お、やっと街を抜けたみたいだねぇ」


 上陸したジョルネイダ軍の先頭が、やっと街から出てきた。丘に向けて斜面になっている場所を踏み始める。

 アリスたちは丘の一番上にいるため、まだまだ辿り着くには時間がかかるだろう。

 勇者だけで飛び出してくればすぐに済むだろうが、こちらは幹部を全員連れてきている。死にに来るようなものだ。

 もっとも、遅く来ようが早く来ようが、死ぬことには変わりない。


「エキドナからの報告によれば、イルクナーの町並みへの損害もないようです」

「そっか。心配だからエキドナは、そのままユータリスと行動で」

「はい、そのように」

「それじゃ、ベルとエンプティ。雑魚の処理はよろしくね」

「お任せください」

『はーい!』


 アリスの合図を聞くと、エンプティは先に飛び出た。

 ベルは既に亜空間に収納してあるため、あとは公国軍をしまうだけだ。そうすれば完全体を開放したベルが殺戮するだけ。


「エンプティが無事に雑魚を回収したら、勇者の三人がこっちに来ると思う。基本は私が相手するね」

「承知致しましたッ! 戦いを、参考にさせていただきますッッ」

「そんなに大層なものじゃないんだけど……」


 軍の指揮官たるハインツに観察されると思うと、アリスは別の意味で緊張し始めた。

 ハインツが慕ってくれるのは嬉しいことだが、アリスは未だに戦闘に自信がない。頭には知識がすべてインプットされているとはいえ、〝そのように設定された存在〟と〝人間だった頃の記憶もある魔王〟とでは多少の違いが出る。

 背後からの視線に気を取られないよう戦えればいいが……と不安になった。


「あーしらはどーしますか?」

「リーベに流れ弾とかが行かないように、守ってあげて。小さくて体調も崩しやすいだろうから、日差しとかにも気を使って」

「はぁーい!」

「ふむ。であればおすすめの本を持ってくるべきでしたな」

「私達で護衛しているぞッ! 必要ならばッ、ルーシーとともに取りに行くと言いッ!」

「ほう、ではお言葉に甘えて。転移をお願いしますぞ」

「おけー!」


 各々が楽しそうにやるべきことをこなし始める。

 ルーシーはパラケルススを連れて、一時的にアベスカへと戻っていった。

 ハインツはリーベが更に快適に過ごせるよう、魔術空間からテントを取り出した。もともと木陰で涼しい場所にいたが、日が高くなればもう少し暑くなる。あって損はしないだろう。

 テキパキと組み立てる姿は、普段のハインツからは想像できない微笑ましさがあった。


『……本当に戦争前なのか、これは』


 眠っていたはずのエレメアは、周囲の騒々しさで目を開けている。あいも変わらずふわふわと浮いており、眠たげにまばたきをしている。

 ようやっと動き出した魔王軍を見て、彼女は声を上げた。

 とは言うものの、戦争に入るというよりは、まるでピクニックだった。殺伐とした雰囲気などないこともあって、エレメアは違和感を覚えていた。


「アリス様が敗北するという未来は有り得ないからなッ! みな、気が楽なのだろう!」

『はぁ、なんだか気が抜けるのう……』


 これから大量の命が奪われるというのに、誰もそのことに関して憂い嘆いている様子はない。

 誰もが楽しそうに勇者の到着を待っている。

 全てはアリスの趣味、欲望のためだ。

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