軍の対処法

 アリスも好きな幹部たちと一緒にいれば、数時間という時の流れはすぐに過ぎる。

 ジョルネイダ公国の軍艦はもう岸辺まで来ており、兵士たちが地上に降りてくるのも一時間とかからないだろう。

 しばらくすれば街の中を歩き始めるはずだ。

 小高い丘から見下ろすアリスたちには、その様子がはっきりと見えている。


「しかし、アリス様ッッ! 本当に軍は使わずしてよろしいのでしょうか!」

「今回はね、ベルに一掃してもらおうかなーって」

「え!? あたしですか!?」

「うん」


 アリスはニコリと笑顔を作る。子供がするような、無邪気な笑みだった。

 彼女にとって、これから言い渡す命令が楽しみでしょうがない。とはいえ、アリスは〝それ〟を最後まで見届けられないので、楽しさ半分、虚しさ半分だ。


「完全体で暴れてみたいでしょ?」

「……はい?」

完全体むしになって蹂躙してみたらどうかなーって」

「えぇえぇええぇえぇ!?!?」

「一回も解放したことないでしょ」

「いやいやいや、アリス様。何言ってんですか!」


 ベル・フェゴールの完全虫化。

 それは強大な力を引き出すことの代償として、理性も知性も失う。ベルの意識も野生的で本能だけに従う、完全な虫になる。

 仲間であろうと敵であろうと、誰彼構わず攻撃を仕掛ける。人間でも魔族でも誰でも関係がないため、イルクナーに人がいる状況で命令するやり方ではない。

 それに完全体は、彼女が戦闘不能になるまで続くのだ。


「これだけ幹部が揃ってるなら、止められるよね?」

「勿論です」

「当然ですッッ!」

「あーしも頑張りますっ」

「えぇ〜……」


 自分では制御できない完全体は、ベルにとって歩く失敗だ。

 アリスがそう〝設定〟したのならば否定は出来ないが、この世界に来てからベルは失敗続き。そうそう簡単に開放などしたくない。

 止めるとなれば、幹部が全力で止めに入ることになる。それか最悪の場合、アリスの手を煩わせることとなるのだ。


「心配なら、エンプティの亜空間でやったらどう? イルクナーには被害はなし、勇者とも切り離せる」

「それが良いかと。私の管理下でしたら、どうにでもなります」

「でしょー」

「え、え、本気ですか?」

「嫌なの?」

「嫌では……ないですけど……」


 ベルとしては――ベルの理性としては断りたい。

 しかしはっきりとノーと言えないのは、彼女が今まで殺人衝動を必死に我慢してきたからだ。

 欲求不満、鬱憤がたまる。そんな状況で、こんな命令をされれば。真っ先に否定など出来ない。

 ベルの中には、完全体になって暴れまわりたいと期待している自分もいるのだ。


「大丈夫。サクッと勇者を殺して、私が目を覚ましてあげるよ」

「……。…………やりたい、です」

「よろしい。ではベルは先に亜空間へ。ジョルネイダの軍が入り次第、力の解放」

「……はいっ!」


 あれだけ躊躇っていたものの、返事は明るかった。

 幾度の失敗を重ねてきた彼女にとって、その失敗をしてもいいと許されたようなものだ。寛大で、絶対的な魔王たるアリスに、多大なる感謝の念を向けた。


 ベルが精神統一も兼ねて準備運動をしていると、見知った人間の少年が近づいてくる。この場にいる人間は一人だけ。リーベだ。

 リーベはキラキラと目を輝かせて、ベルを見つめている。

 まるで、少年が〝かっこいいもの〟を見て、心を躍らせるようだ。


「ベル、虫になるの?」

「え、あぁ、坊ちゃん……。はい……」

「かっこいい、見たーい!」

「絶ッッ対、ダメッッですッッ」

「えー」


 キマイラやヒュドラからはじまり、ハインツのドラゴン形態などが好きなリーベにとって、強い虫というものは憧れだ。最近では、アリスが連れ帰った魔獣も好きらしい。

 しかも幹部が変身するというのだから、それは興味がある。

 しかしながらベルにとっては、アリスの息子に危害を加える可能性があることだ。自分をかっこいいと褒めてくれるのは嬉しいが、理性も知性も失われてしまう以上、どんな結果を引き起こすのか分からない。

 幹部相手ならばまだしも、ただの人間であるリーベに見せられるはずがないのだ。


『ほら、大人しくこっちで宿題やりましょ』

「はぁーい」


 イヴに連れられて、リーベは再び木陰の方へと移動する。

 不貞腐れた表情だったものの、アリスの補佐をするために勉強は欠かせないと、気分を切り替えていた。



『なぁ、魔王よ』

「ん?」

『わしが言うのもなんだが、本当に殺すのか』


 エレメアは、今までで一番神妙な面持ちで話しかける。

 それは普段からからかわれているエレメアではなく、数百年生きてきた精霊たる威厳のある顔だった。

 雰囲気が変わったことで、アリスも質問を真面目に受け取った。


「別に初めてじゃないよ。リーベのこと、聞いてないの?」

『む? 貴様の子じゃろう?』

「育ての親って意味ではね。あの子、パルドウィンの勇者の子だよ?」

『なんじゃとお!?』


 リーベは、パルドウィンの勇者であるオリヴァー・ラストルグエフと、その恋人のユリアナ・ヒュルストの子供だ。

 二人は愛を育み、ユリアナの体には命が宿った。

 それが欲しくなったアリスは、ユリアナを拉致。母体から引き剥がして、魔力を与え続けて育て上げた。

 それがリーベである。

 リーベは見た目が十歳程度ではあるものの、本当の年齢は一歳にも満たない。アリスが無理矢理肉体年齢を引き上げて、脳みそに直接知識を植え付けたことで、現在の姿になっている。

 さらに言えば、魔力を与えて育てた結果、〈暴食ブリーミア〉というデメリットともなるスキルを得てしまったのだが。


『もうわしが何を言おうとも無意味じゃな……』

「引き止める気だったの?」

『一応精霊としてなぁ……』

「そっか。ありがとう。でもこれは、使命でもあるし、ずっと楽しみにしていることなんだ」

『……無駄ということじゃな』

「ごめんね」


 謝罪を述べたものの、微塵も〝悪い〟とは思っていない。無邪気に笑うその表情がすべてを物語っていた。

 エレメアもそれを察したのか、自分ではどうにも出来ないと諦めたのか。空中で横になると、「くぁあ」と小さく欠伸をして目を閉じた。

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