遺跡3
「うっそだろ……」
「…………へ」
パラパラと粉塵が音を立てて、目の前を舞っている。
二人を保護していたスライム達は死亡し、その場には何も残っていなかった。アリスがスライムを生成していなければ、彼らは肉塊へと姿を変えていたことだろう。
粉塵が晴れていけば、アリスの姿が目に映る。
彼女の足元にはぽっかりと穴が空いており、その底は分からない。アリスの言う通りなのであれば、最下層まで繋がる穴が作られたわけだ。
古びた石造りの遺跡とはいえ、非常に綺麗な状態の穴を生成した。まるで機械で丁寧に開けたようなものだった。
「よし! ふたりとも、おいで。行こう」
「……」
アリスは満足そうに笑っていたが、それに反してダニーとアレックスは顔を引き攣らせていた。
誰がこんなことを出来ると思うだろうか。
ただふと思いついて言ったことが、本当に実行されるとは。
アリスの奇行に気を取られていたアレックスは、ハッと意識を戻す。彼女に近付いたのは、真実を知るため。
ダニーが言っていた通り、パルドウィンで最近話題の孤児院に関わっているのか。それを聞くためだった。
「あっ、あの!」
「ん?」
「フリルズ・ハウスって、知っているか」
「ああ、うん。パルドウィンの新事業でしょ? 好調だってフリルから聞いてるよ」
「……」
アレックスは拍子抜けした。今まで凝り固まっていた何かが、スルリと抜け落ちたように感じていた。
アリスはまるで「当たり前だろう?」と言わんばかりに返答を寄越す。それが何だか、今までの自分を見返してきて情けなかった。
「なにさ?」
「お前の、部下なのか……」
「うん。あっ、フリルはあんまり戦えないから、攻撃しないでね? 人との交流のために作った幹部なんだから……」
「……そうなのか」
なんだかアレックスは、もうどうでも良くなってしまった。
たとえ魔王であれども、パルドウィンのためにあんな素晴らしい施設を作ってくれた。
アレックスにとっては、民の笑顔が全てだ。ほとんどの誰もが彼女を嫌っているが、それはアリスがあの施設を作ったと知らないからだ。
国民の誰もが賞賛する素晴らしい施設であるがゆえに、それが知れ渡った時にどんな影響を及ぼすのか。それはアレックスにも未知数だった。
しかし少なくとも、アレックスの中の意識が変わっていくのは確かだった。
黙り込んでしまったアレックスの横に、ダニーが現れる。穴が空いたとはいえ、ここから安全におりる術はない。
軽く覗き込んだだけでも、底すら見えない真っ暗闇だった。
「で、どうやって降りるんだ?」
「んー、あ!」
アリスは羽織っていた羽衣を取り払うと、ダニーとアレックスの前に投げ捨てた。重力に従ってそのまま地面に落ちるのではなく、羽衣はふわふわと腰の辺りで浮遊している。
もともと羽衣を羽織っていたと言っても、重力に逆らって浮いていたのを見ていた。だから疑問には思わなかったが、目の前でこうもハッキリと見せつけられて二人は動揺した。
もはやアリスに対して、既知の情報は意味を成さないのは分かっていたが、それでも尚更だ。
「乗って」
「はあ?」
羽衣に続いて、頓狂な発言をするアリス。
反応したのはアレックスではなく、ダニーだった。そして代わりに、だんまりのアレックスは素直に羽衣に乗っていくでは無いか。
「お、おい?」
今までのアレックスならばありえない行動に、ダニーはここへ来て激しく驚愕している。
しかしそんなダニーも、アレックスの顔を見れば理解出来た。
全てを悟った、諦めた顔。薄ら微笑むようなその顔は、まるで長い人生を経た老人のよう。
「あ、そう。諦めたのな」
「はい……」
「じゃ、行くよ」
「あっ、おい! ……て、うわぁああぁ!?」
ダニーも羽衣に乗ったのを確認すると、アリスは穴の中に飛び込んだ。当たり前だが重力があるため、アリスの体は下へ下へと落ちていく。
そしてアリスが飛び込むと、羽衣もそれを追うように穴へと入る。
落下の速度は生ぬるいものではない。羽衣による抑制がある程度あるとはいえ、人間の身には相当厳しいものであった。絶叫マシンなどの経験がない二人にとっては、特にそうだろう。
「「ぎゃあああああ!」」
落下時間からして、一分と経過していなかった。転移させられた先が、比較的最下層に近い場所だったからだろう。
しかしこの落下時間は、パルドウィンの二人にとっては永遠にも感じられた。終着点のわからない暗闇の中を、今まで感じたことのない高速で落ちていくのだ。
アレックスは故郷に置いてきた両親や家族に祈りを捧げ、ダニーは「ここで人生が終わるのだ」と覚悟を決めた。
二人には長く感じた落下は、アリスが着地するドスンという音によって終わった。二人が乗っていた羽衣は、ふわりと着地をして衝撃や振動すら与えなかった。
「し、死ぬかと思ったぜ……」
「僕は何度か死んだ気がします……」
羽衣から降りる二人はフラフラとよろめいている。口に手を当てたり、気持ち悪そうにもしていた。
一方でアリスは、はしゃぐ子供のように楽しそうにしている。それだけではなく、彼女の体中赤い液体で染まっていた。
落下していただけだが、アリスは羽衣で守られていたわけではない。だからこの液体を見て、アリスが何かしらで傷ついたのではと二人は思案する。
「……なんでお前、そんな怪我……」
「あ、しまった」
アリスがパチンと指を鳴らすと、彼女の体に染み付いていた液体は一気に消え去った。消えたあとのアリスには傷どころか怪我すら見られず、服がほつれている様子も見受けられない。
ではあの確実に血液だと分かる赤い液体は、なんだったのか。アレックスとダニーの頭に、疑問だけが残る。
「途中の階層に何かいたから、殺しただけ」
「はぁ!?」
残った疑問の答えを、アリスが話す。それは信じがたい事実だった。
アリスはあの落ちていた一瞬で、通過した階層の魔獣などを討伐していたという。そしてあの血液は、返り血だというのだ。
二人はアリスの言っていることが全く理解できなかった。
それもそのはず、二人は落ちているアリスを見ていたから。あれだけ叫んだり、死を覚悟していたものの、先に落下していたアリスを視界におさめていたのだ。
二人が見ていたそれは、アリスではなくアリスの残像であった。一緒に落ちていると思っていたものは、アリスの高速移動によって残されたもの。
実際は各階層を一周し、一掃していたのだ。
先程、アリスの規格外さを諦めたアレックスであったものの、またも頭のおかしなことをされて脳みそがその処理を止める。
パルドウィンの二名が脳みそをパンクさせていると、空いていた穴から幹部の三人が降りてくる。
ルーシーが魔術でふわりと着地し、それに続いてハインツとベルが着地する。
「ここが隠し階層でしょうか!」
ハインツの大きな声が余計に響く。
改めて周囲を見れば、この空間は真っ白で非常に明るかった。今まで通ってきた薄暗く、松明が欲しくなるような遺跡内とは全く違う。
ここだけが切り取られた別世界のようだった。
家具やアイテムなどもなく、ただただ殺風景の白い部屋。その中央には、水盆が宙に浮いている。
「だろうねぇ。魔術で保護されていたみたいだけど、強化魔術で貫通しちゃったみたい」
「じゃあ、あれが何かしらのアイテムってことですかね」
「たぶんね」
コツコツと靴音が響く中、アリスは水盆へと近付いていく。中を覗けば、何の変哲もないただの水が浮かんでいる。
魔術を使用して見ても、変化は見られない。スキルや魔術が付与されているわけではなく、そのあたりで汲んだ普通の水だった。
何かが映し出されるわけでもなく、ただゆらゆらと水が揺らめいているだけだ。
あまりの何もなさに、アリスは拍子抜けする。これだけ苦労してやってきた場所にあったのが、ただの浮かぶ水盆なのか――と。
「なんともないねぇ……」
「な、なんともない!? あれが見えないんですか!?」
そう叫んだのはアレックスだった。
アレックスははっきりと水盆の上を指差して、驚愕を顔に貼り付けている。アリスも指を指した先を見たが、何も見えない。
ただ白い空間の空中があるだけだ。
「うん? なにが?」
「そこに水から現れた精霊がいるではありませんか!」
「え?」
キョロキョロと周りを見渡してみるが、本当に何も見えない。
それはアリスだけではなく、幹部であるルーシーらにも見えていなかった。ルーシーたちにも、白い空間に浮かぶ水盆だけが映っている。
しかしアレックスがここに来て嘘を言っているようにも見えず、アリスは酷く困惑していた。
アレックスはそこにいる〝なにか〟と会話が出来るようで、ブツブツと喋っている。ダニーはそれを変な目で見る様子もなく、彼も同じくその〝なにか〟が見えているのだと分かった。
あいも変わらずアリスたちは見えておらず、お互いに顔を見合わせて首を傾げる。
「あ、そうなのですね。彼女が言うには、あなたが規格外で見えないみたいです」
「……は?」
アレックスから放たれた面白みもなく愚かな回答に、アリスの機嫌は急降下した。
そのせいで一帯の空気が一気に重くなる。ズシリと全身に岩を背負っているような重圧が、空間にのしかかる。
アリスから膨大な魔力が漏れ出て、遺跡全体を揺らしていた。
大穴を開けた拳ですら揺れなかった遺跡は、アリスの怒りによって地鳴りのような音を立てている。パラパラと天井から細かい石が落ちてきて、崩れるのではないかとも思わせた。
ふざけたことを言う――見えないなにかに向けて、アリスは怒りを送り続けていたが――。
『す、すみませんでしたぁああぁ!』
そう言って現れたのは、ふわふわと浮かぶ美しい女。
水色のうねった頭髪に、透き通る白い肌。水のような麗しく輝く青い瞳。身に纏うシュミーズドレスは、瞳のように青い色をしていた。
この雰囲気を、アリスはどこかで見ていた。そう、パルドウィンの泉で出会った精霊だ。
勇者・オリヴァーを倒す前に訪れたパルドウィンにて、泉の精霊に出会ったことがあるのだ。その精霊のレベルは大したことなどなかったが、やはり人間ではないだけあってアリスの正体に気付いていた。
この精霊も同じようなものだった。
彼女の名前はオータ。
この遺跡に住んでいる水の精霊だ。様々な試練を乗り越えて、隠し階層であるこの百階層目に辿り着いた人間に対して、ステータスの上昇をさせることが出来る。
『本来ですと姿を現すのは、198以下に限っておりましてぇ……』
「そうなんだ」
『はいぃ……。その、能力値を強くさせる力を持っているものですから、強いとあんまり意味なくって……』
「まぁそうだねぇ。私カンストしてるし……」
『でっ、ですよねぇ!!』
オータはぎこちない笑顔で、媚びを売る。アリスの威圧によって顕現した彼女は、魔王たるアリスの実力をよく分かっている。
他者のステータスを操作できるオータだからこそ、アリスの凶悪さと圧倒的強さは身にしみるほど理解できていた。たとえそれが、出会ったのがほんの数分だとしても。
「ちょうどいいや。ここのボスみたいなものでしょう? あの黒いやつのこと教えてよ」
『あ、は、はい。巡回者のことですね……』
アリスのずっと気になっていたことだ。〝あれ〟のせいで、アリスは一度だけ体調を崩している。
誰も帰らない島だとはいえ、まさかあんな冒頭で死を覚悟するとは思わなかった。だからこそその答え合わせがしたかった。
『巡回者はその名の通り、この遺跡を見て回る監視です。198以下への即死能力を持っています!』
オータが自慢げにそう言うと、空間に沈黙が降りる。
アリスだけではなく、アレックスやダニーですら口を閉じた。そして表情は呆然としている。
それもそのはずだ。オータの言っていることが、矛盾だらけなのである。
オータがステータスアップを付与するのがレベル198以下なのであれば、巡回者たる何かが即死をさせられるのはもっとレベルが低くなくてはいけない。
それに百階層もあれば、いずれその巡回者に出会う羽目になるだろう。運良く回避できたとしても、九十九階層目の転移のトラップが待ち構えている。
遺跡をぐるぐるしているうちに、いつか鉢合わせ、そして巡回者によって即死させられるのだ。
「それじゃあここに辿り着けないでしょ。欠陥遺跡じゃん……」
『ふぐうぅう……』
「この島ってどういう島なの?」
『えーっと、私、引きこもりで……』
「……つまり、知らないと?」
『うぐっ、ひぃ、はい……あっ、で、でもっ! 他の精霊もいますっ! 試練とかが沢山あって、管理してましてっ。あと、島の最奥には大精霊がいてですね……』
「ほう」
ここでアリスは一つ閃いた。抱えていた問題を一気に片付けられる作戦だ。
「よし、決めた」
「アリス様?」
「教員補充計画だ!」
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