鉄壁

 アリスは冒険者組合へとやって来ていた。

 今後の方針について、詳しく話し合う必要があるのだ。

今や配下となったパルドウィンでは、下手に魔物を狩り殺すことは許されない。中にはアリスの部下である魔物もいるかもしれないのだ。

 アリスはリーベ、マリーナとヴァジムを連れて、組合に訪れた。


「あれ? 結構賑わってる……」

「あぁ。冒険者のなかには、戦争に駆り出されなかった奴らもいる」

「仕事で遠方に行っていたりしたのよ」

「へー」

「オリヴァーも知っていたでしょ?」

「あ、え、うん。そうだね」


 ヴァジムとマリーナが非常に丁寧に説明をすることに、アリスはやりづらさを覚えた。

 今後も関わっていく以上、これには慣れなければいけない。引きつった笑顔を返しながら、違和感がないようにオリヴァーに似せて振る舞う。


 二人の言う通り、幸運にも戦争に向かわずに済んだ冒険者も多数いる。

 戦争で大多数の人間が死亡したというのに、組合は人でごったがえしていた。

 むしろ、大勢の男手が無くなった今、冒険者はとても重要な存在だった。ランクの低い冒険者への依頼も殺到しているほどである。


(にしても、ヴァジム達の効果で、私に即攻撃を仕掛けてこなくて便利だな)


 アリスは姿を変えているわけじゃない。

 自分の国なのだ。魔王の姿のまま、歩き回っている。

 つい先刻まで文句を言っていたヴァジムは、精神が狂ってしまったせいでまともな発言すら出来ない。

 アリスをオリヴァーと錯覚している以上、彼女の容姿について何か言ってくることなどないのだ。


 そんな魔王丸出しのアリスは、現在は組合内で最も警戒されている対象だった。


「母上、あの、冒険者ということは――彼らは、魔族をころすのですか?」

「そうなるね」

「リーベは賢いわね」


 アリスが相槌をし、マリーナが一緒に褒める。

 気が触れてしまった彼らに、正直に「息子だ」と伝えると、何の疑問も持たずにすんなりと受け入れたのだ。

 アリスの中のオリヴァーを感じ取った彼らからすれば、遺伝子を直に受け継いでいるリーベなど、疑いようもないのだろう。


 マリーナに撫でられると、リーベは複雑な表情を浮かべた。

 リーベにとっては、不快に近い感情だ。今回の一件で、リーベがアリスを裏切らないことが分かったゆえに、アリスはそれをよく理解できた。


「……やりづらいです」

「我慢してね……」

「母上のためなら……」


 リーベだけではない。アリスもやりづらいのだ。

 アリスに至っては、オリヴァーとして振る舞わねばならない。彼女が殺したいと切実に願っていた、勇者を演じねばならないのだ。むしろアリスこそやりづらいだろう。

 しかし、不幸中の幸いとも言うべきか。ラストルグエフ夫妻は狂ってしまったがゆえに、多少は雑に演じていても気付かれることはない。

 二人は完全に、アリスをオリヴァーだと思いこんでいるのだ。


 アリスは気にしないように心がけて、受付へと向かった。

 ヴァジム達もついてくる様子を見せていたが、あまりにもうるさいので入り口で待つように伝えた。逆らうことなどなく、すんなりと受け入れている。

 厄介なのは間違いないが、きちんと言うことを聞いてくれるのは悪くなかった。


 受付に辿り着くと、周りの冒険者だけではなく、スタッフまでも彼女を警戒している。


「やあ」

「……我々は、屈しません」

「まだ何も言ってないけど……」


 震えた声だったが、確固たる意思を持って女スタッフは言う。

 アリスはまだ一言しか喋っていないが、何を言い出すのか察したのだろう。

 魔物を狩って、生計を立てている冒険者組合からすれば――魔王が直々にやってくる理由は、一つしかあげられない。

 これ以上の無駄な魔族などの、殺生の禁止。

 スタッフの想像している通り、アリスは今後の冒険者の振る舞いについて話し合うつもりだった。


(上長に話すしかないか。魔族は取り込むつもりだし、配下になるものたちに攻撃をけしかけられるのは困る)


 このスタッフに話をしたところで、上に通るわけじゃない。

 そんなことアリスだって分かっている。であれば、話の場を設けられるよう予定を決めるのだ。


「上の人間はいるか」

「お引き取りください」

「……はぁ」


 スタッフは拒否の一点張り。

 交渉術に長けて気が長ければ、彼女が折れるまでここに居ただろう。だがアリスはそうじゃない。

 彼女は自己中心的で、我儘で、気分屋。そしてあまり気は長いほうじゃない。

 たかが受付の人間程度に足止めを食らえば、腹が立ってくる。

 アリスは受付の女に向けて、手をかざした。


 ――その瞬間、場に居た誰もが飛び出してくる。

 剣やナイフなどの刃物全てがアリスへと向き、魔術を用意するもの、拳を構えるものなど。その場に居た誰もが、アリスへの攻撃態勢を取った。

 アリスは女へ手をかざしたまま、立ち尽くしている。


「おい、それ以上好き勝手は許さねえぞ」

「魔王だかなんだか知らねぇがな」

「出て行け!」


 アリスにとって、この場所にいる冒険者は一人残らず雑魚である。

 本気を出すことなど無く、組合を一掃することができるだろう。瞬きした次のときには、血肉が転がり、死体の山が積み上がっている――そんな未来を生み出すことは、容易だった。

 冒険者が言うことを聞かないのであれば、掃除してしまえばいい。

 そうしてしまえば、目の前の問題を片付けるのは簡単なことだ。


(……いや、それではイザークと同じだ)


 たとえアリスに反抗心を向けていたとしても、彼らはパルドウィンに生きている。パルドウィンの国民だ。

 「民がいないのに国と言えるのか?」――これは、かつてアリスがイザークに放った言葉だ。

 イザークは自分の力を示すため、己の国を作るために、アリ=マイア教徒連合国の所属であるウレタとエッカルトを襲撃した。

その際に国民を全て殺し尽くしたのだが、果たして国民のいない空っぽの場所を、国と言えるのだろうか。

 そう疑問に思って投げかけた言葉だったが、たった今アリスがしようとしたことは、そんなイザークと同じだった。


 何よりも戦闘に慣れている冒険者は、良い人材だ。独学ではあれども、戦い方を知っているものはどこに行っても有利に立てる。

 それに育った冒険者は、魔術連合国に引き抜ける。教えるにあたって生徒がまだまだ足りていないのだ。

 彼らはそれに適していた。

 引き抜くにしても、アリスに対しての警戒心を拭わねばならない。


(……人が足りない)

「母上?」

「あぁ、ごめん。今日はもう帰ろうか」

「はい!」


 アリスはニコリと微笑んで、リーベの手を取った。

 まだ刃物が突きつけられている中、リーベを連れて組合を出ていく。


 アリスの中には、この世界を管理しているサラリーマン風の神が浮かんでいた。

 フルス。彼はまた、アリスを呼んでくれないか、と。

 パルドウィンを懐柔していくにあたっての、人員がいない。人と問題なく接することが出来る存在がいない。

 ルーシーのような、人間相手でも別け隔てなく会話できる幹部もいるが、彼女は勇者との戦いにおいてのレギュラーメンバーだ。

 パルドウィンの下々の民を手懐けるために、長期的に出張させられるわけがない。

 そうなれば、人員不足だった。


(こちらからアプローチが出来ないのが悔やまれる……)


 アリスから神を呼びつけることなどできない。神からのコンタクトを待つしかないのだ。





「旅って、どこに行くの。オリヴァー」

「修行が足りなかったから、世界を見て力を付けようと思う。見聞も広められるし」

「そう……。いつでも戻ってきてね。ここはあなたの家よ」

「ありがとう、母さん」


 うるうると瞳に涙を浮かべるマリーナ。愛する息子との別れが辛いのだろう。

 しかしこうでもしないと、一生、このラストルグエフ邸にいなければならない。

 彼女はオリヴァーではなく、魔王アリス・ヴェル・トレラントである。

 この場所にずっといることなど出来ないため、適当に理由を作って家を出ねばならない。


 とはいえ、完全にオリヴァーになりきるわけじゃない。そんなこと、正義を嫌う彼女が出来るはずない。

 雑な彼女は、マリーナの目の前で〈転移門〉を生成した。マリーナは驚くことなどなく、泣きそうになりながら手を振っているだけだ。

 気が狂っているせいで、見えている世界も彼女の見たいように見えているのだろう。それはアリスにとっても、都合のいいことだった。


 彼女が〈転移門〉をくぐると、そこはパルドウィン王国の城の中だった。

 そして配下である、ブライアンの部屋。


「ブライアン」

「! 魔王陛下」

「そろそろ帰るよ。その前にひとつ、報告があってね」

「はあ」


 アリスはブライアンへ、ラストルグエフ夫妻についての説明をした。

 正気ではなくなってしまったこと、アリスをオリヴァーと勘違いしていること。簡潔ではあったが、この間に夫妻に起こったことを説明した。

 話が進む度に、ブライアンはどんどん顔色が悪くなっていく。国を立て直すにあたって、肝心の英雄の気が触れてしまったのだ。

 そんな表情になるのも無理はない。


「私がいなきゃ普通に振る舞うと思うけど、狂ってしまったことを忘れないで」

「……えぇ」


 ブライアンだって気丈に振る舞っているものの、精神はだいぶ疲弊していた。

 息子を失い、戦争には負けた。そして魔族の部下にさせられた。抵抗する術がなかったとはいえ、プライドも何もかもズタズタになっている。

 貴族であれば誰もが一度は国のトップを夢見ただろう。しかしこんな形で、国を取りまとめることになるとは、誰も思うまい。


 身体的にも精神的にも参っているブライアンを見て、アリスはふと考える。

 手元に、アンゼルムはある。改造に改造を重ね、もう元の彼ではないのだが、肉体的には存在している。

 いずれ脅しの道具になるだろうと、確保してあるのだが――真実を告げたあとのラストルグエフ夫妻の例もある。飴と鞭のように、ここで使うべきかと悩んでいた。


「ブライアン、もしも……なんだけど」

「はい」

「アンゼルムが生きているとしたら、どうする?」


 そういった瞬間、ブライアンの隈の出来ている疲れ切った表情は、一変した。

 アリスを酷く睨みつけ、今にも殺しにかかりそうな勢いだった。きっとここに刃物の類があれば、掴み取ってアリスを襲っていただろう。

 ブライアンが口を開けば、聞いたこともない、低く恐ろしい声を出す。


「なぜ、そのようなことを……死者に対する冒涜と捉えますよ」

「あっそ。で、どうする?」

「………………生かしている、ということでしょうか?」

「いいや。きちんと殺したよ」

「……」


 嘘は言っていない。アリスは一度、きちんとアンゼルムを殺した。〈安寧〉という魔術は、恐ろしく優しくアンゼルムの命を奪った。

 苦痛も、恐怖も、覚悟も、何も与えること無く、静かに殺した。眠りにつくように、アンゼルムはその一生を閉じた。

 〈安寧〉により傷もなく死体が綺麗に残ったため、蘇生の魔術を付与したのだ。


「……破綻しています。……ですがもしも、アンゼルムを取り戻せると言うならば、私は貴女に忠誠を誓いますよ」

「ほーう。そっか」

「人の心をえぐって、楽しいですか」

「そういう存在だからね、私は」


 アリスは不敵に微笑んだ。

 もともとそのためにここにいるようなものだ。彼女は魔王であり、正義を嫌う。

 悪であるがゆえに、人の弱い部分など考えるはずない。


「……愚問でしたね」

「そうだね。じゃ、そろそろ行くよ」

「はい、お気をつけて」





「あの、母上。あの様子だったら、ブライアンに言っても良かったのではありませんか?」

「そう?」

「アンゼルム――いえ、現在はワンゼルムでしたね。ワンゼルムの存在を教えれば、今以上に働きを見せると思います」

「そうだねぇ……」


 二人はパルドウィン王国を離れ、魔王城へと戻ってきていた。

 一通り見て回り、満足したのだ。それに一度だけでも訪れれば、あとは何度でも〈転移門〉を生成出来るアリスにとって、初回で全てを堪能する必要はない。

 暇になれば散歩感覚で、遠方の国に赴けるのだ。


「でももっと壊れてからのほうがよくない?」

「こわれてから?」

「ラストルグエフを見たでしょ」

「完全にいかれた人間は、とても依存するものだよ」

「そうなんですね! べんきょうになるなぁ」


 無邪気な笑みを向けてくるリーベの頭に、アリスはそっと手を置いた。

 サラサラとした黒髪を、優しく撫でる。リーベも拒否などせず、猫のように頭をすりつけて、アリスの手を堪能している。


(私もリーベを失ったら、狂ったりするのかな?)


 それはないか、と思いながら、アリスはリーベを撫で続けるのだった。

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