腹
城を出て暫く。城下町を歩くアリスは、人間の姿ではなく魔王のままだ。
それを見てヴァジムは、酷く不快な表情を見せていた。
自分の愛している街を、魔王が歩いている。愛する息子の命を奪った、魔王が。
「なあ、変えないのか」
ヴァジムは己の気持ちを偽ることなどせず、率直に質問を述べた。
「ん? 見た目? 自分の土地なのに、繕う必要がどこにあるの?」
「……」
返ってきた言葉はそうだった。
アリスの中ではもう自分の土地だ。アベスカで振る舞うのとように、己を取り繕う必要なんて無い。普段の姿のまま、歩き回るというのが当たり前だ。
しかし、ヴァジムと同様に、国民はそう思っていない。
アリスのような化け物がこの国を支配していることを、不快に思っている。恐ろしく思っているのだ。
事実、この街を少し歩いただけで、国民から向けられるのは冷たい視線。
攻撃などを仕掛けてくることはなかったが、大人から子供まで、誰もがアリスに対して冷ややかな視線を送っていた。
「そういえばマリーナはどうした?」
「……」
「〝そぼ〟なら、精神がくるってしまったみたいですよ」
「あらそう。息子も嫁も死んじゃったもんねぇ」
「てめぇ……!」
アリスがわざとらしく煽れば、ヴァジムは青筋を立てて彼女に突っかかろうとした。両腕は失っているものの、脚力は健在だ。
攻撃をしようと思えば、仕掛けられる。
しかしヴァジムは声を荒らげたものの、少しだけ立ち止まって、その攻撃をやめた。
まるで何かが阻んでいるかのよう。やる気を削がれた彼は、体をフイッとよそへ向けた。
「……チッ!」
「おんやぁ? 魔王が怖い?」
「違う……」
ヴァジムの否定は、見栄を張っているかのようには聞こえなかった。
自分でもその行動を理解出来ていないかのように、困惑した声が含んでいた。
「お前は、なんだか懐かしい感じがする。頭では不快だと分かっているのに、心が、本能がお前を気に入っている」
「おやおや? ――あ」
アリスはハッとした。 オリヴァーの死因だ。
オリヴァーはただ殺したのではなく、アリスの中に取り込むということで命を奪った。
それによってオリヴァーのスキルも習得したし、肉親であれば微かにその名残を感じられるのだろう。ヴァジムには、少しだけアリスの中からオリヴァーの気配がしたのだ。
それによって、強く出られないのだ。
(そうか。オリヴァーを取り込んだから、その名残か。オリヴァーが死んだことは知ってるけど、ヴァジムに死因は伝えてないもんなぁ)
しかしそれは、アリスにとって好都合である。
今後パルドウィンを背負っていくのは――操っていくのは、エキドナを筆頭にヨース一家。そして元英雄であるヴァジムとマリーナだ。
それらパルドウィンの四人が、アリスの言うことを聞かないのならば、今後の制圧に関わってくる。
早い段階で、ヴァジムの〝弱み〟を知れたのはいいことだった。
「ヴァジム。君の家に行こう」
「は?」
「うん。そうしよう、マリーナに会いに行こう」
「なっ、勝手に話を進めるな!」
そうとなれば、アリスはマリーナにも会ってみたくなった。
リーベに狂ったと聞かされていても、実際どの程度なのか。アリスの知識があれば、どんなに狂っていようが治療は可能だ。
しかしあまりにも荒療治すぎるのに違いはない。ヴァジムとて喜ぶにも喜べない。
治した相手が、息子を死に追いやった魔王なのだから。
「別にいいでしょ」
「駄目だ!」
「だってマリーナも私の配下だ。隷属を結んだのは、魔王軍と戦わせないからってだけじゃない」
「ぐっ……」
そう言われてしまえば反論など出来ない。
アリスとの直接的な関係はないものの、アリスの部下の部下。つまり、アリスの配下でもある。
ヴァジムは渋々といった形で、家に来ることの許可を出した。
「分かった……」
「そうと決まれば行こう」
「……クソッ、俺の家まで片道は――」
「ん?」
ヴァジムが長旅になると言おうとしたときにはもう、アリスは〈転移門〉を展開していた。
彼女にとって一度訪れた、見たことのある場所は、移動の時間を必要としない。
Sランクである〈転移門〉を使用してしまえば、すぐ終わってしまうのだ。
ヴァジムはまだそのことに慣れておらず、忘れてしまっていた。改めて見れば、呆れたように納得している。
「……あぁ、そうだったな」
「以前一度行ったことがあるからね。転移は可能だよ」
アリスに対して人間の常識なんて通用しないのだ。
扉を通れば、ヴァジムとヨース一家が管理している領地に、すぐさま辿り着いた。
アリスは以前、ヴァジムの家に泊まったこともあって、転移先は邸宅の目の前に生成された。〈転移門〉扉から出てくるヴァジムを見つけると、数少ないメイドの一人が駆け寄ってくる。
「ヴァジム様!? これは……」
「聞くな」
「あ、はあ……。そちらは――、……ッ!」
メイドは連れてきていた二人を見るなり、真っ青になった。
話には聞いていた程度だったが、ひと目見ただけでわかったのだ。彼女が魔王であり、ラストルグエフの坊っちゃんを殺した存在であると。
そしてその連れている子供。
嫌なくらいに、幼い頃のオリヴァーに似ていた。
一気に吐き気がこみ上げたが、メイドはグッと耐えている。
「……魔王サマと、その御子息だ」
「そう、ですか……」
「使用人たちに伝えてくれ」
「か、かしこまりました」
ヴァジムがメイドとやり取りをしている一方、アリスはキョロキョロと邸宅を見回していた。
きちんと整備された庭も、三人で住むには十分すぎるほどの屋敷も、今は興味など無い。
彼女が今会いに来たのは、マリーナただ一人。この広い邸宅で、マリーナを探すのは骨が折れるだろう。
しかしアリスには容易なことだった。広範囲で探知も可能であり、マリーナの気配をただ感知することだって出来る。
「マリーナはこっちか」
アリスは庭の方へとズカズカ歩いていった。
メイドに気を取られていたヴァジムは、咄嗟に止めることが出来ず、ただアリスの後ろをついていくだけだ。
まるで勝手を知っているかのように、目的地までの道のりをズンズン進んでいく。
「おい、勝手に行くな」
「別にいいだろう」
「良くねぇ、俺の家だ!」
庭の方へと足を勧めていれば、微かな笑い声が届いてきた。
ヴァジムにもその声は聞こえたようで、アリスを制する声が強まる。
今のマリーナの状態で、魔王なんて会わせられるわけがない。誰でもない、魔王のせいでマリーナの精神はおかしくなってしまったのだ。
その原因に対面させられないのだ。
アリスはそんなこと気にもとめず、とうとうマリーナのいる場所まで辿り着いてしまった。
マリーナは庭に咲き誇っている花を使って、冠を作っている最中だった。狂ってしまったマリーナ一人ではなく、メイドも付き添っている。
マリーナはれっきとした成人女性だ。
だが今、アリスの目に映ったのは、少女のように花かんむりで遊ぶ姿。詳しく聞かずとも、マリーナがどのように狂ったのかよく理解できた。
それを見て彼女は別段悪びれることなどない。事実を受け入れて、ただ立っている。
「あ、ヴァジムおじさん? でしょ?」
「……ただいま、マリーナ」
「お帰りなさいませ、ヴァジム様」
マリーナは子供のように元気よく尋ねた。視力を失っている彼女は、はっきりとヴァジムだとはわからなかったのだ。
そこには、ヴァジムが恐れていた、かかあ天下たるマリーナはいない。何も知らない無垢な少女が座っている。
ヴァジムは寂しそうに目を細めて、マリーナへ返答をした。
いつも励まして、叱ってくれる彼女はいなくなってしまった。
アリスが何も言わずにたたずんでいると、マリーナはふっと立ち上がった。
「ヴァジムおじさん、その、ひと……」
「マリーナちゃん?」
ふらふらと覚束ない足取り。目が見えないはずなのに、まっすぐとアリスの元へと向かっている。
メイドが止めようとするも、それを振り払いアリスの元へ必死に歩いて行く。その動きは、なにかに縋るようにも見えた。
アリスはマリーナを避けること無く、じっと待っていた。
マリーナはよろけるように、アリスに触れた。両腕をガッシリとつかんで、その体を確かめている。
腕に触れていた手は、徐々に上へと上がっていく。肩、首。そして頬に触れると、優しく指で撫でている。
まるで子供を慈しむような手付きは、はたから見れば異様でしか無い。
「マリーナ……?」
「このひと、この子…………オリヴァー?」
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