久方振りの

 天井には、巨大な穴が出来ていた。それはもう、風通しが良いなんてものじゃない。

 吹き抜けのように生まれたその穴は、青く高い空を美しく見せてくれる。これがもともとあった穴ならばよかったが、たった今アリスの魔術によって生み出されたものだった。

 パラパラと音を立てて、天井の破片が舞い落ちる。それらが貴族達の頭や体に降り掛かっていたが、彼らは払うことすらしなかった。

 今ここで起こった出来事を、処理するので精一杯だったのだ。体裁なんて気にしている場合ではなかった。


「は……?」

「なん……だ、今の……」

「魔術……か……?」

「は、はは……」


 理解できないその強さを見て、絶望以上の感情を抱く。

 これを見てなお、彼女に対して復讐をしようものならば、愚かの二文字では片付けられないほど悲惨なものだ。

 幸運なことに、そんな頭の悪いものはいないようだった。

 もっとも――その頭の悪い男は真っ先に退場させられたのだが。


 しかし復讐心などを抱かずとも、魔術に長けた国である以上、アリスの魔術への疑問が残る。

 詠唱もなしに強大な魔術を扱えば、真実を目の当たりにしたところで信じられないのだ。


「その気になればこの世界ごと滅ぼせるんだ。命があるだけ良いと思わないか? どうして私に抵抗を示す?」

「……」

「Aランクもまともに使えぬ連中が、私に勝てるはずがないだろう」

「……仰る、通りで……」


 葬式のように、部屋一体が静かになった。

 誰もが顔を青くしたり、精神的に参ってしまっている。ブライアンも同じく、苦しそうに顔を歪めていた。

 アリスが嘘や偽りもない真実を述べているのが、もっと彼らには影響していたのだろう。目の前で実践されてしまえば、更に口を挟めるはずがない。


 もともと平民出身だったパブロも、これを目の前で見てしまえばもう言い訳など述べられなかった。

 己の愚行に関してを思い出していた。否、それだけではない。今まであった人生を、思い返していたのだ。

 それはまさに走馬灯と言えるだろう。

 自身の処遇がブライアンに任されたとは言え、アリスに行った行為は許されることではない。一体これから、どうなってしまうのかと震えていた。


「ははうえ」


 そんな空間で声をあげたのは、リーベだった。

 リーベはつまらなそうにアリスを見上げて、何かを訴えるように見つめている。

 アリスの服の袖を小さく掴み、引っ張っては彼女を呼ぶ。そわそわとしている態度は、なにか言いたげなのが明らかだ。


「どうした?」

「ぼくと街を見て回りませんか。たいくつです」

「おー、そっか。いいよ」

「では護衛を! 我が兵士をお使いください!」


 ここぞとばかりに声を張り上げる一人の貴族。それを見れば周りの貴族は「しまった」と表情を作った。

 ここで恩を売っておけば、今後命が危ぶまれることは減る。咄嗟にそう考えたのだ。

 気に入られるために、必死に媚を売っているのである。


 だが、アリスにとっては知らない貴族であり、突然声を上げた変なやつにすぎない。

 突然アリスに寄り添い出した男を、怪訝そうな目でみやり、小さくため息を吐いた。


「要らん。連れていくとしても、ヴァジムで十分だ」

「ですが王たるあなたが、供回りなしとは……!」

「しつこい。君達の兵士よりも、私のほうが強いだろうが」

「……ぐっ」


 今のをみてわからなかったのか、と言わんばかりに彼女は言う。

 戦場に立たなかった貴族も、今この瞬間でアリスの異常さを目の当たりにしていたせいか、反論をしてくる様子はなかった。


「母上、母上」

「どうした?」

「あの、〝かんし〟も、そうです!」

「うん、そうだろうね」


 リーベが嬉々として教えてくれたことに対して、アリスはポンポンと頭を撫でた。

 それを受けてリーベは、嬉しそうに微笑んでいる。愛する母の役に立てた――と。


 貴族の考えは、リーベが読み取ったとおりだ。

 アリスに恩を売ると同時に、監視をつけること。国内で下手に動かれないように。情報を手に入れ、今後の何か役に立てるかもしれないと考えてのことだった。

 この一瞬で思い付けたことに称賛を送りたいが、ヴァジムを連れて行く以上、余計なお世話である。

 ヴァジムを凌ぐような兵士や騎士はいないし、なによりもアリスに抵抗できる国民なんているはずがない。

 唯一存在していた勇者は、彼女によって屠られたのだ。


 アリスは絶対的な拒否を示すため、指を天井へと指した。

 再びあの攻撃をするのではないか、と貴族達が構えている。

そして、これ以上の押し付けを許さないとばかりに、言葉を続ける。


「これができる兵士を寄越してくれるなら、文句は言わない」

「うっ……」


 再び沈黙が降りた。

 こんなことが出来る兵士がいれば、それこそ勇者となっているだろう。

 つまるところ貴族の所有する護衛には、このような大穴を一瞬で生成するような化け物はいないということ。

 それに優秀な騎士や兵士は、あの戦争でほとんどがその命を落としていた。生き残りはアリスによる暴力の支配を受けているため、下手に護衛など引き受けないはずだ。

 黙ってしまったのを確認すると、アリスはにんまりと笑った。


「異論はないな? では私は観光へと行くとしよう。ルーシー、天井を直してやって」

「かしこまりましたぁ! いってらっしゃいませっ」

「全て片付いたら、みんなを持ち場に」

「しょーちしました!」


 アリスはリーベの手を取り、くるりと扉の方へと向かう。

 案内してもらえるのだから、〈転移門〉を作るというのは違っている。彼女は歩いて観光をするつもりだった。

 ついていくリーベもリーベで、つい先程まで誘拐されていた被害者だというのに、アリスに撫でられ手を取られ、ご機嫌が最高潮だった。

 年相応の少年だとわかるくらいに、ニコニコと微笑んでいる。


「さて、行くぞ。ヴァジム。案内してくれ」

「あぁ」

「あっ、だめですっ! 案内は、ぼくがするんですっ!」

「ん~? そうだったね」


 両頬を膨らませて、リーベが怒っていると主張していた。ヴァジムにアリスを取られないよう、腕を引っ張って急いで謁見の間から出ようとしている。

 身長の差もあり、アリスはよたよたと覚束ない足取りで、リーベに引っ張られていった。

 そのまま扉を出て、城を出るためにズンズンと廊下を進んでいく。

 謁見の間に取り残された貴族達は、それを見送ることしかできなかった。


 同じくまだ取り残されていたヴァジムに向けて、一人の貴族が近寄っている。

 彼は先程、護衛をつけると言った貴族だった。


「……英雄殿」

「……分かってますよ」


 貴族の男は、そう小さく呟いた。

 ヴァジムにあの女の監視をしろ、と言う意味だ。流石のヴァジムでも、それくらいは分かった。




「さーて、最初に誰から帰るし?」

「パラケルススだなッ!」

「おけまる~」

「あ、今は魔王城でいいですぞ。負傷兵のケアをしておりますゆえ」

「りょ!」


 ルーシーは片手間で天井の修復をしつつ、幹部の送迎を行っている。

 現在は幹部も様々な場所で仕事をしているため、その優先順位を決めているのだ。

 最近はパラケルススも魔王城に常駐しており、大抵が魔王城に戻るのだが、それでも魔王城は広い。現在でも拡張を続けられているため、同じ場所に門を開くことが出来ないのだ。


「その次はハインツじゃないかしら?」

「むッ!? 私か!?」

「墓地の建設作業があるでしょう」

「私がおらずとも進行しているぞ!!」


 パラケルススが〈転移門〉の中に消えていくのを見ると、エンプティがそう言った。

 現在は急ぎで進行している作業はない。あるとすれば、先の戦争の後片付けのようなものだ。

 アリスが「きちんと弔うように」と言った手前、魔王城近郊に墓地を設置しているのだ。

 これは一応、軍の指揮官であったハインツが監督をしている。軍が優秀だったのか、ハインツが特にいなくても工事は無事に進んでいるのだ。


「貴方を慕っているのだから、いてあげた方がいいんじゃないの」

「そういうものかッッ! では私が先に帰ろう!」

「おけー」


 ルーシーはハインツの指揮している工事現場への〈転移門〉を開いた。

 ハインツが「先に失礼する!」などと大声で言っていたが、半ば押し込むようにして門を閉じた。

 暑苦しいのが嫌いなルーシーとしては、真っ先に送り返したい人物だったに違いない。


「エンプティは?」

「エキドナが城に戻るのを待ってから行くわ。また呼ぶから、貴女は戻っていいわよ」

「おけー。よろ!」

「ええ」

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