灯台下暗し
場の空気は最悪だった。
アリスが子供を発見していると聞いてから、貴族達は何もやることがなくなってしまった。ただただ門番の報告を待つだけ。
唯一していたことがあるというならば、自身の胃を痛めていたことぐらいだろう。
普段は上から言うだけの立場だったが、こうして下につくものになってやっとわかった。どれだけ部下達がストレスを受けていたかを。
かといって今までやって来た態度が変わることではないが、それでも一瞬だけでも、部下に同情が送れたのは確かである。
シンと静まり返っていた謁見の間に、パタパタと走る音が聞こえる。
その音を誰もが聞き逃さなかった。
通夜のような雰囲気だとは知らない兵士は、部屋に入った瞬間動揺を見せている。
「え!? あっ、ぶ、……ブライアン様、その、来客が……」
「通せ……」
誰が来たかなんて確認しなくてもよかった。
むしろここで「誰だ?」などと聞いてしまえば、頭に血がのぼりやすい幹部達の目の前で、アリスの言葉を信用しないことになる。
兵士はすぐさま来客を連れてきた。
幼い子供が一人、それに連れ添った少女が一人。そして、少女に引き連れられて怯えた貴族が二人。
アリスの養子であるリーベに、ベル・フェゴール。犯人の貴族だった。
「ははうえ!」
リーベはアリスを見つけると、太陽のようにその表情を輝かせた。ベルの元を離れ、走ってアリスの元へと駆けていく。
アリスはずっと座っていた羽衣から降りると、リーベを迎え入れるように手を広げた。
か細い小さな体をギュっと包み込んでやると、腕の中でリーベが喜ぶ声がした。
「えへへっ」
「よしよし。ごめんね、怖い思いをさせたね」
「ぜんぜんこわくありません! だって、ずっとベルがいたんでしょう? 母上がぼくを見守ってくれたってことですよ!」
「……そうだね」
とりあえず謝罪を述べたアリスだったが、リーベの言葉を聞いて目を丸くした。
なにか怒りでも返ってくるだろうと、不安でも零すのだろうと思っていた。彼はおかしくなってしまったとはいえ、まだまだ十歳の小さな子供だ。
それにアリスが彼を疑っていたということもある。愛する人物に信用されていなかったということは、深い傷を負ってもおかしくない。
アリスがベルを見やると、ベルは肩をすくめて誤魔化した。
演技などではなく、ずっとこの調子だったのだ。
アリスの想像以上に、彼の思考は魔族に近いものなのかもしれないな……と考えさせられた。
「あっ! あの貴族なんですけど、ぼくをゆうかいして、見つけたフリをするつもりだったみたいなんですっ」
「ほーう」
アリスはジトリと視線を、エルマー達へ向けた。
状況を理解していないエルマー達だったが、流石に魔王からの視線が刺されば恐怖に怯えている。ガタガタと体を震わせて、なにか言いたげに口を動かしている。
アリスは誘拐犯の主張など聞いてやるわけもなく、ただただリーベを優しく撫でていた。
貴族達は犯人を見れば、ザワザワと話し出している。
落ちぶれた貴族とは言え、エルマー・ムノーの顔はまだ知っているものもいた。
パブロとは違って、代々受け継いできた爵位だ。親の代から繋がりがある貴族も、存在するのだ。
「な、なんて愚かな……」
「属国の意味を理解しているのか?」
「あやつ、ムノー子爵では?」
「父君の代はまともでしたが、落ちぶれたものですな……」
貴族達がその声を大きくしていけば、エルマーは明らかに震え始めた。恐れや怯えなどではない。怒りだ。
彼の膨大なプライドが傷ついていたのだ。
何度でもつきまとう、前代の影。
「そ……そいつがいけないのだァアッ! 私は返り咲けるはずだった! そのガキ、が――」
エルマーが言い終える前に、それは起こった。
ジュっと音を立てて、彼の上半身が突如として消えた。その場に残っていたのは、エルマーの下半身だけ。
力を失った体は、グラグラとバランスを崩して、床へと倒れ込む。大量の血液がその場に飛び散ったが、一瞬で起こったことを理解しきれていない人々は、それすら気にできなかった。
エルマー・ムノーの上半身は、何者かによって溶かされていた。
幹部の中で唯一動いた女。エルマーに向けて上品に指をさしていた。彼女の周囲に浮いているボールは、スキルで生み出した特殊な酸の液体。
そしてそれはもちろん、エンプティだった。
〈
事実、現在エルマーを殺害したのは、その中の一つだ。
「愚かな低能。謝罪ならばまだしも、まだ力を得られると勘違いするだなんて」
「ヒッ! わ、私は違います! 彼に言われて――」
「うそです。彼がていあんをしたんです」
「なっ、何を言って! でたらめだ!」
目の前でエルマーを殺害されたのを認識したパブロは、必死に己の潔白を証明しようとした。
だがここにいるのは、人の心を読める少年。リーベの前では嘘は通用しない。
パブロはその事をしるはずもないので、自分が正しいと言い張ろうとしている。
幹部の誰もがリーベの能力を把握しているため、パブロの虚偽発言は冷ややかな目で見られていた。
「リーベの左目は真実を見る魔眼だ。嘘をつくと同じ目に合うぞ」
「……ッ!」
まだ抗議を続けようとするパブロに対して、アリスは諭すように話した。
これ以上続けるようならば、またエンプティの酸が飛びかねない。アリスとしては別に死んだところで、損にも得にもならないのだが、一応子供のいる手前で虐殺を続けるのはよろしくない。
しかしあんな計画を提案しただけあって、パブロはまだ納得していない様子だった。
どうにかして己の潔白を証明――こじつけて、何の罪もないように振る舞いたかった。
「……アリス魔王陛下」
そんな中で声を上げたのは、ブライアンだった。エキドナと隷属契約を結んだ、騎士団を率いるヨース一家の一人。
エキドナの直属の部下であるということで、権力は王に次いで強い。
もともとパルドウィンの所有する有力な魔術師一家であることもあり、ブライアンの声は広く貴族に浸透するのだ。
アリスもそれを知っているからか、彼の声に耳を傾けた。
アリスが話を聞いてくれると分かれば、ブライアンは静かに言葉を続ける。
「どうかこの男の処遇は、我々に任せて頂けませんか」
「ん?」
チラリとパブロを見れば、微かに震えている。言い訳を連ねたのも、生きようと必死だったから。
それだけではない。王も、貴族も誰もが震えて、怯えていた。
謁見の間は、一瞬で殺されたエルマーの血液で真っ赤に染まっており、圧倒的な力の差を見せつけている。
誰もアリスに逆らうなんてことを、するはずがない。
シンと静まり返っていたのは、悲惨さと絶望に言葉が出なかったからだった。
「……まぁいい、分かった」
「アリス様!? 契約を結んだとはいえ、何故こんな人間風情に任せるのですか!」
「まぁまぁ。これを機に分かってくれれば、それでいいから」
「……陛下の寛大なお心遣い、感謝いたします」
ブライアンを始めとする、隷属契約を結んだ者達が、反旗を翻すことなどないのは分かっている。
魔術に長けたパルドウィン王国であれば、いずれ叶うかもしれない。だが今すぐではない。
パルドウィンにはエキドナが常駐しているし、アリスも何度か訪れている。一度見た場所であれば、〈転移門〉はすぐに開けるのだ。
もしも何かがあった場合、対処には困らない。
それはエキドナと戦った者達――ヴァジムが良くわかっているだろう。
英雄と呼ばれたヴァジムの剣技が一度も通らなかった。国でも指折りの大魔術師である妻のマリーナが、全く歯が立たなかった。
子供でもあやすかのように扱われ、最後は殺されるどころか慈悲を見せられた。
長年、武力でその座を築いてきた彼にとっては、屈辱であり絶望である。勝てないという確実な意思を持たせるには十分だった。
とはいえ、それで幹部が納得するわけではない。
「まぁでも、今ここに集まってる貴族が、反旗を翻すか分からんな」
ジっと貴族を見つめる。
その心に復讐心が根付かぬように、ここで何かしらのアクションを起こさなければならなかった。
仕方ない、というようにアリスは声を出す。
「ブライアン」
「……はい」
「ここは城の最上階だったかな?」
「……? えぇ、そうですが」
「よかった」
アリスは人差し指を、天井へと向けた。
誰もがその後のことを、予測できない。唯一わかったのは、ハインツくらいだろう。
アリスは置いていかれた面々を気にせず、一言だけ呟いた。
「どん」
彼女は笑顔のまま、そう言った。
指先からまるでレーザーのような、激しく高速な攻撃が繰り出される。その光のようにも見えた攻撃は、一瞬で天井に大穴を開けた。
天井に穴を開けた魔術は、そのまま空の彼方へと突き抜けて、キラリと消えていく。
アベスカに初めて足を踏み入れて、城に乗り込んだときにも行った魔術だった。
詠唱がなければ、初動も大きく見られない。指を向けて呟いただけだ。
それなのに、発動した魔術は頑丈な城を破壊して、巨大な穴を生み出したのだった。
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