困りごと

 騎士団駐屯地前――

 プロスペロ・メチェナーテは、一人そこに立っていた。

 彼は酷く緊張していた。心臓が破裂するほどドキドキと鳴っていて、耳まで届くほど。

 ここ暫くは、適度に働いて適度に遊ぶという生活をしていたが故に、こういった事態を忘れていた。

 過去には盗賊をしていたこともあったのに、パルドウィンで〝出張〟をしてからは平穏な日々が続いており、忘れていたのだ。

 自分が、あの魔王に仕えているものであるということを。


 プロスペロは、スーハーと何度も大きく深呼吸をした。

 彼は普通の人間だ。緊張もすれば、覚悟を決めるにも時間がかかる。

 それでも、主人に約束した以上――主人が自分を殺さないと約束してくれた以上、それに応えねばならない。

 手足も恐怖でぶるぶると震えていたが、プロスペロは思い切って一歩を踏み出した。


「い、いく、ぞー……」


 ギクシャクと動く両手両足は、腕も足も同じ方が動いている。

 緊張した面持ちのまま、扉を開けて中に入れば、数名の騎士がジロリとプロスペロを睨みつける。

 現在はリーベの誘拐で、どこもかしこも気が張り詰めている。そのせいか通常の来訪は、あまり歓迎していないのだ。

 彼らはプロスペロが魔王とつながっていると知らないため、同じような対応になる。


「ひぃっ……!」

「どうした。今は忙しいんだよ、用事がないなら――」

「あ、あのっ……、魔王の件……その……」

「!!」


 プロスペロが怯えながらそういえば、訝しげにしていた騎士の表情が一転する。まるで一筋の光を見出したかのように、輝き始めるのだ。

 あの、国を征服した魔王の仲間だなんて申告する人間はいない。悪戯をするような若者も、そのほとんどが戦争にて命を落としている。

 本当に狡賢い非道な国民は、戦争にさえ参加しなかったが――そんな人間が、自分を危険に晒してまで悪戯を仕掛けるはずもなく。


「お前、魔王陛下と繋がっているのか!? 知り合いなのか!?」

「ひぃっ、はいっ! そうですぅ!!」


 騎士はこのチャンスを逃すまいと、プロスペロの胸ぐらを掴む。藁にもすがる思いだった。

 こんな気弱な男が、魔王に仕えているだなんて到底思えなかったが、それでもすがりたかった。

 上層部が驚くぐらいに死にそうな顔で、捜索を急かしているのだ。いつもならば余裕綽々で命令を下すのに、まるで明日にでも死ぬかのような表情をする。

 戦後でピリピリとしたムードの漂う騎士団は、そういった感情の起伏に敏感だった。命のやり取りを目の当たりにしているから、当然とも言えた。



 プロスペロは、騎士団に連れられ――というより、捕獲だ。捕獲されたプロスペロは、あれよあれよといううちに、王城へと輸送された。

 彼に抵抗する術などない。魔王からの命令で、騎士団に出向いていることもあって、なされるがままだ。


「ひぃ……」


 城に辿り着き、謁見の間に投げ出される。

 そこにはブライアンなどの貴族を始めとする重鎮、有力な魔術師、国王、そしてヴァジムが立っていた。

 誰もがその表情を重たくさせており、プロスペロの言うことが真実であると願っていた。

 プロスペロも同様に、普段は受けることのないストレスを受けて、胃をキリキリと痛めている。彼がアリスに言った通り、上の人間がアリスでなければ逃げていたのだ。


「……」

「……」

「……本当なのか」


 声を出したのは、ヴァジムだった。彼らしくないか細い声だった。

 犯人の捜索は続いているものの、いい報告は得られていない。時間が経てば経つほど、リーベは危険に晒される。

 それを考えれば恐ろしかった。

 その恐ろしさは、孫が危険になることなのか。それとも国が危険になるからなのか。もはやヴァジムにはわからない。


 ヴァジムが尋ねると、プロスペロは怯えつつもハッキリと返答する。

 アリスの言う、殺さない、という約束は彼にとって強い支えになっているのだ。

 プロスペロは何度も、目の前でアリスとその部下の凄さを見てきた。だからアリスの言葉は、信用に足りる。


「うっ、嘘じゃありません!」

「では連絡を取ってみろ」

「うぅ、はい……」


 プロスペロは、アリスから貰っていた分厚い本を取り出す。通信魔術の付与された本だ。実用性も兼ねているこの本は、暇なときに読んだりできる優れものだ。

 彼は手をかざして、通信魔術を使うイメージを練る。

 この本は、彼が「魔術を使用したい」と願わなければ扱えない。プロスペロ仕様の魔術アイテムであった。

 プロスペロが念じると、本はキラキラと輝きだして通信魔術を発動した。


『はいよ~ん』

「あの、その……あ、アリス様、リーベ様が、誘拐されまして、えぇっと……」

『うんうん』

「偉い人が……アリス様を呼んでまして」

『ほいほい、じゃあ行くよ』


 アリスがそう告げてすぐ、通信魔術が切れた。

 それと同時に、謁見の間に尋常ではないほどの重圧がのしかかった。

 この部屋にはアリスの〈転移門〉は生成されていなかったが、部屋中――城中にその圧がかかっていた。

 これはあえてアリスが、威圧をかけているからだ。己の存在を知らしめるため、己の強大さを理解させるために。

 魔術も剣術も秀でていない貴族や、使用人ですらも、それは痛感できた。力のない弱きものは普通に立つことすら困難で、膝をついたり倒れたりしている。

 ヴァジムやブライアンは立っていられたものの、感じたことのない威圧感を受けて酷く動揺していた。


 ギィ、と謁見の間の扉が開く。

 後ろに微かに消えゆく門が見えて、門を知る人間は廊下に〈転移門〉を作り出したのだと察する。

 扉が完全に開かれて、中に入ってきたのはまずハインツとエンプティだった。どちらも怒りを含んだ表情は見せておらず、微かに笑みを浮かべている。

 それに続いて、パラケルスス、ルーシー、ユータリスと幹部が入ってくる。

 更にはあの前代魔王であるヴァルデマルまでもが入室してきた。彼を知る者達は、ヴァルデマルを見るなり驚愕していた。


「悔しいけれど、連れてきて正解ね」

「……申し訳ございません、エンプティ様」

「いいのよ。私達はまだ知られていないし」

「そうだなッッ!」


 ヴァルデマルに反応を見せていた人間を見ると、エンプティが呟いた。彼女の言う通り、実際にこうして幹部たちが姿を現すのは初めてのこと。

 エキドナがこの土地を支配しているため、エキドナの姿は見たことがあるだろう。

だが幹部の面々はまだ知らない。存在は聞かされているだろうが、実際に会ったことはないのだ。

 ひと目で力の強さを見せ付けるように、前代の魔王を連れてきたのだ。魔王をしていたヴァルデマルを配下に入れたと知れば、パルドウィンの人間だって分かるはずだと。


 それは効果があったようで、一同はざわつき始めている。

 昔のヴァルデマルならば誇っていた場面だろうが、アリス達の前でそんな事できるはずがない。

 エンプティの不機嫌を得て、他の幹部も苛立ちを覚えるだろう。己の命を優先してきたヴァルデマルが、そんな馬鹿はやらないのだ。


 雑談をしている幹部をよそに、アリスが声を上げた。

 幹部達はアリスの声に耳を傾けはじめ、パルドウィンの面々は怪訝そうな目で彼女を見つめている。


「やぁやぁ、国王並びにヨース夫妻。お元気かな」

「……お気遣いありがとうございます」

「それで、リーベはどこ?」

「そ、それが……まだ」

「まだ?」


 謁見の間をキョロキョロと見渡す。

 確かに言い淀むだけあって、この場所にリーベはいない。近くに気配すら無く、本当にまだ見つけられていないのだと分かった。

 この場は謝罪を述べるため、現状を伝えるために設けたのだとすぐに理解した。

 ばつが悪そうにしているブライアンを一瞥すると、アリスは小さく息を吐いた。これ以上いじめてやるのは、少々可哀想だと思った彼女は、ベルへと通信を投げる。

 現在、リーベの場所を一番把握しているのは、ベル・フェゴールだからだ。


「あー、ベル」

『はい』

「そっちは何してるの? 早く連れてきて。犯人もいるなら一緒に」

『暫くお待ち下さい。もう城に入るところです』

「おっけー」


 アリスが突然一人で喋りだせば、人々は困惑している。

 魔王軍幹部ならば当たり前のように使える通信魔術だが、これらは人間からすればありえないことなのだ。

 あの勇者の仲間のマイラ・コンテスティも、通信魔術を扱えたが――現在、アリスが使ってみせたように素早く通信はできなかった。

 発動から相手に通達するまでの時間が、異常なほど必要なのだ。

 それに通信魔術は、勇者パーティー最弱とも言えるマイラがやっと使えるほど。普通の魔術師などは、到底辿り着けない高みにあるものだ。

 ゆえに、この場に居たパルドウィンの人間は、それらを見て困惑せざるを得なかった。


「何を……?」

「部下と通信魔術を」


 アリスの適当な説明は、理解を得られなかった。

 説明が雑だったからということもあるが、人類では到底想像もし得ない偉業を、簡単に成し遂げてしまっていた。理解の領域を超えていたのだ。


 彼女は羽織っていた黒い羽衣を、無造作に空中へ投げた。アリスの腰辺りで羽衣がとどまると、彼女はそこへと座りこむ。

 本来であればパルドウィンの国王が椅子を明け渡すべきなのだが、そういった対応がないため、羽衣で急ぎの椅子を作ったのだ。

 アリスがそんな人間に配慮することなどなく、自分のペースで会話を続ける。


「ハッキリ言えば、リーベの誘拐の件は知っていた。私の部下を常に付けていたからな」

「なっ……嘘だ! 俺も一緒にいたからわかる、誰もいな――」

「黙っていろ、ヴァジム・ラストルグエフ。君程度のレベルで、私の部下を感知できる訳がない」

「チッ……」


 アリスの有する幹部は、そのほとんどがレベル200だ。それに対して、英雄であるヴァジムは190である。

 もちろん、一般市民や普通の騎士、兵士から考えれば、ヴァジムのレベルは人ではなし得ない高みとも言える。

 だがそれは人で考えれば、という話だ。

 アリスの幹部達は人ならざるものであり、この世の頂点を超越した存在。たかが英雄程度で、ベルの隠密を感知できるはずがないのだ。


 ヴァジムもそれを分かっていたのか、改めて理解させられたのか。

 強く反論することもなく、舌打ちだけ残して下がっていく。


「もうすぐ城に到着するらしいぞ。犯人も連れているそうだ」

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