白馬の……?

 意識が浮上し、リーベは目を覚ます。ぼんやりとした視界の中、見えた場所に覚えはない。

 ズキリと頭が痛み、気を失うまでに嗅がされた薬品を思い出した。薬学までは手を出していないので、特定はできないが――子供の体が悲鳴を上げているのは確かだ。


(こ、ここは……)


 キョロキョロと周りを見渡す。やはり見たことは無い。

 リーベは殺風景な部屋にひとりで放置されていた。ベッドなどなく、眠っていたのは二人がけの大きなソファ。さほど高そうでもなく、座り心地も悪い。当然、寝心地も。

 広さこそある立派な部屋だったが、家具という家具が少ないように感じた。

 リーベはとりあえずソファから降り、様子を確認することにした。


 ポーチには様々なものを収納していたので、いざとなれば逃げる手立てになる。そう思って手を伸ばせば、そこにはポーチがない。

 付随していた護身用の、術が付与されたぬいぐるみもなく、所持品全て奪われていたのだ。


(まずい……)


 リーベは魔術が使えない。

 魔力を主食として生きているリーベにとって、魔力を消費する行為は、彼にとって自殺行為に等しいのだ。

 かと言って、武器を持って戦える訳では無い。

 両親からのギフトによるステータスのバフはあるものの、それらを十分に使える訳では無い。少し頭のいいだけの、ただの人間の子供に過ぎないのだ。


「だっしゅつ、しなくちゃ」


 リーベは真っ先に扉へ向かった。この部屋に唯一取り付けてあるドアだ。

 ガチャガチャと回してみるが、開く気配はない。その感覚からして、外から施錠されているのだと分かる。

 大人であれば体当たりなどで開けられるだろうが、力も体格も、普通の子供だ。開けられるはずがない。


 仕方なくリーベは、窓の方へと走った。

 カーテンを開ければ、光が差し込む――のではなく、目の前には板が現れた。

 ガラスなど見えるはずもなく、窓はキッチリと板で塞がれている。板は新しいもので、最近塞がれたのだと推測できた。

 はめ込んでいる釘類は乱雑で、作業の慣れていない人間が打ち込んだ様子が見て取れる。なにか道具があれば、リーベだろうと外せるかもしれない。

 だが殺風景な部屋には、道具どころか家具すら満足にない。


(……まるで仕組まれていたみたい。港でヴァジムを見たときは、そんな思考はなかった――いいや、ぼくの魔術は全部よみとれるわけじゃない)


 リーベの瞳には、あの中に居た面々にそういった計画を練っていた者達はいなかった。

 一部の思考しか読み取れないのに、自分の瞳の能力を過信していたこともあった。アリスの土地になったとはいえ、まだまだ他所の国であることの自覚が足りなかったのだ。

 リーベを一人にしたヴァジムのせいでもあるが、もう今となっては何もかもが遅すぎる。


 リーベが部屋から脱出を試みていれば、入り口のドアが解錠される音が響く。カチャリと心地の良い音がして、扉は開いた。

 入ってきたのは、エルマー・ムノー子爵だった。


「!」

「おや、もう起きたのか」


 エルマーはリーベが起きていることに驚いていた。彼がこちらにやってきたのは、物音が聞こえたからである。

 金のないエルマーは、まともに使用人すら雇えない。そのためこの屋敷には、不審な物音を確認する使用人さえいないのだが、今はそんな事どうでもいい話である。


 そしてそんなエルマーが現れたことにより、リーベの中にあった疑問や不安は全て解消された。

 リーベの魔眼には、エルマーの頭の中がはっきりと映し出されていたのだ。

 瞳には、【興奮】【計画】。その二つが見えていた。

 確かに眼前のエルマーは、ソワソワしていて落ち着きがない。リーベが今まで会ってきた貴族や偉い人間は、もっと余裕があったり威張っていたりしているものだ。

 だがこのエルマーは、どれにも当てはまらない。


 どちらかと言えば、アベスカで金に困っている男達に似ているのだ。

 ゆえにリーベは、この誘拐が彼らに有益をもたらすものとして考えられているのでは、と思案する。


「……ぼくをさらって、どうするつもりですか」

「な……何を言っているのかね? 私は君を見つけた側なのだがね」

「……」


 リーベが尋ねれば、エルマーの心は揺れる。魔眼には【動揺】【図星】と、分かりやすく表示されていた。

 エルマーは誤魔化すようにソファへと腰掛けた。ふてぶてしい態度でどかりと座り込む。

 偉そうに見せたいがゆえにした行為だったが、リーベには彼の心の中が読めている。エルマーがどんな態度を取ろうが、もはや遅いのだ。


「安心したまえ。私が無事に、家族の元へと送り届けてやろう」

「いえ、ごしんぱいには及びません」

「……ごほん。君は丁重に扱われるし、待っている間は退屈なんてさせない。豪勢なおやつもあるぞ? 心配するな」

「しんぴょうせいに欠けますね。この部屋以外がごうかなら、そのお話はしんじますけど」

「ぐっ……」


 リーベが思ったことをそのまま話せば、エルマーはどんどん墓穴を掘っていく。

 ただの子供ならばもっとやりやすかっただろう。エルマーであっても、言いくるめてこちらの良いように扱えただろう。

 だが相手が悪かった。

 十分な教育と、その計り知れない向上心を持ったリーベ。下手すれば、その辺にいる大人よりも賢いかもしれない。

 それに彼は普段から、もっと恐ろしいものを目の当たりにしている。

 拉致されて、こんなところに閉じ込められた程度では怯えもしない。本当に恐ろしいこととはなにか、というのを間近で見聞きしているのだ。


 恐れを知らないリーベは、目の前のエルマーを問い詰めていく。


「あなたはいったい、何をされたいのですか? 〝ぞっこく〟となったパルドウィンの人間が、ぼくをゆうかいするだなんて、死にたいのとおなじではありませんか?」

「だから……っ、誘拐ではない!」

「はぁ……おろかなにんげんですね……」

「チッ……」


 エルマーがリーベに対して「いけ好かないガキだ」と思い、舌打ちをした時だった。

 リーベがグラリと傾いて、そのまま床へ倒れ込んだ。

 まさかの出来事に、エルマーは驚いて立ち上がる。今の今までなんとも無く、皮肉に揚げ足、説教をたれていた少年。それが突如倒れたのだ。


「!?」

「ぁ゛、が……ぅぐ……」

「なっ、なんだ!? 演技ならばやめるんだ!」


 リーベには、〝空腹〟という名の苦痛が襲っていた。

 腹をすかせる程度であれば、多少は耐えられるだろう。だがリーベは〈暴食ブリーミア〉の影響で、空腹値――つまり魔力が尽きると、その次に体力値を蝕んでいく。

 そしてこのスキル〈暴食ブリーミア〉は、魔力の供給を得なければ、最終的には体力値を吸い付くし――本人を死に至らしめるのだ。


「ぐ……、ぇ、く、は――ぼく……は、どれくらい……眠って」

「は!? 一日は経ってないはず……」

「ぁぐ……ッ」


 半日も経過すれば、成人であろうと空腹を感じる。

 一日こそ経っていないものの、幼い子供にとっては腹をすかせるには十分な時間だった。

 リーベは久々に訪れた苦痛に苦しみながら、床で体を丸めてその痛みに耐えようとしている。

 十歳程度の幼い子供が耐えられるほど、優しい痛みではない。命を削るスキルは、確実にリーベを苦しめていた。


「ぁ……ぐ、うぅう……い、いだい、うっぁ」


 ――しかしその場所に、突然誰かが現れた。

 この場所には、リーベとエルマーだけのはず。だがエルマーの視界には、リーベに寄り添う漆黒の衣服を纏った少女がいた。

 顔を覆う黒髪、レースのあしらわれたワンピースのような服。女性用のドレスには興味がないエルマーにとって、流行りの服なのかなんてわからない。

 これがこの世界の衣装なのかすらも。


 少女――ベルは、リーベのもとへひざまずくと、そっと己の手を差し出した。


「リーベ坊ちゃま、とりあえずあたしの魔力を」

「べ……る……?」

「はい。アリス様の部下、ベル・フェゴールです」


 ベルの唯一見えている顔の部分。口元がふっと弧を描く。ベルが笑っているのだと分かると、リーベはなんだか安心を覚えた。

 朦朧とした意識の中で、リーベは必死に手を伸ばした。彼女の手を取って、そっと口をつける。

 愛するアリスの魔力だけを得ていたいが、今はそう言っていられない。真夏の日に水を飲むかのように、ベルの魔力を吸い取っていく。


 ある程度体内に取り込めば、痛みも消えて意識もハッキリとしてくる。

 ベルは人間よりは魔力があるとはいえ、アリスやルーシーには劣る。あまり飲みすぎてしまうと、今度は彼女が魔力を枯渇する羽目になる。


「んぐ、ふぅ……あり、がとう……」

「いーえ」


 リーベが手を離したのを確認すると、ベルは魔術空間に手を入れて、ポーションを取り出す。

 彼女は自身で魔力を回復させる能力はないため、こうしてアイテムを頼ることになるのだ。

 一つ丸々飲み干すと、空になった容器を魔術空間に投げ入れた。


「……な、なっ、なんだ! 貴様!」

「トマス」


 やっと口を挟んだエルマーだったが、ベルの補助をしている蛾のひとつ、トマスによってそれも阻まれる。

 炎と闇の攻撃魔術を得意とするトマスは、間髪入れずにエルマーに向けて炎を放った。

 メラメラと殺意を持った炎が、無慈悲にエルマーの全身を焼き尽くしていく。


「ハリス、治癒を」


 今度は黄色の蛾が現れて、エルマーに治癒を施した。死の淵に立っていたエルマーは、一瞬で元の姿へと戻った。

 何をされたのか理解できなかったが、この目の前の女が、人間の命を簡単に〝操れる〟のは確かだと分かった。


「黙ってあたしに従え。国に自首するのだ、低能人間種が。アリス様を呼び、会議を開かせろ。わかったか?」

「わかっ、わがりまじだ、だからやめて! うぅう……」


 エルマーは飛び出すように部屋を出た。

 外から鍵をかけるだなんてこともせず、というか部屋の扉を閉めることすらしなかった。

 ベルはそんなエルマーを追うことはない。部屋から出ることもなく、ただ出ていくエルマーを見送るだけだ。


 ベルは横に立っているリーベを一瞥し、この部屋における数少ない家具のひとつであるソファに座ることを促した。


「坊ちゃま。お疲れでしょうから、お座りください」

「……ありがとう。――その、ベルは……ずっと監視していたのですか?」

「そーです。アリス様に命令されて、危険になるまで見張っているようにと」

「…………そうですか」


 ベルは比較的、エンプティに近い思考を持つ幹部だ。人に対して無慈悲な考えを持っている。

 だがそれでもアリスの設定した〝女オタク〟という性格は、彼女を思慮深くさせる。

 人間は底辺の生き物で、ゴミと同等であり――彼女にとっては食べ物だ。

 けれど、その人間の感情を考えられないわけではない。

 むしろ感情たましいを食べるユータリスが現れたことで、ベルの中で人間の感情という存在は大きなものになった。


 そんなわけで、今ベルは「きっとリーベ坊ちゃまは、悲観されている」と考えていた。

 母親と慕っている存在に、こんな扱いを受ければ。幼い子供はきっと悲しむだろうと。だから必死に、彼女は慰めの言葉を探していた。


「母上は優しいなぁ!」

「えぇ、そうです――ん?」

「ぼくを死なないように、こうしてケアまで用意していた。すばらしいおかただよね!」

「あ、はい。ソウデスネ。……あれぇ?」


 リーベはキラキラと瞳を輝かせた。

 ベルの予想を外れ、リーベは嘆くどころかむしろ、感嘆しているではないか。

 もはやそれは、アリスによる悪影響。いや、いい影響だ。リーベは生物的や種族的には、人間に分類される。

 しかし彼の中身は、もう戻れないほど変わってしまっていた。


 もしも今回、エルマー達が作戦を組まないでいたら。もしもパルドウィンが国を挙げて、リーベを利用しようとしていたら。

 それこそ無意味なことだっただろう。リーベは心変わりなど考えられないくらい、アリスに心酔していたのだ。

 どこから間違っていたかと問われれば、一体どこまで遡るべきか。今ではもう、わからない。


「あぁ、はやく母上とごうりゅうしたいなぁ!」

「タノシミデスネ~」

「うんっ!」


 リーベの弾ける笑顔が、ベルにはどうも、酷く眩しく見えたのだった。

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