愚鈍なものたち

(クソ、どうでもいい話ばかり続けやがって……)


 ヴァジムが騎士のもとから逃げ出して、書店へと戻ってくる。適当に選んだ場所だったが、子供向けの多い本屋だった。

 リーベにとっては理想だと、ヴァジムには思えた。

 オリヴァーは幼い頃から聡明で、こういった場所に興味を示さなかった。どちらかといえば読み物よりも実践派で、剣を持っては森にこもったりして、よくマリーナに叱られたのを覚えている。


 オリヴァーはまだ学院を卒業する前の学生で、ヴァジムにとっては子供だった。

 リーベと同じ十歳も、ほんの数年前の記憶。

 まさかこの短いあいだに、息子に恋人ができて、子供が生まれて、孫を見るなんて思わなかった。……想像とは、思い切り違っていたが。

 理想の孫とはかけ離れている、異質な少年。

 本来であれば、まだ生後数ヶ月といったところだが、アリスの手によって無理矢理成長させられた。愛を込めて育てるという数年間を、神にも等しい力により、一瞬で済ませてしまった。


(人の心、なんてあるはずがない)


 ヴァジムは店内を見回りながら、そう考える。

 慈悲もなく、勇者を殺した。王国軍も絶望的なダメージを負った。

 もはやパルドウィン王国には、あの女に対して抵抗する力など残されていなかった。ただこれから、命を――生きることを感謝して、毎日を過ごしていくだけ。

 残された人間は、それを噛み締めなければならない。


「……ん?」


 彼はぐるり、と店内を一周していた。

 本屋だけあって棚が多く、影や死角となっている部分も多い。だからリーベを発見できないのだと思った。

 しかしそれでも、歩幅は違う。それにリーベは意図的に隠れるような子供ではない。

 来国した際も堂々としており、多数の貴族を相手にして怯えることすらなかった。


「まさか……」


 嫌な予感がヴァジムによぎる。足早にもう一度店内を見て回れば、違和感を感じ取った。

 試し読みが出来る読書スペース。乱雑に投げられた本達は、どこか不自然だ。

 子供向けが多くある店舗だからこそ、店内は少し散らかっていても頷けるだろうが――ヴァジムはどうしてだか胸騒ぎがした。

 冒険者の頃から培っている感覚が、〝何か悪いことが起こった〟と告げているのだ。


 それに何と言っても、勝手にどこかに行く子でもない。大人顔負けに会話をするし、報告もきちんと行う。

 更に言うならば、勝手な行動は少年の敬愛するアリスに対して、迷惑がかかる行為だ。あれだけ「母上、母上」と慕っている少年が、忽然といなくなるだろうか。


「……おい」

「は、はいっ」


 ヴァジムは店員を呼び止める。

 店員らしき青年は、ヴァジムを見るとビクリと震えた。

 ヴァジムほどの人物となれば、国中にその存在が知れ渡っている。もし万が一知らずとも、彼ほどの体躯の良い男に凄まれれば、恐ろしくなるのも当然だろう。

 何と言ってもその形相は、まるで鬼のように恐ろしいものだった。


「この店は、こんな風に荒れているのか」

「い、いえ! 定期的に店内を巡回して、乱れているところは整理しています……その、店主が厳しいものですから」


 子供好きで児童書を扱う書店を経営しているものの、躾やマナーに関してはしっかりと弁えているそうだった。

 分別のある子供を育てるために、そういった考えに至ったそうだ。

 その考えこそ称賛するべきものだったが、今は店主を褒めている場合ではない。国を治めることになった重要人物の子供が、連れさらわれたのだ。


「そういえばさっき、一人男の子がいましたね。礼儀が正しくていい子で……あれ、散らかって……?」

「……チッ。子供が戻った際のために、暫くこの店は監視員を置く」

「え!? はっ、はい……」

「気を引き締めるように。些細な事でも報告を忘れるな」

「わ、分かっております!」


 ヴァジムはそう告げると、一緒に来ていた騎士を連れて、急ぎ足で書店を後にした。

 誘拐されたとなれば、早く解決しなければならない。時間が経過すればするほど、誘拐された立場の存在が危険にさらされる。

 だがヴァジム一人では捜索出来る範囲ではない。ここは田舎町でもないし、パルドウィン王国の首都だ。

 子供一人を探し出すことが、どれだけ難しいことか。



 書店から飛び出たヴァジムは、衛兵達が詰めている駐屯地へと駆け込んだ。

 あのヴァジム・ラストルグエフがやって来れば、駐屯地は大騒ぎだ。憧れや、戦争に負けたことに対する非難、様々な感情がヴァジムに向けられた。

 しかし今はそれどころではない。


「急ぎ、隊を編成してくれ! 魔王陛下の大切な方が、誘拐された疑いがある」

「え!?」

「……でも、魔王の手下でしょ? そんなの……」

「馬鹿がッ!」

「ひっ!?」


 ヴァジムは感情を抑えきれず、駐屯地の壁を激しく蹴った。その力は圧倒的で、施設全体がグラグラと揺れる。

 その力強さは、現在のヴァジムの焦りをよく表していた。

 ヴァジムとて少し前ならば、この衛兵のようにどうでも良く感じただろう。あの戦場に立っていなければ、魔王の部下なんて、子供なんて放っておけばいいと。

 だがあの残虐さを目の当たりにした今ならば、何を置いても、救出を優先すべきだと判断できる。

 あとから聞いた話では、生き残った一割程度の兵士達の命を、弄んだとも聞いている。多くの残酷な現実を見てきた、あのブライアンですら怯えるほどに。


「……くそ、いいからとっとと隊を編成しろ!」

「…………分かりました」


 魔王との戦争には、女子供を除いたほとんどの人間が投入された。一部、残った男もいたが、体が丈夫でなかったりと理由があった。

 生き残って帰ってきた男たちは、あの惨状を目の当たりにしているはず。

 ゆえにこの男の態度が、ヴァジムには理解できなかった。


(まさか……仮病でも使って、戦争に出なかったのか? なんてやつだ……)

「ヴァジム様。先程の騎士――アンベルを連れてきました」

「! よくやった」


 付き添っていた騎士が、一人の男を連れてくる。情けない顔をした男・アンベルは、先程ヴァジムに話しかけてきていた騎士だった。

 ヴァジムは容赦なくアンベルを蹴りつけた。本当は胸ぐらを掴みたかったが、ヴァジムはあいにく両腕がない。

 代わりにアンベルを蹴れば、「ぐえっ」と蛙のような汚い声を出す。倒れたアンベルを、逃げないように胸板の上から足で押さえつけた。

 胸を圧迫された男は、苦しそうに顔を歪めている。


「ぐっ、ぐるし、ヴァジム様……!」

「命令されたこと全て白状しろ! それとも、あの魔王に差し出して、脳みそをほじくり返してほしいか!?」

「しゃべりまづ、喋りまずから、はなぢで……!」


 あまりにも哀れなアンベルを見て、ヴァジムは問い詰める気も失せ始めた。

 こんな低能を騎士団で雇っているだなんて、ブライアンも落ちたものだな……と遠くにいる親友を嘆く。

 それにブライアンだけが悪いのではない。この頭の悪そうな騎士に話しかけられた時点で、ヴァジムも気付くべきだったのだ。

 戦争での疲弊と、英雄からの転落、愛息子の死、唯一の拠り所であった孫は魔王を母と呼んでいる。――ヴァジムは平常心ではなかった。


 アンベルの胸板の上から足をどかしてやれば、彼はペラペラと頼まれごとから、計画まで喋っていく。

 犯人に同情するわけではないが、今後同じようなことをする際は、仲間をよく選ぶべきだな……と、ヴァジムは客観視していた。


「――と、言うわけで……今日、ヴァジム様と来賓とを暫く切り離してくれれば、報酬は弾むって言われて~」

「そうか。こいつを連れて行け」

「はい」


 ヴァジムがそう言うと、待機していた他の騎士達は、アンベルをガシリと抑え込む。両腕を掴まれて、抵抗も出来ない状態だ。

 それを受けてアンベルは、酷く驚いている。まさかありえない、と言った様子で。


「え!? 喋ったじゃないですか! ひどいですよ!」

「……お前は反逆罪を犯したという、自覚がなさすぎる」

「どうしてぇ?!」


 アンベルは騎士に連れられ、ズルズルと引っ張られて消えていった。

 愚かで無能なアンベル。罪の意識がないというのが、可哀想な点でもある。しかし同情の余地はない。

 国の安全を冒したという事実には変わりない。彼がそれを自覚するかは別として、パルドウィン王国としては何としてでも彼を裁かねばならない。

 そうすることで、魔王アリスに対しての忠義となるのだから。


 アンベルが片付いたところで、まだリーベが見つかってはいない。

 彼の話が嘘でないのならば、リーベを誘拐した二人の貴族がいるはずなのだ。それを探し出して、来賓であるリーベを救出しなければならない。


「クソッ……。騎士の言っていた貴族二人を探し出せ」

「かしこまりました」


 まだアリスが訪問していないのが、幸運でもある。

 しかし内々で処理をするのは無理があった。

 あのリーベのことだ。きっと〝母〟に報告をする。それを止めるだなんて、言語道断。

 ヴァジム達に出来ることは、起こった真実を嘘偽りなく報告すること。それで罪が軽くなるわけではないし、下手したら逆上されるかもしれない。

 それでも偽るという行為は、今こうして誘拐を働いた愚かな貴族と同等になる。ヴァジムはそれを避けたかった。


「……チッ、それと……魔王陛下に繋がりのあるやつを探せ。連絡を取ってもらう。今は……エキドナ様が出払っているからな……」

「……承知しました」

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