ガヤガヤと賑わいを見せる、パルドウィンの首都。

 王城は眼下にある城下町を見下ろし、優雅にそびえ立っている。

 城下町には様々な店舗が立ち並んでいる。露店を出しているところもあれば、ドンと大きな店を構えている店舗もあった。

 時間が早いというのに、既にいい香りが漂ってくる飲食店。

 道を逸れれば、平民達が行っているであろう市場も見えてくる。


 何よりも人間の量がアベスカの数倍もあるだろう。イルクナーも港町でそれなりに栄えているが、これほどではなかった。

 戦争によって人間が減っていたこともある。それでもそれを考慮しても、圧倒的な量の差があった。

 アリ=マイアとは根本的に違うと見せつけられていた。


 戦争が終わったばかりだったが、活気に満ち溢れていた。行き交う者達は、笑顔で溢れている。当たり前の日常が流れている。

 この地が戦場に選ばれなかったことが幸いだろう。この素晴らしい景色が、失われずに済んだのだ。


 リーベはヴァジム、そして護衛の騎士を数名連れて、国の中を見て回っていた。


「さすがはパルドウィンですね」

「……そりゃどーも」

「アリ=マイアよりは格段にうえです」


 リーベが街を散策し、純粋な賛美を述べた。

 子供らしからぬ感想に、ヴァジムはどう答えていいのか分からない。立場的には孫のはずが、他人行儀になってしまう。

 魔王のツバが付いた孫。ヴァジムにとって、酷く複雑なものであった。


 リーベはそんなヴァジムに対して、気にしようともしない。心を読める魔眼を持っていて、ヴァジムの心を読めているのに。

 彼にとってヴァジムとは、肉体的な親族。それ以上のそれ以下でもない。繋がりはそれだけ。

 もっと突っ込んで言うならば、敬愛する〝母〟の支配下に置かれた国の人間。その程度だ。


 ヴァジムに買ってもらったジュースを飲むリーベ。

 子供に人気だと勧められたので飲んでいるものの、その味はまるで泥水だ。しかも腹に貯まらないときた。

 飲んでいるだけで苦痛なのだ。


(はぁ、まずい。母上の魔力が食べたい)


 彼の食事は、アリスの魔力のみ。

 人間の食事を口にすると、吐き気がこみ上げるのだ。

 幸い飲み物ならば、まだ我慢できる程度の吐き気で済んでいる。アリスの顔を立てるためにも、ヴァジムから飲み物を受け取ったのだ。

 あまり断ってばかりで我儘を続けていれば、アリスに迷惑がかかると、彼が思ったからである。


「あそこの食堂に入るか。美味いぞ」

「……いえ、けっこうです」


 我慢をしてきたリーベだったが、流石に固形物は我慢できない。一口放り込めば吐き気を催し、全てを吐き出すだろう。

 ヴァジムにはまだこの体質――スキルのことを伝えていない。伝える理由もない。

 リーベの中では、自分が酷い空腹に陥る前に、アリスが合流すると思っているから。


「腹減ってないか?」

「はい」


 ヴァジムが気を遣って聞いてくる。

 実際は空腹になり始めていたのだが、食べられるものがない以上、こうした嘘をつくしか無い。

 リーベはキョロキョロと辺りを見て、気を紛らわせることにした。なにかに集中していれば、少しはマシになれると思ったのだ。

 目に止まったのは、書店。

 外装からして子供向けに見えたので、リーベは少しだけ戸惑った。ヴァジムが後押しするので、渋々入店を決める。

 二人が書店へ足を向けていると、一人の騎士が近付いてきた。

 護衛をしていた騎士とは違うが、騎士団に所属しているメンバーであった。彼はヴァジムへと声をかける。


「ヴァジム様」

「なんだ」

「少しお聞きしたいことがあります!」

「? あぁ。……おい、俺は離れるから、大人しくしていろ。何かあったら叫べ、外に騎士が待機している」

「わかりました」


 騎士はヴァジムを連れて、遠くへ離れていく。本屋に置いておけば、危険はないと思ったのだろう。

 リーベにも都合が良かった。

 この酷く不味いジュースを、彼がいる前では美味しそうに飲まねばならなかったから。

 ヴァジムが見えなくなると、リーベは飲み物をわざと落とした。そしてとどめを刺すように、足でグシャリと踏み潰した。口の中の味を残したくないのか、ツバまで吐いて。

 それほどまでに不快で、不愉快だった。


「……はぁ。母上のためでなければ、こんな泥水なんてすすらないというのに」


 ぐちゃぐちゃになったジュースを見下ろしながら、冷たく吐き捨てる。

 くるりと体を向けて、店へ入っていく。外装の通り、中は児童書が多い。

 リーベの年齢はまだ十歳だったが、精神年齢はもっと高い。アリスによる魔改造の影響だ。

 もちろん、時々少年らしい言動もする。

 だがそれでも、アリスのためにと勉強を忘れないのだ。

 既に魔王城にある殆どの本を読んでおり、アベスカやイルクナーに赴いて新しい本を仕入れることすらある。

 大抵が大人向けの小難しい本ばかりで、アリスが傍から見ても「理解してるのか?」と心配するほどだ。


「本屋かぁ……。ゆうえきなものが、あればいいけど」


 リーベはスタスタと店内を歩き回っている。

 並んでいる本は絵本から始まり、知育本、児童文学。どう見ても年齢層は低めだ。

 せめて小説でもあればいいのにと探してみても、どの棚にもそういった本はない。

 右を見ても子供向け、左を見ても子供向け。これ以上探し回るのは、無駄な抵抗に近かった。


「〝ねんれいそう〟が低く、児童書が多い……」


 リーベは小さく嘆息した。自分の見た目を考えれば、ヴァジムが案内する場所は限られてくる。この店を選んだのはたまたまだったが、それでもヴァジムが入るのを許したのは、子供向けだからであった。

 彼はまだ、リーベをよく知らない。リーベは大人びているが、ヴァジムにはただの子供に映っている。


(母上もぼくに、もっと子供らしさをもとめているのかな)


 リーベは適当に本を手に取った。大きな文字で見やすく書かれた、子供向けの文庫。題材も分かりやすく、それとなく教育も含んでいる。

 差別をしないとか、個性を尊重しろだとか、ありきたりな文章だ。

 そんなのを見ているうちに、リーベの中にはふと思い浮かぶ。

 〝母も、こうあってほしいのか〟――と。


 リーベは生まれが異常だ。アリスの手によって、無理矢理に母体から引き剥がされた。そしてありったけの魔力によって育てられ、〈暴食ブリーミア〉というデメリットでもある繋がりを手に入れた。

 彼は母といえば、アリスしか知らない。

 もちろん、己を孕んだ肉体的な母親であるユリアナと、会話したことだってある。

 それでもリーベの中に、敬愛が生まれたのはアリスだけだ。

 自分の中に生まれている愛情が、狂っていても。リーベがアリスを愛していることには変わりない。

 そして一般的な子供と同じように、母親に好かれたい。認められたいという気持ちはある。


 だが一般的な家庭と違うのは、アリスの立場。魔物を統べて、世界を覆す存在――魔王である。

 だからリーベは上手く甘えることが出来ない。一緒に過ごして、一緒に遊んで、沢山褒めてもらいたい。

 それを言い出すことは、困難を極めていた。

 賢い――賢すぎるリーベにとって、この現状は厳しいものだった。


(そうだ。せっかくなら、この街を見て回って、人間の子供をもっと知ろう。アリ=マイアの子供だけではなく、色んなところから〝ちしき〟をえれば、役に立つかもしれない)


 リーベは別の方向で燃えていた。

 もっと子供らしくあろう、と。自分に足りないのはそこなのだと。

 早速リーベは本を手に取った。特に選ぶことなどなく、適当に数冊手に取る。速読が出来るわけではないが、サラっと読んでみて良さそうな本があれば購入を決めるつもりだった。

 キョロキョロと見渡して、読める場所がないかと探す。

 幸運にも、読書スペースが併設されており、リーベは急ぎ足にそこへと向かった。

 子供向けのスペースに、持ってきた本をドサリと置く。メラメラと燃えているやる気を失わぬうちに、リーベは黙々と読書に取り掛かった。


 そのせいか、背後から忍び寄る影に気付かなかった。


「んぐっ!?」

「こらっ、暴れるな……」

「んむ、むー!」


 薬品をたっぷりと染み込ませた布が、口元に押し付けられる。リーベの鼻を覆い、口すらもすっぽりと隠した。

 リーベの小さな体は、影――エルマーによってガッシリと固定されている。筋力も普通の子供と変わらないリーベにとって、抵抗するなど不可能だった。


 こういった場合、本来リーベを守るために戦闘用と防御用のアイテムが有る。自動で展開されるそれは、〝戦闘〟を自動で判別して展開される。

 戦闘と言うのは、闘志や殺意を含んでいる場合だ。

 エルマー達はそんなこと、微塵も思っていなかった。リーベは己が再び勝ち上がるための踏み台で、この行為も殺意など全くない。

 アリスの、常に戦いを強いられる立場が故に引き起こした、事故のようなものだった。

 事故ではあるものの、何かが起きてほしいアリスにとっては、都合のいい事故でもあった。


 ジタバタと小さな手足を使ってもがいていても、力を使うあまり呼吸が激しくなる。そうすれば薬品を吸い込む量も増えていく。

 当然ながら、次第に抵抗の力は緩まっていく。


「ぅぐ、ん……うぅ……」


 ついにはガクリ、と完全に意識を飛ばした。腕も足もだらりと下がり、動く様子は見られない。

 タイミングよく、見張りをしていたパブロが駆け寄ってくる。意識を失っているリーベを確認すると、ホッとした様子を見せた。

 一先ず、作戦の一部は完了したということだ。


「う、うまく行ったな」

「余裕ぶっている暇はありませんよ。ヴァジムが戻る前に消えましょう」

「あぁ」

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